誰も行けない温泉シリーズ
温泉、という言葉に日本人が抱くイメージというのは、ドリフのババンババンバンバンはあビバビバのあれだと思う。間違っても「決死」とか「遭難」といったイメージを抱くことはないだろう。あと「恥辱」も。そうしたぬるい温泉観をくつがえすのがこのシリーズ。「決死」の覚悟で行って「遭難」寸前になりながら湯に浸かり時には「恥辱」に塗れることさえあるという、実に辛い温泉行の本なのだ。なぜ辛いかというと、誰も行けないような大変な場所にある温泉にわざわざ入ろうとしているから。しなくていい苦労をわざわざする。なぜする。
全裸の男がガスマスクを着用して温泉に浸かっている表紙写真を見れば本のコンセプトは一目瞭然だ。温泉というのは火山地帯の産物である。したがって、
1)とんでもない山中にある(富山県阿曽原温泉)。
2)時には火口にある(秋田県鬼ヶ城火口の湯)。
3)有毒ガスが噴出していることもある(熊本県すずめ地獄)。
4)クマなどの野生動物に出くわす危険さえある(岩手県安比温泉)。
と、危険は山盛りである。山だけではない。海の岩礁に面した温泉では、
5)波にさらわれる可能性もある(鹿児島県薩摩硫黄島大谷温泉)。
本当になぜそこまでして温泉に入る。しかも行った先に必ず湯船があるとは限らないのだ。湯船が土砂に埋まって消失していたり、そもそも湯は噴出しているものの湯船にはなっていなかったり、ということはしょっちゅうである。そのたびに作者は、シャベルで穴を掘って即席湯船を作り、湯温が高すぎて入浴不可の時には川の水と合わせて水温を下げ、涙ぐましい努力をして入浴写真を撮っている。ただしそこまでして作った温泉だが、はっきり言ってしまえばただの「温かい水たまり」にすぎない。したがって入浴すると余計に体が汚れることになるのだ。なんのための入浴といえるのか。
人跡未踏の地で入浴をするというのなら、まだ冒険行として評価する人もいるだろう。だがこの本の中にはもっと情けない温泉も登場する。地図上の温泉表記を頼りに行ってみたら、単なる温かい湧き水で地元の人が野菜を洗うのに使っているだけ、ということもあるのだ。なんと作者はそんな場所でも入浴に挑戦するのである。勇猛果敢だ。でもそれは蛮勇とも言うぞ。
6)かかなくてもいい恥をかく(和歌山県井関温泉)
というわけで、この本は温泉ガイドとしてはまったく役に立たないが(だって紹介されている温泉には行けないから!)、くだらないことに真面目に挑戦する人が大好きな読者にはたまらない読物といえる。大原さんのギャグが果てしなくつまらないのだけが本書の弱点なのだが、つまらない冗談でも言ってなければこんなたいへんな取材はできないのだと思って大目に見てあげよう。でもさ、何べんも言うけど、なぜ行くの?