そういえば、今週号の週刊SPA!は私がお当番なのだった。私はこの雑誌の文化欄である「文化堂本舗」で、「ミステリー一冊決め」というコーナーを持たせてもらっている。ほぼ月一連載で、採り上げる本の優先度は以下の通り。
一、バカミス
二、翻訳ミステリー
三、本格
つまりバカミスで翻訳作品で本格度の高いものであれば、この欄でぜひとも紹介したいということである。版元各社の編集者は、そういう作品があったらゲラ段階で早めに連絡してもらいたい。週刊誌なので、刊行から時間が経ってしまうと、紹介しにくくなるのだ。
まあ、そんなことはどうでもいいのだけど、今週採り上げた作品はベネット・ダヴリン『夢で殺した少女』である。訳者が田口俊樹さんだということで気になっていた本だ。ちょっと前に川出正樹さんにお会いした際、「第一章の終わり付近でとんでもないことが起きる」「デヴィッド・アンブローズの『迷宮の暗殺者』ぐらい驚いた」と教えてもらったので読んでみた。なるほど。『迷宮の暗殺者』のあのインパクトには負けるが、これもなかなかである。びっくり好きの方はぜひ読んでいただきたい。ただしイヤミス成分も少なからず含まれているので陰惨な話が嫌いな方は用心が必要である。
笑ったのはこの作品、映像化されていてデニス・ホッパーが出演しているということ。デニス・ホッパー出演、と利いただけで、作品の性質の85パーセントぐらいは理解できた気になるから不思議だ。
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角川書店よりゲッツ板谷さんの『やっぱし板谷バカ三代』と「本の旅人」四月号の見本をいただく。
「本の旅人」には『やっぱし板谷バカ三代』の書評を書いたのだ。
少し前にこのブログでこぼしていた、書きあぐねている原稿とはこれのことだった。未整理のままで書きたくないので、その件については後日改めて。気になる人は「本の旅人」を店頭で読んでみてください。
ゲッツファミリーのポク蔵さんがまた試合をするそうなので、お知らせしておきます。
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地下プロレスEXIT-7[KABUKI]
3月1日(日)13時半開場 14時開始
新宿二丁目 BAR EXIT
(新宿駅より徒歩10分、新宿三丁目駅より徒歩3分)
対戦カード当日発表
ザ・グレート・カブキ
ジャガー・ロゴフスキー
澤宗紀
富豪2夢路
紅闘志也
梅沢菊次郎
三州ツバ吉
矢野啓太
磯英弥
吉川佑太
JOM
日龍(ポク蔵さん)
LOSE FACE
ジョータ
AKIHIRO
小笠原和彦
篠真一
RIKIYA
篠真一って、まだ現役だったのか!
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中央公論新社から『スカイ・イクリプス』文庫見本をいただく。森博嗣さんの〈スカイ・クロラ〉シリーズの完結篇にあたる作品で、書き下ろしを含む八つの短篇が収録されている。私が解説を書きました。
森作品の中でもっとも好きなシリーズの、記念すべき最終作にこうして関われたことは光栄である。この作品は、シリーズ長篇ではあえて書かずに秘されていた謎の種明かしを行っている作品でもあり、解説を書くときはその辺の扱いが難しかった。もちろん解説でネタばらしというような野暮な真似はしていませんのでご安心を。ちなみに私は、収録作では「ドール・グローリィ」がいちばん好みである。
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昨日はミステリマガジン新編集長の就任祝いに参加してきた。90人近くの人が詰めかけ、中には小鷹信光さんなど、業界の大御所のお顔も。会場になった新宿某所の酒場は決して狭い店ではないのだが、さすがに過密状態であった。窒息するかと思いました。
田口俊樹さんのスピーチが可笑しかった。田口さんは翻訳学校で講師の仕事もなされているのだが、そこにゲストとして新編集長を招かれた。新編集長は、田口さんがミステリマガジンで初めて訳した短篇を持ってきたそうである。気の利いたことをしてくれるなあ、と感動している田口さんと、お弟子さんたちの前で一言。
「田口さんでさえ最初のころはこんなに下手だったんですから、みなさんもがんばれば巧くなります」
って、おい。
そんな脇の甘い(が人望は厚い)編集長の指揮の下、ミステリマガジンは再スタートを切りました。これからどのように誌面が変わっていくのか、楽しみである。みなさんも買って読んでね。
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昨日は夕刻より都内某所で「クラシック・ミステリのススメ」に関する打ち合わせを持った。といっても、あまり進捗はしていないのだけど。そろそろ本腰を入れなければ。
