昨日16時30分に「巻頭言」をアップして、24時までにユニークアクセスが500強。これが多いのか少ないのか、私にはわからない。ただ、500人の方がサイトに関心を示してくださったという事実だけは胸に刻みつけておきたいと思います。ありがとうございます。ブログやtwitterなどで話題にしてくださった方、はてなスターを贈るという形で期待値を表明してくださった方、心よりお礼申し上げます。
明日から本格的に更新が始まります。どうぞご期待ください。
翻訳ミステリー大賞シンジケートのURLはこちら。
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翻訳ミステリー大賞シンジケート、一般公開しました。
今日明日表示されるのは、「巻頭言」のみです。
それ以降は、ウィークデイは基本的に毎日コンテンツが更新されます。
新刊情報なども頻繁に寄せられると思いますので、どうぞ読書の楽しみに活用ください。
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「翻訳ミステリー大賞シンジケート」は、十月一日にオープンの予定でしたが、すでにいただいている一日分のコンテンツが結構分量も多いものであるため、一部前倒しを検討しています。
というのは、サイト設立の趣旨に関する巻頭言と他のコンテンツを同日にアップしてしまうと、双方がかすんでしまう可能性があるからです。せっかくなので、巻頭言のみ先に公開させていただこうかな、と。
ただいま事務局内部の調整中、もう少しだけお待ちください。
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新潮社のPR誌「波」をいただいた。
今月の新潮文庫新刊『レポメン』の書評を書いたのだ。作者はあのエリック・ガルシア。
ガルシアといえば、恐竜が人間の皮をかぶって現代に生き残っているという、素晴らしき設定のSFミステリーを書いた人だが、これも近未来SF小説である。人工臓器移植の技術が発達し、誰もがクレジット払いで手術を受けられるようになった時代。支払いが滞った者から、借金のカタに人工臓器を取り上げる仕事をするのがレポメンだ。取り上げられた人間はどうなるって? 知らないね。金を返さなかった奴が悪いんだ。
金がなければ腎臓を売れ、とは脅した社員がいた金融は日栄だったか(『ミナミの帝王』を参考にした、というのは事実なのか)。それ以上に非情な物語が、渇いた笑いとともに語られます。主人公がやたらと女にだらしない男に設定されているのも、またよし。『馬鹿まるだし』と『キャッチ22』が合体したような物語である。
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角川書店から『女王様と私』の見本をいただいた。文庫解説を書いたのである。
やけに字数制限の厳しい原稿依頼だと思っていたら、本当にぎりぎりのページ数だった。全体のページ数は496ページ。本文は484ページで終わっていて、解説は5ページ分ある。その次が奥付けで、そのまた次がもう最終ページ、「角川文庫発刊に際して」である。これだけ余裕がないページ構成も珍しい。
え? それじゃあページ数が合わないって? 解説のページ数がおかしい?
そこに気付きましたか。そうそう、足りない分のページには、実は……(ネタばらしにつき自粛。本屋さんで買って読んでくださいな)。
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幻冬舎から、解説を書いた『骸の爪』の見本をいただいた。
解説の一節を広告用に使う由聞いていたが、あいにくどの新聞だか忘れてしまったのです。どこだっけか。
『骸の爪』を読めば、十二支シリーズ前に道尾さんが達していたポテンシャルの高さがよく判ると思う。よく考えられ、細部まで矛盾なく詰めてある構成を褒めるべきなのはもちろんだが、後の道尾秀介らしさもきちんと盛り込まれている点が良い。なによりも良いのは、「自分の小説を書く」という行為への喜びが、行間から滲み出ていることだ。再読し、改めてそう感じた。これを取っ掛かりとして道尾作品を読むと、なじみやすいだろうと思う。
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書評のために志水辰夫『つばくろ越え』を読んでいたが、あまりに完成度が高いのでびっくりする。
江戸時代の飛脚を主人公にした連作なのだが、収録作四篇がどれもおもしろすぎる。
ミステリーファン向けに書くと、これはジョー・ゴアズ〈DKA〉シリーズの使命を帯びた集団を主人公にする趣向と、ダシェル・ハメット〈コンチネンタル・オプ〉シリーズの、パーソナリティの表現を抑えた主人公の視点によって紡がれる物語とが融合した、素晴らしきハードボイルド小説だ。「出直し街道」の結末で主人公が口にする台詞なんて、まんまチャンドラーではないですか。
時代小説だが、ミステリーの味付けもきちんとある。これは読んだほうがいいです。すげえなあシミタツは。
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うっかりしていたが、見本誌をいただいていた。
今月号は誉田哲也さんのロングインタビューと全作品リスト、それに急逝された北重人さんの追悼特集が掲載されている。
北重人さんとは、一度しかお会いしたことがない。今年の大藪春彦賞授賞式の二次会パーティーでご挨拶したのが、最初で最後の機会となった。物腰の柔らかい紳士だと好意を感じた(例によって、筆名から私を女性と勘違いしていたと言われた)。『汐のなごり』について、二言三言感想を申し述べたのだろうか。あまり話した内容は記憶していない。同書は、エロティックな文章表現と枯淡とした人生観とが結合を果たした、素晴らしい短篇集である。還暦を過ぎてからデビューされた北さんは、末枯れたところのない、艶やかな文体を持った作家だった。もっと生きて、北さんにしか書けない小説を、たくさん読ませていただきたかったと心から思うのである。だが今は安らかにお眠りください。
