« (8/11)バカミスじゃない文庫化 | Main | (8/12)本の雑誌 »

(8/12)バカミスのこと、もう少し

 以前「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」でバカミス特集を持ってもらったとき、否定派、肯定派両方の意見を載せたいと思い、バカミスという用語に嫌悪感を表明しておられる作家にお会いして直接寄稿依頼をした。たしか別件でインタビューをしたときに、雑談の形でお願いしたのだったと記憶している。結果としては断られたのだが、その理由は十分納得のいくものだった。要点をかいつまんで書くと、こんな感じ。

「バカミスというものを楽しんでいる人がいることは承知している。ただし、そこに関与することはしないし、否定論を書くつもりもない。公的なメディアで自分が発言すれば、それ自体がバカミスというものの存在を認めたことになるから」

 ああ、なるほど、と思ったのである。これは否定論を書くよりも強い否定の仕方でしょう。つまりメディアでバカミスというものを取り沙汰する回数が増えれば増えるほど、なし崩しに用語が市民権を得ていくことになる。そこに荷担はしません、というわけだ。この方は、かねてより「バカミスという用語にまつわる思考停止の感じが嫌いだ」と発言しておられるので、首尾一貫している。バカミスという用語が市場に流布すること自体を避けたいということだろう。

 バカミスという用語は、関西と関東で言葉の荒々しさが違う、ということを別の方から言われたことがある。関西の方がバカという言葉に不快感を抱く方が多い、ということだろう。バカミス普及の妨げとなっているのはその語感だ、という説もあるのだが、私は違うと思っている。やはり問題なのは「思考停止」なのだ。

 思考停止の感じ、というのはこういうことだと思う。小説にはさまざまなテーマが盛り込まれ、そのテーマを文章に実現するためのプランが凝らされる。小説は世に出た瞬間に作者の手を離れて読者のものになるが、作者はできる限り誤読をされないよう、また誠実な読み手の期待に応えられるように最大限の努力を行って文章を書く。読者は、作者が行間にこめたものを汲み取りながら、自分なりのストーリーを胸中で構成していく。そうした交流によって醸成されるはずのものが「あれはバカミスだね」という一言で片付けられてしまうのが、書き手としても読み手としても許せないということなのだろう。あれこれ委曲を尽くしたのに「結局バカミスかよ」という。

 バカミスは読書の切り口であって、結論であってはならないのである。あれはバカミスだね、なぜならば……という、「なぜならば」が伴わないのであれば、たしかにその読みは思考停止したものに「見える」。「バカをバカと言う」というのは、何も生み出さない閉じた行為だからだ。書評に「バカミス」の用語を使うのが危険なのはその点で、私はかなり前から、文章量に余裕がない媒体での文章でこの用語を使うのは、自粛するようにしている。使うときには、説明責任を負って使うべき用語だということである。

 そんなわけで、この用語が世の中に幸せな形で流布していくことを望む者としては、今後はより一層慎重な姿勢で「バカミス」に接していきたいと考えるのである。バカミスという用語を捨てたり、忘却したりするわけではない。一見関係ないように見える事柄が実はバカミス支援になる、ということがきっとあるはずなのだ。かつて旗振りに携わったものとして、そうした形でバカミスを愛していきたいと思う次第であります。以上、おわり。おわる。おわった。

|

« (8/11)バカミスじゃない文庫化 | Main | (8/12)本の雑誌 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/61260/45905331

Listed below are links to weblogs that reference (8/12)バカミスのこと、もう少し:

« (8/11)バカミスじゃない文庫化 | Main | (8/12)本の雑誌 »