本日は区に提出する申請資料のために一日奔走させられた。子ども教室事業といって、学校を使った課外授業を行うのに、区から予算がもらえるのである。本日がその〆日なので、あたふたしてしまった。昨日、区の地域学習課の係長にお話をうかがったところ、以前から聞かされていたものと内容が大きく変わっていたからである。実情に合わせて変更しているのだと思うが、申請する身としては困る。結局綺麗に清書する時間はなく、下書きに毛の生えたような状態で提出。どうせ、書き直しを命じられるのだから、これでいいのだ。
今から都内某所にてミステリマガジン編集長交替のお祝いの会である。内輪の集まりだと思っていたのに、第人数で、御大もいらっしゃることになったらしい。遅刻しないように早めに行かなくちゃ。
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「ハヤカワミステリマガジン」四月号到着。今月号から編集長が交替して小塚麻衣子氏になった。
初の女性編集長である。ぜひ翻訳ミステリー界を盛り上げていってください。
ちなみに彼女で編集長は十三代目になる。異説はあるのだが、準備に携わった田中潤司をカウントし、都筑道夫、生島治郎、常盤新平、各務三郎、長島良三、菅野国彦、竹内祐一、村上和久、千田宏之、今井進、千田宏之(再任)ときて、十三代である。十三はミステリーでは縁起のいい数字だから、こうした方がいいのである。落語家のカウントと同じですね。
就任祝いというわけでもないが、今月号はずいぶんと原稿を書いた。通常のHMMレビュー以外に、巻頭の猫ミステリー特集にコラムを寄稿し、猫ミステリガイドを作成し、中特集に世界バカミス☆アワードのレポートを書いて、翻訳ミステリ応援団! の座談会にも出席している。よく見ると目次ページの全部に名前があるのだ。もしかするとこれは、目次が三ページになってから初の快挙なのではないかしらん。
ちなみに座談会は書評家が翻訳ミステリの現状について話し合おうという趣旨のもの。頑張ってたくさん喋ったので、ぜひここだけでも読んでいただきたい。話した内容はあまり削らず、逆に後から足したくらいなので、読み応えがあるものになっているはずである。
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編集者から「最近はマメにブログを更新されてますねー」というメールをいただいた。
そうそう。嘘を吐いて遊び呆けていると思われるのも癪なので、忙しいときは忙しい、暇なときは暇とちゃんと書こうと思って。でも早速催促を受けてしまった。自分で自分の首をしめているようなものである。
本日の会議は、学校運営委員会の報告会だった。学校運営委員会というのは地域住民と保護者によって構成されるもので、学校に対して拘束力のあるアドバイスを行うのである。人事案にまで口出しをすることができるので、先生の側も無視はできない。うちの区では二つの小学校で試験導入されていたので、その結果報告であった。導入は大成功という、いい話しか出なかった。当然か。うちの小学校でも導入されることになるのだろうか。明日学校に行った際に、校長先生とよく話し合ってみたいと思う。
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起床したら家族はすでに出かけていて一人だった。昨日は珍しく夜更かししてしまったのである。
〆切週間だった先週と比べ、今週は仕事量こそ少ないが、顔を出さなければならない会合が毎日のようにある。本日は区のサポートセンターで、明日は小学校で教育委員会との打ち合わせ。水曜日は祝宴の席があり、木曜日は成田空港までお出かけだ。金曜日は地域の児童館の懇談会に出席し、その後は青少年育成部の会議である。あと、水曜日には書類提出で教育委員会に行かなければいけないな。これだけ用事が入ってくると、普段が引きこもりだけに気分が重たくなる。雨の月曜日だし、なんだかうっとうしい。PTA役員として働くというのは、こういう雑事を引き受けなければないけないということなのだ。
気分を浮き立たせるために、乱歩賞の下読みをばんばんやることにしよう。一次の箱を開ける瞬間は、いつもわくわくする。この中から新しい才能をデビューさせられればいいのだけど。
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原稿を書いたナンプレファンの4月号が到着。今回の「より道ミステリー」で採り上げたのは、辻村深月『太陽の坐る場所』である。別に意識してこの作品にしたわけでもないのだが、原稿を書いた直後に作者本人にお会いしたのがおもしろかった。
この連載は、数字パズルファンの読む雑誌という媒体の性格を考えて「パズラー」という要素を重視した作品を採り上げている。気に入った作品がなかなか見つからなくて、いつも〆切ぎりぎりまで悩まされている。今回も、採り上げようと思った作品を何冊か没にした後で本書にたどり着いた。もう時間がなかったため、祈るような気持ちで本を取り上げたものである。ごく普通の青春小説展開なので序盤はハラハラさせられたが、作者は最後にちゃんとやってくれた。ありがとう。連載に穴を開けないですみました。
