人生は3つ数えてちょうどいい
和田京平とは、全日本プロレスの旗揚げ直後からリング屋として巡業に加わり、やがてレフェリーとして試合を裁くことになった人物。フォール姿勢に入った選手の上を跳び越してのカウントインなど、切れのいい動作のレフェリングがファンの人気を呼び、メインレフェリーの座をジョー樋口から引き継いだ後は、試合前のコール時に選手以上の歓声が湧くようになった。彼のレフェリング術は、3章にたっぷり紹介されている。本の後半ではジャイアント馬場没後の元子夫人と三沢光晴一派との確執についても語られており、全日本プロレス分裂当時にファンの頭に浮かんだ疑問符の一つ一つを解きほぐすというわけにはいかないが、一読の価値はある。
全日本プロレスファンとしては、付き人を務めたジャイアント馬場、親しかった天龍源一郎、若手のころから成長を眺めてきた三沢光晴など、トップレスラーのプロフィールがふんだんに紹介されているのがもう一つの読みどころ。
しかし、なんといってもジャンボ鶴田のエピソードが最高である。どの話をとってもいかにも鶴田らしく、その場面が目に浮かんできてしまう。天才のなせるわざかどんな試合でも常に余裕たっぷりの試合運びで、「ノリに任せて時には次にこの技をやりますよ、なんてことをわざわざ相手につい教えてしまう」こともあり「はい、俺は次はチョップをやっちゃうよ。そしたらエルボーだよ」と試合中に口に出してしまう。左腕を攻められた後に逆転勝ちを収めたときなど、ついつい相手の攻めのことを忘れて左腕で勝ち名乗りを受けてしまい、慌てた京平レフェリーに「ジャンボ、腕、腕……」と囁かれ慌てて「ハイ? 左手、痛かったねえ? 痛い痛い!」とわざとらしく痛がってみせるというのだから、対戦相手はたまったものではない。
伝説の長州力との60分フルタイムドロー試合の後も、長州がコメントも出せずにへばりこんでいたのに対し、ジャンボは「さあシャワーでも浴びるか!」と爽快な表情だったというのである。天龍が「京平ちゃん、ジャンボをどうしたら怒らせることができるんだろう?」と思い悩むのも無理はないし、馬場が後継者選びに際して「どんなに大学出の(頭のいい)奴でも、プロレスを心底好きな奴にはかなわないだろう?(天龍のこと)」と呟きたくなった気持ちもよくわかる。そんな鶴田のナイスな秘密が一つ。彼はデビュー当時、ジャーマンスープレックスを得意技としていたのだが、いつしか使わなくなり、代わりにバックドロップをフィニッシュホールドにするようになった。同じようにスープレックスを封印したレスラーに藤波辰爾(ドラゴンスープレックス)がいるが、彼の場合は持病の腰痛が原因である。ところが京平によれば、鶴田がジャーマンを封印した理由は「頭をマットにこすって髪の毛がなくなるのがイヤだったから」だというのだから恐れ入る。ジャンボイズム炸裂である。
衝撃的だったのは京平のあだ名である「カッパ」について。その名前を聞くたびにレフェリーの頭頂部のあたりを思い浮かべて、なるほどな、と納得していた人間は全員懺悔しなければならない。なぜならば「カッパ」とは「カップ」のことであり京平の淹れるコーヒーを心待ちにしていた外国人レスラーたちがそう呼び始めたのが定着したというのが語源だからである。くれぐれもアデランス関係と混同してはいけない。埼玉県最強の主婦、北斗晶あたりにも周知徹底しなければならないのである。