« (1/31)そり | Main | (2/2)本が読めて嬉しい・その2 »

(2/1)書評家という仕事

 杉江松恋は反省しる! とひさびさに思わされることが短い期間で三度あった。知らない間にそういう気持ちを抱えていたから身辺の出来事から同じことを三度も思ったのか、体験が先にあってそういう気分ができたのか。卵が先か鶏が先かの判断はできない。でも自分の仕事について反省する機会をもらうというのはいいことなのだから、素直に反省しようと思う。反省しる。うん、した。

 一回目にそれを感じたのは、先日の「ミステリマガジン」の座談会での某氏の発言からだった。「ミステリマガジン」の書評陣の仕事について、「印象批判が多い」との指摘があったのである。某氏がそうした発言をされるのは初めてのことではないのだが、座談会上での発言ということで、これは公式な批判として受け止めるべきである(編集子は絶対にあの発言を削除しないように)。受け止めた上でどのように反応するかは、書評家それぞれの問題だ。

 二回目。某社PR誌の書評原稿を頼まれた。対象となる作家の本を、私はこれまで何度も書評してきている。おそらくプロの書評家と名乗っている中ではいちばん多いはずである。私にとっては、何度でも書評を書きたい作家だということだ。その作家とは、個人的な交わりもある。書評を行う際にはそのことも頭に入れ、身贔屓にならない物言いになるように注意を払ってきた。そうした経緯がありながら、原稿を書く段になって、自らの立ち位置を見失ってしまったのである。「自分語りをしたい。その作家との交わりについて述べなければ、本の真価を語ることはできない」という衝動がどこからともなく噴出してきて、身動きがとれなくなってしまった。みっともない自己愛の形であると認識する。この衝動を乗り越えないかぎり、原稿を書くことはできなそうだ。杉江松恋は反省しる。

 三回目。本日のことである。某作家の新刊エッセイを読んでいたところ、書評家の甘えについて書かれた箇所があったのだ。まだ書店に出回っていない本のことだから、内容について触れることは遠慮しておきたい。本が出るまで、少し考えを重ねていくことにする。

 もごもご書いて申し訳ない。月が改まる日に、そんなことを考えていました。

|

« (1/31)そり | Main | (2/2)本が読めて嬉しい・その2 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/61260/43924499

Listed below are links to weblogs that reference (2/1)書評家という仕事:

« (1/31)そり | Main | (2/2)本が読めて嬉しい・その2 »