メインの作品のほかに「この本を読んでおもしろかった人はコレ」という一作と、パズルを題材にした作品をそれぞれ一つずつ採り上げることになっている。今回はフレッド・カサック『殺人交叉点』と有栖川有栖『孤島パズル』である。ああ、なるほど、と読んでいる人は思うはず。
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本格ミステリ作家クラブのアンソロジーに収録するため、ここのところずっと短篇を読んでいた。先ほど、ようやくその選評を送り終わったところ。本当は朝メール送信したつもりだったのだが、gmailが処理落ちしていたのに気付かず、さっき慌てて再送したのである(言い訳)。関係者のみなさま、お待たせして申し訳ありませんでした。
ひところに比べ、本格ミステリー短篇の雑誌掲載数は落ちている。これは本格が冷遇されているということではなく、掲載媒体が減っているせいだと思う。短篇よりは長篇、単発作品よりは連作を掲載したほうが後々単行本化しやすいから、そうした作品が優遇されるのである。こういうときこそ専門誌にがんばってもらいたい。「ミステリマガジン」は、日本作家を扱うなら長篇よりも単発短篇を載せるべきだよ。
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昨日は池袋コミュニティ・カレッジで「ミステリーの書き方」講座の講師に行ってきた。
今回の課題は、ブレット・ハリディ「死刑前夜」(早川書房『天外消失』所収)を読み、十分の一に要約するというものである。ルールは、原型をなるべく壊さないで縮めること。つまり、文字数が起承転結で1:3:3:1になっていたら、同じように縮めるのである。「死刑前夜」はだいたい一万五千字くらいの作品なので、それを千五百字にする。これによって何を狙っているのかというと、必要なパーツの見極めをすることである。何気ない描写に偽装された伏線、二重に意味がとれるように書いてある表現などは、作者が意図して埋めこんだものだ。そうした要素が、どのようなペースで配置されているか、要約を通じて学ぶというのが目的である。
これはたいへん勉強になります。要約を実際にやってみるのがいちばんなのだが、時間がない人はマーカーなどで本に(いやならコピーして)印をつけていくといい。
それにしても「死刑前夜」は素晴らしい短篇だ。小泉喜美子さんが激賞されたのもわかる気がする。原文をあたってみないと確実ではないのだが、businessという単語が複数の意味で用いられていて、効果を上げている。人の感情を直接書かず、仕草や語調で表現するというハードボイルドの手法を用いてサプライズの演出を行った作品であり、相棒小説の佳品でもある。短い中に、私がミステリー短篇で必要だと思うことがすべて尽くされていて、何度読み返しても感心させられるのである。
これからミステリーを書いてみたいとお考えになっている方は、この短篇に学ぶことを強くお薦めします。
追記:今気がついたけど、この本は現在Amazonにおける売り上げが4675位である。売れているんだ。喜ばしいことである。「ミステリマガジン」に寄稿した書評が売り上げに少しでも寄与しているのならこんなにうれしいことはない。
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本日絶対に書かなければならない原稿が終了。瀬戸際の原稿なのに、書きながら楽しくなってしまって困った。上限の文字数を聞いていたからいいようなものの、さもなければ遊びすぎて収拾がつかなくなるところだった。新刊書評と違って、読書コラムだから遊ぼうと思えばいくらでも遊べるのである。ああ、楽しかった。編集者も私と同じくらい楽しんで読んでくれればいいのだけど(そして読者も)。
今夜は池袋コミュニティ・カレッジで講師の仕事がある。それ以外にウェブ原稿がまだ残っているので、なんとかしなければ。PTA絡みでは、区の教育委員会に提出する書類を作る仕事があり、これに結構時間をとられそうだ。放課後フリークラブといって、放課後や祝休日の時間帯を使って、地域住民が講座を持つ事業がある。その認可をもらえば、区から予算をもらえるのだ。本来事務局の人が他にいたのだけど、健康を害されたとかで急遽仕事がまわってきた。PTA会長は何でも屋だから、こういうときは頼まれたら断れない。週末の時間を使って、なんとか仕上げられるといいのだけど。
明日は四月に入学する一年生の保護者会もある。その席で、PTA活動のプレゼンテーションもするのだ。並行して交通安全教室もやるので(保護者が話を聞いている間の保育の意味がある)、そちらの準備もある。あとは、えーと夜に3月にやるバスハイクの打ち合わせもやらなくちゃ。お金にならない仕事で一日埋まってしまうという予感がするなあ。
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常に複数の原稿が〆切をオーバーし、しかもそのうちのいくつかは危険水域に突入、体を壊して寝込みでもしたら間違いなく白紙のページができる本がある、というような洒落にならない状況で数日間過ごしていた。「もういやだむぉぉぉぉん!」と叫びながら倒れることさえ許されない限界状況というのを、ちょっと相談してみ。してみってば。それを思えば、本日はまだまだ楽な状況だ。でも引き続きがんばる。
