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(6/9)いい書評について

 書店に行ったら光文社のPR雑誌「本が好き!」があったのでいただいて来た。社長こと豊崎由美さん(崎の字の「大」は本当は「立」です」の連載「ガター&スタンプ屋ですが、なにか? わたしの書評術」を読むためである。

 ご存じの方は多いと思うが、この連載は書評論についてのもので、書評という特殊な文芸ジャンルに籍を置く執筆者の視点から、文壇における書評家の位置づけ、一般読者・編集者の書評に対する意識といった問題が語られている。今後、出版というビジネス形式の中で書評家がいかに自らを処していくべきか、指針になる箇所も多いので、関心を持って読んでいるのだ。これは「メッタ斬り」以降の豊崎さんのいちばん大事な仕事になるのではあるはずだ、と私は考えている。それに何より、おもしろい。語り口がフェアで、かつ評価基準が明確なのがこの連載の美点であり、豊崎流の「よい書評のありかた」がきちんと示されている。

 たとえば今回の連載分では、ある日の全国紙に掲載された書評をすべて読み、五段階にランク付けをするという実験が行われている(その中で書評家にとっては辛い現実が記されているのだが、ここでは特に触れない)。評価の基準は以下のとおり。長くなるが引用します。

 ――D=取り上げた本の益になっているどころか、害をもたらす内容になってしまっている。C=書評になってない。その理由としては、1(注:引用元では丸数字)文章表現が稚拙もしくは言葉足らず、説明不足で何を言いたいのかわかりにくい(朝日における○○○○←引用元では実名、以下同)。2どういう理由があるのかわからないけれど、対象書籍から逃げ腰になっている(朝日における○○○)。3あれこれ書きたい要素を詰め込みすぎて、ひとつひとつのおすすめポイントが全部ぼやけてしまっている(産経における○○○)。4論文のような専門用語の多い堅いばかりの学者文章に辟易させられる(朝日における○○○。日経における○○○○)。B=文章や紹介の仕方自体に魅力があるわけではないのだけれど、原稿料をもらっていいだけの水準には達している。A=取り上げられている本を読みたくなる書評。文章や紹介の仕方にも芸があって、それ自体がひとつの”作品”になっている。特A=もしかすると、取り上げている本を凌駕している可能性すらある傑作書評。トヨザキが百回生まれ変わっても書くことのできないレベルの、わたしにとっては悔しい書評。(「本が好き」VOL.37 P125)

 改行がなくてネット上だと読みにくいかもしれないが、原文通りの引用をしたかったのでご容赦願いたい。元の文章ではC評価をされている書評の書き手も、もちろんD評価を受けた書き手(おそろしいことに一人いる)も実名で書かれているが、豊崎さんの意図は個人攻撃ではなくて書かれた書評自体の批評のはずなので、あえて伏字で引用した。私も以前にダメな書評について箇条書き形式で挙げたことがあるが、ここで書かれた内容にはほぼ同意である。

 理想を言えば、商業原稿としての書評はすべてA以上の水準であるべきだが、実際にはBがほとんどである。私自身、「あれはBの価値しかない」と思う原稿をいくつも書いている。メディアの片隅で埋め草になるだけの書評というのは本当に多いのだ。それがまったく無価値かというとそんなことはない。埋め草書評といえども「誰かの目に触れるかもしれない」「この書評を見た人が、本を手に取るきっかけになるかもしれない」という可能性を孕んだものであることには変わりがないからである。いや、良心ある書き手なら、そうであってもらいたい、という願いをこめて原稿を書いているはずだ。だからこそ、Dのような書評の存在を許しがたいのである。豊崎さんはこの連載の前回で、ネット書店の購入者レビューについて攻撃的に採り上げていたが、そこには書評家としての思いがこめられていた。

 プロであるかアマであるかという執筆者の肩書きは、書評の価値にまったく関係ないものである。そもそも日本の文壇において名前だけで周囲をひれ伏させるような権威のある書評家など一人もいない。自分がそうだと思っておられる方は、『王様は裸だ!』と叫ぶ子供が近くにいないか、探してみることをお勧めします。だからこそ新聞社はこぞって大学教授などの学識者や作家などを「権威づけ」のために書評欄に起用するのだ。

 もちろん、専門知識を要する分野の書籍について書評を依頼する、という場合においては非常に正しいやり方である。専門家の判断を仰ぎたい、という読者もいるだろうからな。だから私なら、上の豊崎さんの評価基準には「専門家としての知見を正しく用いているか」という項目を付け加えたいところである。専門家である、というだけでプラス評価するのではなくて、専門家なのにこの程度、というマイナス評価もありうるということだ。書評の文章がダメなのに、肩書きで下駄を履かせてやる必要はないのである。たとえば小説家が他人の作品を評するときに、小説自体ではなくて、その作家との親交の模様であるとか、作家の人となりだとかを述べることに終始していたら、私は大いに不満を感じる(ただし、それも『読者を読みたくさせる書評』になる可能性はあるので、商業原稿として否定する気はない。そういう同人サークルの褒め合いみたいな文章にもなぜか需要があるし)。

 ちなみに、豊崎さんが連載原稿で最高点をつけているのは、某作家が翻訳作品について書いた書評であった。例によって名前を伏せておくので、実際に「本が好き!」を読んでいただきたい。件の書評が引用されており、私はそれを読んで某作家が好きになった。某作家が採り上げている小説もばっちり読みたくなった。おそらく、この書評を顕彰するために豊崎さんは今回の原稿を書いたのであろう。

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