(1/18)大葉ナナコさんの講演のこと
先日の誕生学講座のことについて、少し書く。
大葉ナナコさんがお話された内容でもっとも関心を惹かれたのは、子供たちの性行動開始年齢が自尊感情の有無と連動しているというくだりだった。性行為を求める大きな理由の一つに、帰属願望がある。性行為は、誰かとつながっていたい、属していたいという願いを、一時的には満たしてくれる。それが見せかけのものであっても、肌のふれあいをしている間は安心できるわけだ。大葉さんは子供が十歳になる前が勝負だと言った。その年齢までに親が十分な愛情表現をできていれば、子供との間に一生つながっていられる信頼関係が築けるのである。そうして親の慈愛を確信できた子供は、自らの心と体を大切にしようとするし、他者に対しても同じような慈愛を振り向けようとする。大葉さんの講演は、そうした自尊感情の育成を目的として子供と対話するためのすべを教えるもので、性教育の枠を超えた実りある内容だった。
耳が痛かったのは「自慰を目的としたポルノグラフィーは、今の親たちが子供だったころに比べ、何百倍も増えている」というご指摘である。楽観派の親たちは「自分は親から特別な性教育を受けなかったが、道を誤ることもなくまっとうに育った。だから自分の子供も大丈夫」と言う。だが、ポルノグラフィーが親の世代とは比べものにならないほど増加しているわけである。親の側は、自分たちのころとは違うのだという考え方を持たなければならない。
エンターテインメントの業界に関わっている者として、「漫画は(と大葉さんは言ったが小説や映像メディアも同じだろう)いつも今まではありえなかった話を描こうとする」「それは現実にはありえないことだということを、大人は声を大にして伝えなければならない」というご指摘は真摯に受け止めなければならない。ポルノグラフィーは必要悪として世の中にあるべきものである。しかしそれは子供の前で垂れ流していいものではないし、ポルノグラフィーの中に描かれていることが幻想であると理解した大人だけの楽しみとして留めなければいけない。
『粘膜人間』のような作品が世の中に存在することは素晴らしい(毎度飴村さんの作品ばかり引き合いに出して恐縮です)。『粘膜人間』は不健全な小説である。不健全な娯楽を楽しめるのは健全な常識を持った人間だけだ。だから、いきなり子供が『粘膜人間』に触れても、楽しむことは難しいはずである。大人の世界の内幕を聞きかじった、中学生程度の精神年齢がなければ、あれは笑えない小説なのである(逆に、中学生程度の精神年齢の人間がする妄想を小説化した作品ということもできる。その辺のバランス感覚が『粘膜人間』は優れている)。親子読書の目標とは、『粘膜人間』のような極北の作品の楽しみ方を親から子へ伝達できるような関係を築くことだ。
というような日記を書いたら、ちょうどココログニュースで性教育について採り上げていたのだった。
「避妊知識は学校で学ぶ!? 性教育を考える」
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