急ぎの原稿があるため(あるんじゃん)報告だけ。「問題小説」の最新号見本が届いた。今回の書評欄で採り上げたのは宮本昌孝『海王』、陳舜臣『枯草の根』、恩田陸『ブラザー・サン シスター・ムーン』の三冊だ。この連載では毎回いろいろなことを試しているが、今回もある手法に挑戦してみた。といっても個人的な挑戦なので、読む分にはまったく関係ないのであるが。そのことに気付くのは、古くからの友人である霜月蒼君ぐらいだろうと思う。
三冊とも傑作なので、書評はともかくぜひお読みになってください。
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中川金融担当大臣に関する報道を聞いて、誰もが以下の逸話を思い出したはず。
英国首相ウィンストン・チャーチルは、酒気を帯びて議会に出席したことを女性議員に咎められた。
「恥をお知りなさい、総理。あなた、酔ってますね」
「ええ、そしてあなたは顔がマズい。私は明日になったら醒めますがね」
この話、都市伝説のたぐいかと思ったので調べてみたが、一応wikipediaでも関連記述を見つけた。くだんの女性議員は、労働党のエリザベス・マーガレット・ブラドック(1899~1970)だとのことである。
wikipedediaBessie Bradockより。
原文はこのとおり。
Braddock: "Mr. Churchill, this is a disgrace. You are quite drunk."
Churchill: "And Bessie, you are ugly. You are very ugly. I'll be sober in the morning."
もっとも、wikiquoteのチャーチルの項では他のバリエーションが記されている。正確なところや、真偽のほどはネットの記述だけでは不明である。仮にこれが都市伝説だとしても、そういうエピソードのある人間を英国民が今でも敬愛しているというのがおもしろい点だろう。島田荘司さんは現代日本のことを「お行儀社会」と呼ぶ。お行儀の悪い人間を排除しようとする、悪く言えば度量の狭い社会なのである。最近は、一言の失言が致命傷になる(浜田幸一は、早めに引退ししておいて正解だった)。チャーチルよりは下品だが、新東宝大蔵貢社長の「女優を妾にしたんじゃない、妾を女優にしたんだ」という言葉も思い出した。あれなんかも今だったら火達磨にされる発言だ。
酩酊して恥を晒したというだけでは、職を辞する理由にはならないだろう。中川氏であれなら、私など七回ぐらいは切腹しないとならない計算だ。心配なのは、中川氏の健康状態のことである。お酒(ワイン?)と薬を一緒に飲むのがよくないというのは常識だが、酩酊状態でろれつが回らなくなるというのは、よほど強い薬物なのではあるまいか。大丈夫なのか。せいぜいお大事にしていただきたい。自棄酒はほどほどに。
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昨日は講談社にお邪魔して、「メフィスト」の合評に参加させていただいた。ホストは我孫子武丸さんで、ゲストは作家の辻村深月さんと書店員のYさん(雑誌が出るまで、一応匿名にします)、それから私。他の人と読んだ本の話をするのは楽しいし、仕事になるというのは非常に嬉しい。こういう機会がもっとあるといいのにな。
帰宅後は仕事。それからずっと今も仕事をしています。面かぶりクロール、いや潜水状態だ。息が続くかしら。再び水面に浮上できるのは、明晩の予定です。
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昨日は小学校の音楽会だった。終了後、新旧PTA役員の顔合わせを行い、新役員は写真撮影へ。新年度の広報誌に載せる写真である。
その後、給食をいただきながら学校評価発表会に参加。今の小学校には学外の評議員がついていて、学校運営に対して助言を行うことになっている。一年に一回、そのまとめがあるので私もお呼ばれしたのである。子供が在校している保護者は利害関係があるので評議員にはなれないのだけど、PTA会長ということでこの日だけは参加するのだ。校長・副校長と懇談しながら一時間半。いつ話しても思うが、さしたる問題もなく平和に運営されている小学校だ。
問題があるとすれば、来年度からの体制。平成二十三年度から指導要領が変更されて、授業内容が増加する。そのため、一時間ずつ授業時間を増やし、二年間で新指導要領に備えるのだ。中学年以上は毎日六時間授業になる。冬などは、授業が終わったら午後四時過ぎだ。すぐ日没である。外遊びもへったくれもないだろう。今の子が外で遊ばない、なんてしたり顔で言う人は、この状況を考えてもらいたい。遊ぶ時間がないのである。
土曜日の半日授業は、復活させるべきである。平日の六時間目に空きを作り、子供の自由になる選択肢を与える。塾に行ってもいいし、校庭に居残って遊んでもいい。とにかく、一日一日が授業でぎゅうぎゅう詰めになってしまう状況を打破すべきなのだ。
先生方にとっても、平日が毎日六時間授業になる体制は歓迎すべからざる事態のはずである。今の小学校教員は、研修や会議など、授業以外の用務で拘束される時間が長くなっている。だから、放課後に子供と遊ぶ余裕がある先生などいないのだ。いるとしたら、自分の休憩時間を削って無理をしているはずである。言葉は悪いがサービス残業だ。負担が続けば、心身へのダメージは蓄積する一方だろう。そんな疲れた状態の先生に、私は子供を預けたくない。先生も子供も気の毒だ。
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どういうわけだか二時間おきぐらいに人と会う約束が入り、書き物仕事が進まない一日。
ゲラも異常にたくさん来る。いや、それだけ原稿を溜めていたということか。
人に会ってはゲラを戻しの繰り返しだ。ようやくひと段落したので、これからが仕事本番です。
ちょっとどっきりしたのは、某作家の文庫解説について、編集者から急ぎのメールが入ったことである。
内容ではなくて表現の一部に作家が引っかかっていて、意見を要約すると「文章として美しくない」という。自分の文章の癖に関することなのでこだわってもいいのだが、あえて意見を通して修正を入れた。好みの問題であるし、作家が自分の作品に付いている文章が気になるのは心情がよくわかる。これが文意を変えてくれとか、けなさないで褒めてくれとかいう依頼なら突っぱねたのだけど、表現に関することなら話を聞くにやぶさかではない。細かい表現を変えても、全体のトーンは変わらないように書いているという自信があるし。
ちなみに「こだわる」というのは「どうでもいいこと問題を必要以上に気にする」ことだから、本来いい意味に使わない言葉だ。「あなたがこだわっていることは何ですか」と聞かれたら「ない」か「そんなつまらない人間に見えますか」と返すのが正しい。
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ランダムハウス講談社の『名犬ランドルフ、スパイになる』を読んでいたら、突如「国連安保理事会のディナーでヤク料理を予定していたが、その肉が手に入らず、仕方がないので犬肉で代用しようとする」シェフが出てきてびっくりした。なんだこれは。前作でまさかと思ったが、このシリーズはものすごくバカミス臭がしますよ。だって犬探偵だしね。
霞流一さんに教えてあげないと。
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本日校了日だと思い込んでいた原稿が二つあるのだが、一つの原稿を入れた後でもう一方の編集部に電話を入れたところ、明日の昼でも間に合うという返事であった。なんだ、まだ余裕があったのか。でも今日入れるけどね。編集長が変わって、〆切のサバの読み方にコクが出てきた気がする。うーん、マンダム。
まあ、校了日まで〆切を引っ張るのを止めろという話なのです。
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先月の角田光子に続き、今月は宮本昌孝に負けています。
只今苦戦中。というか敗走中かも。命まではお赦しを。
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今日が祝日でお休みだということに、昨夜気付いた。職業病だ。でも編集者はみんな出社しているみたいなので、自分も休めません。
早川書房から『SFが読みたい2009年度版』をいただく。SFのひとたちは仲が良さそうでいいなあ。
以前、自サイトで「哨戒塔」というコーナーを作っていた。自分が文章を書く際、これはなるべくしないようにしよう、と考えている表現をまとめて公表していたのである。公言することによって自覚が出て、そうした表現を使わなくなるという効力があった。最近は更新をサボっているので、おいおい足していこうと考えている。
嫌いな表現の一つに「べきかもしれない」がある。これは、甘ったれていて気持ち悪い。
だって「べき」は「そうすることが義務/適切/妥当である」ことを表す助動詞だ。それに「かもしれない」なんて推量の留保をつけるのは、義務の所在や自己の判断を曖昧にするようで、だらしないではないか。「反省すべきかもしれない」なんてやつがいたら、それは反省する気がないのである。
「べきかもしれない」を使っていいのは、後ろに前の判断を覆すような反論を控えているときだと考えている。
「○○すべきかもしれないが、あえてしない」
これならいいのだ。自らの不徳の致すところで引き起こされた事態があり、なんらかの行動をとったほうが丸く収まるかもしれない。そういう気配が察したときに、それでも初志を貫き、自らの態度を枉げない。世間に喧嘩を売るようなものだが、腹をくくらなければならないことはあるのだ。そういうときに使うために、この表現はとってある。
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原稿が書けなくて苦しんでいるところに「ミステリーズ! VOL.33」が到着。今号はパーシヴァル・ワイルドの「P・モーランと宝石泥棒」が掲載されているのが嬉しい。『探偵術教えます』に未収録だったシリーズ短篇である。
私の「路地裏の迷宮踏査」は、「O・ヘンリーのほら話」。この原稿を書くためにO・ヘンリーの書誌を調べていて、未訳短篇の多さに呆れさせられた(おそらく二百篇ぐらいある)。この作家とフレドリック・ブラウンについては、完訳を目指すべきだ。
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土曜日は、町会→泡坂先生の告別式という順番で出席し、夕刻から慶應推理小説同好会のOB・OG会にも顔を出した。本来は昨年日本推理作家協会賞を受賞した紀田順一郎さんの祝賀会を兼ねていたのだが、諸般の事情で紀田さんが欠席されたため、通常の会に。亡くなった草森紳一さん(あまり知られていないが、KSDに在籍されていた)の追悼の意味もある会である。
深更まで三田で飲み、その後なぜか現代表のK君の部屋へ移動。いい年をして大学生の飲み会みたいな遊び方をしてしまった。しばらくK君のパソコンにいたずらをしてから、某社編集部勤務のN君とタクシーで帰宅。他のひとびとは始発で帰ったそうだ。
日曜日はおとなしく家で仕事。いつの間にかうずたかく仕事を溜めてしまっているので、反省して頑張ることにする。
……と書いたところで某社から文庫解説の依頼が。大物だ。緊張するなあ。
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すっかり忘れていたが、午前十時から町会少年部の打ち合わせがあった。それを済ませて、葬儀会場になった池袋のお寺に駆けつけたのが午前十一時四十五分、焼香の最後にぎりぎり間に合った。
しばし階下で待機した後、会場に招き入れられて最後のお別れをした。会葬者が白菊を持ち、棺の中を満たしていく。私は先生の右手付近に花を置いた。その手の上から、一瞬にして白銅貨が消える場面を見せていただいたことがある。観客の前で数々のマジックを演じた右手だ。手品の道具をペンに持ち替え、紙の上でもやはり鮮やかなマジックを繰り広げてみせた。もう新作を見せてくれることはない。主とともに眠りに就いた右手だ。
棺の蓋が閉じられ、喪主である先生の奥様が挨拶をなされた。
……突然のことで驚かされました。主人は人を驚かすのが大好きですから、今頃はきっと喜んでいると思います。
そうです、びっくりしましたよ、泡坂先生。最後まで先生にはやられてしまいました。脱帽です。
どうぞ、安らかにお眠りになってください。名残り惜しいですが、先生は私たちにたくさんの作品をくださいました。ひとつひとつ、大事にこれからも読んでいきたいと思います。
さようなら。
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心当たりのある店に電話をしてもないと言われたので、もう出てこないものと諦めていたのだけど、某警察署に届けられていた。えっちらおっちら取りに行ってきました。
警察署の窓口に行って携帯電話の落し物を取りにきた旨を告げると、少し待たされた後、無事に私の携帯が出てきた。
書類をして帰ろうとしたら、窓口の女性に呼び止められた。
「あ、お財布を置いたままですよ」
見ると、カウンターの上に財布が。残念ながら、私のものではなかった。
「あ、私じゃないです……」
「え……」
「忘れ物ですかね……」
どうやら、私の前に拾得物窓口に来た人が、受け取ったばかりの財布を置いて帰ってしまったようなのだ。
警察署に忘れ物していくとは、どれだけうっかりさんなのか。
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携帯電話をまた紛失しました。
たぶん路上で落としたような気がするので、出てこないかも。
今から届けを出してきます。
そんなわけで、本日は携帯電話による連絡がとれないので、メールにてお願いします。
べ、別に原稿の催促が怖くて電話を隠したわけじゃないんだからね。
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本日は光文社でインタビューのお仕事。
その後は池袋コミュニティカレッジで講師です。
課題をやった人は人数分のコピーをしてくること(私信)。
コミカレには先日の公開講座の資料も置いてあるので、引き取ってこなければ。
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信じたくないことだが、報道されてしまった。産経新聞
最後にお会いしたのは、一昨年の暮れだった。泡坂さんは、駒込のマンションを引き払い、ご両親が住んでいたおうちの方に移られていた(産経の方で使っている写真は、マンション時代のものだろう)。編集者が「最近連絡を取りづらいんです」と話していたので、健康を害されているのではないかと案じていた。お会いした様子では元気な様子だったので、そのときは少しだけ安心した。
インタビューのために少しお話をうかがい、辞するときに、奥様が「もらったんだけど、年寄り二人だから食べきれないのよ」とおっしゃって、蜜柑を持たせてくれた。その場で一ついただいた。とても甘い蜜柑であった。
穏やかな性格で、お顔から笑みを絶やされることがなかった。座卓の前に座られたところは、居職の職人の風情があった。神田の生まれであることを誇りにされ、決して自分をひけらかすことがなかった。正真正銘の東京っ子であったと思う。私は尊敬しておりました。
どうぞ安らかに。ゆっくりとお休みになってください。
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叶姉妹を主人公にしたオリジナルアニメーションが製作されている。それは知っていたのだが、ギャザリングシステムで、購入者が集まるほど値段が下がる方式になっているというのは初耳だった。購入者1500人までは定価3万円だそうである。それは高いよ! 案の定、現時点での購入者は163人である(2月4日正午)。粉飾しないで、きちんと公表しているのは偉いね。販促や寄贈目的で進呈する分もあらかじめ参入しておけば、もう少しかっこうのついた数字になったのに。
ABUNAI SISTERS KOKO & MIKA の公式サイトはこちら。 購入画面はこちら。
どうだろう、この商品。あなたなら購入したいと思うだろうか。ちなみに500人までの購入者には特典として、以下がついてくる。
・叶姉妹の出席するプライベートパーティにご招待(でも出席者は500人以上だ)。
・購入者クレジットネームをDVDエンドロールに記載。
・特製ゴージャスフィギュア(約16cm)
・直筆サイン。
・特製ボールチェーンフィギュア(約5cm)。
・デジタルトレーディングカード。
16cmのフィギュアがまず迷惑である。フィギュアといっても叶姉妹の実物そのままではなくて、アニメーションキャラクターだから松下進氏のデザインのデフォルメされたものが来るわけである。松下ファンは買うか。私は要らないけど。フィギュアはまだ我慢するとしても「購入者クレジットネームをDVDエンドロールに記載」は激しく迷惑である。ハンドルネームどころか本名が載っちゃうわけだ。これは孫子の代までの恥を晒すことになるのではないか。「おじいちゃんは叶姉妹のアニメを買ったんだってね」って、50年後に言われたいですか。ぶるぶるぶる。
ちなみにフィギュア(16cm)は、1500人までついてきてしまうらしい。買うなら直筆サインがなくなる2001人目からだな。買わないけど。
叶姉妹は好きである。ファンタジーとしか思えない私生活の話はおもしろいし、異分子として世の中にいてもらうべき存在だ。以前「チミの犠牲はムダにしない」で採り上げたが、お姉さんの『3P』は芸能人本史に残る名著だと思っている。
でも好きなのは叶姉妹本人なのである。あの成金趣味で下品なところがいいのであって、アニメーションキャラクターになって可愛くなった叶姉妹には存在価値がない。せっかくだから実写で「プレイガールQ」でも撮ればよかったのに。あと、出演作は成人指定(少なくともR15)にすべきだ。性描写とか残酷場面とか入ってなくても同じ。叶姉妹という存在自体、親は子供に知らせるべきではない。そのかみの嵯峨美智子と一緒だ。
このアニメーションソフトは企画時点で失敗だな。全員特典として叶姉妹によるメイキングDVDがついてくるそうだが(モーションキャプチャーをしたわけでもないだろうに、何をメイキングしたのだろう)、本来はそっちが本編だ。主題歌をマギーミネンコにして撮りなおしたほうがいい。監督は山本晋也でお願いします。たぶんタモリと所ジョージと内田裕也も出るな、それなら。
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仕事のことを考えながら布団に入ったせいか、午前三時に目が覚めた。早起きにも程がある。
本日は都内某所にて海堂尊さんの取材である。この取材のおかげで一月は海堂尊月間になった。
インタビューの仕事をするとき、事前の何日かは下調べのために費やすことになる。したがって、日給にして三日分くらいの報酬が見込めないときは、はっきり言って持ち出しの損な仕事だ。効率だけでいったら、書評だけ書いていたほうがいい。しかし、インタビューのための下調べをすると対象者についての知識を蓄積することになるし、相手の考えをよく知ることもできるので、金銭面の条件を度外視して受けるのだ。自分の中でインタビューとは、下調べが5、現場の話術が2、原稿化が3ぐらいの労力を使う仕事だと考えている。
最初にやったインタビュー仕事は、たしか十年以上前だった。東北新社の中島信也さんにお話を伺ったのである。当時中島さんは日清カップヌードルのCFで何度目かの評価をされていた時期だった。そんな旬の人物に、どんな質問をぶつけたのか、それをどんな原稿にまとめたのか、まったく記憶がない。憶えているのは、どういうわけか原稿を手書きしたことで、何度も駄目だしをされたことである。インタビュー記事は初めてだったので、正直言って子供の作文のような原稿だったと思う。駄目だしのたびに一から書き直し、コンビニに走ってファックスを送った(まだファックスも持っていなかったのだ)。書き直し地獄に陥ったのは自分のせいだが、二度とこんな仕事はすまい、とあのときは思いました。
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仕事で読書。仕事の合間に息抜きで読書。息抜きの途中でついでに読書。
昨日はそんな具合に、本を読む以外何もせずに過ごすことができた。読書に惑溺できる日曜日というのは幸せだ。
仕事の合間の息抜きの途中でついでに読んでいた本が、江口寿史&徳丸真人の『ラーメン道場やぶり』である。徳丸真人という人は名前を存じ上げなかったが、江口さんのマネジメントをされている方で、ワイン雑誌の編集長でもあるという。この二人が、東京都内の有名店をはじめとしたラーメン店を食べ歩き、対談形式で評価を行った本である(都内の店で採り上げられているのは、麺屋武蔵、唐そば、一二三、青葉、永福町大勝軒の五店輔)。
「ラーメンを取り巻く環境がおかしい」という巻頭の提言が明らかにしているように、創作ラーメンをやたらとありがたがるマスメディアとラーメン評論家の言に疑義を呈した内容の本である。だから「道場やぶり」なんですね。「店員が若者ばっかしのニューウェーブ系? みたいなラーメン屋はちょっと苦手」「飾り物の多い店にロクなもんはナイ」といった主張には共感を覚えるので、私は楽しく読んだ。巻末に五つ星のミシュラン形式で各地のラーメン店を評価したガイドがあるので、そこを読んで評価が一致した人は読んでも損をしないはずである。ラーメン二郎目黒店が四つ星、麺屋武蔵が二つ星、ちゃぶ屋が一つ星というのでだいたい評価の軸はわかるはず。ラーメン・プロデューサーが入っている店や事業家系ラーメン屋には総じて厳しい。なかでも苛烈に糾弾されているのが博多・一風堂大名本店で、江口評価は星なし。「高い値段。それに見合わぬ工場の味。どーでもいい味。心のこもらない接客。こんなラーメン食ってたら心が荒むよ」(江口)と散々である。私も本店と恵比寿店ぐらいしか行ったことがないが、その意見には賛成だな。
対談で可笑しかったのは以下のくだり。
T (前略)なんか最近のちょっとこだわった風の店には、こう、仕込んだ素材がなくなり次第、営業おしまい!なんてのが多いけど、あれもねー。(中略)なんか客の方が「売り切れ」をありがたがってるようなさぁ。オーバーだけどそれで店がさらに神格化されうみたいなさ、店の方もそれを意識してやってるみたいなとこ感じるもん。
E うー。なんだか耳が痛いぞ。何故だ。耳が痛くなってきたのは何故だぁ~。
T どっかの漫画家の話じゃなく、ラーメン屋の話をしてんだからね。いい? ラーメン屋の話だからね(笑)。
わっはっは。
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杉江松恋は反省しる! とひさびさに思わされることが短い期間で三度あった。知らない間にそういう気持ちを抱えていたから身辺の出来事から同じことを三度も思ったのか、体験が先にあってそういう気分ができたのか。卵が先か鶏が先かの判断はできない。でも自分の仕事について反省する機会をもらうというのはいいことなのだから、素直に反省しようと思う。反省しる。うん、した。
一回目にそれを感じたのは、先日の「ミステリマガジン」の座談会での某氏の発言からだった。「ミステリマガジン」の書評陣の仕事について、「印象批判が多い」との指摘があったのである。某氏がそうした発言をされるのは初めてのことではないのだが、座談会上での発言ということで、これは公式な批判として受け止めるべきである(編集子は絶対にあの発言を削除しないように)。受け止めた上でどのように反応するかは、書評家それぞれの問題だ。
二回目。某社PR誌の書評原稿を頼まれた。対象となる作家の本を、私はこれまで何度も書評してきている。おそらくプロの書評家と名乗っている中ではいちばん多いはずである。私にとっては、何度でも書評を書きたい作家だということだ。その作家とは、個人的な交わりもある。書評を行う際にはそのことも頭に入れ、身贔屓にならない物言いになるように注意を払ってきた。そうした経緯がありながら、原稿を書く段になって、自らの立ち位置を見失ってしまったのである。「自分語りをしたい。その作家との交わりについて述べなければ、本の真価を語ることはできない」という衝動がどこからともなく噴出してきて、身動きがとれなくなってしまった。みっともない自己愛の形であると認識する。この衝動を乗り越えないかぎり、原稿を書くことはできなそうだ。杉江松恋は反省しる。
三回目。本日のことである。某作家の新刊エッセイを読んでいたところ、書評家の甘えについて書かれた箇所があったのだ。まだ書店に出回っていない本のことだから、内容について触れることは遠慮しておきたい。本が出るまで、少し考えを重ねていくことにする。
もごもご書いて申し訳ない。月が改まる日に、そんなことを考えていました。
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