今月号のブックステージは、山本幸久『床屋さんへちょっと』、恒川光太郎『雷の季節の終わりに』(文庫化にあたって一章を書き足した完全版である)、曽根圭介『図地反転』の三冊を採り上げた。機会があればご一読を。
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三沢光晴『理想主義者』が文庫になるので買おうと思っていたら、版元からいただいてしまった。感想を書く機会がなさそうなので、せめてもということでここに記しておく。
これは自伝のたぐいではなく、プロレスリング・ノアを旗揚げした三沢が、社長レスラーとして団体を率いる立場から、自身のプロレス観を言葉にした本である。夢へ向かって努力する大事さを繰り返し説いているので、指南書のたぐいとしても読むことができるだろう。プロレスファンにとっておもしろいのは、ノアのレスラーが使う技について解説をした箇所だろう。投げっぱなしジャーマンの受身の取り方などが丁寧に書いてある。
この技は攻撃をする選手の腕を放すタイミングしだいでダメージを与える場所が変わってくるという特質があるのだ。身体を反りきらないうちに離せば相手を上方に投げ、ある程度反らした状態で投げれば後頭部を叩きつけることになる。(中略)
上に投げられるパターンを見誤り、自ら飛んで受け身を取ろうとしたなら、自らの跳躍によって増幅された高さと、身体を動かしたことによる不安定さから、何の対処もできずに頭をマットに打ちつけることになる。(後略)
なるほど。
こうした技術論の部分は純粋に楽しいのだが、時折哀しくなることがある。「受け身を取れなくなったらそれが辞めどき。受け身が取れているうちにはがんばらなければ」というような言葉を見ると、人はそこまでぎりぎりに頑張らなければいけないのか、と切なくなる。また、ゴールデンタイムで放映されていなくても(深夜の放映でも)試合の熱意はいずれ観ている人に届く、自分たちがプロレスを楽しんでいれば、観客にとっても満足できる試合になる、といった理想論については、まさかこのとき放映自体が無くなるという事態までは想定していなかっただろうなとか、選手が自由に振舞いすぎてマッチメイクが錯綜するようになったのは誤算だったろうな、とか、つい現状と比較してしまうのである。
ここに書かれているのは貴い理想だ。残された選手たちには、三沢光晴の言葉をもう一度胸に刻みなおし、その偉業を引き継いでもらいたいと切に願う。
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twitterなるものが世の中に出てきて、瞬く間に流行ったかと思えば、今度はmixiでもボイスなる機能ができて、頼みもしないのに、短いメッセージが表示されるようになった。これ、消せないのである。仕方がないので、その辺をあまり見ないようにしている。そんなにつぶやきたいものか、と思うのである。
mixiを始めたころは、まだブログも始めていなかったので、書きこんだ日記を通じて他の人とつながりを持つという体験が、たいへんにおもしろく感じられた。同じ業界ながら実際には顔を合わせたことがない方や、まったく別の世界で活躍しておられる方と接触する機会があった。そういうときの言葉のやりとりには、新鮮な発見があって楽しかったものである。自分の日記にコメントがつく感じというのも、あれはなかなか楽しかった。かまってもらう楽しさだな、あれは。かまってくれないと、気を引きたくなってつぶやくわけだ。自分も結構内容のないことをつぶやくことが多かったのだが、さすがに大人げないと思い、今は自重している。自重した結果があれかよ、とmixiの日記をご存じの方は言われると思うのだけど。まあ、趣味の同人に向けて細々と語りかけているわけである。
思うのだが、つぶやいてばかりいると必ず疲弊する。沃野の如き発想力をお持ちの方ならいいのだが、私のような凡人は、考えていることを次々に外に出していたら、しまいには何も無くなるはずだ。いや、何も無くなるのはいいことである。洗いざらい出してしまって、また新しいことを入れればいいのだから。そうではなくて、言葉を推敲せずに考えを漏らす行為自体が問題なのだ。言葉を練らなければ頭が枯れる。いざとなったらいくらでも言葉を紡げると思ったら大間違いで、普段から練習をしていなければ、頭の中を文章として表すことは難しくなる。少なくとも私はそうだ。もしかするとこれは老化の果てか。時代に取り残され始めている証拠なのか。だとしたら困るが、いずれにせよ、つぶやかずに立ち止まって、言葉を練る以外に方策がないのだからやむをえない。
つながりを持つのはほどほどにして、つぶやかないで生きていこうと思います。つぶやきたくなったら、家族や友人と話すよ。だからお酒でも飲みに行きましょうな。
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世間は五連休だが、自由業の身には関係ない(シルバーウィークなる、あまりぞっとしない造語は使いたくないものですね)。本を読み、原稿を書き、「翻訳ミステリー大賞シンジケート」の準備を進める毎日だ。
同サイトの管理人は私なのだが、発起人は別にいる。したがってサイトの公開後は、設立趣旨などに関するお問い合わせについては、発起人の代表者からお答えさせていただくことになる。サイトが見にくいといった、技術面に関するお問い合わせは、私がお答えします。
その技術面が問題で、なにしろブログを始めたのも遅いため、泥縄式に勉強を始めている。忘れかけていたhtmlの知識を復活させるため、あちこち検索している最中だ。はじめはパッとしないデザインになるかもしれない、とお詫びしておく。しろうとで申し訳ない。ある程度サイトの運用が軌道にのったら、また展開を考えますので。
今回の件は、翻訳ミステリーというものに対するご恩返しだと私は考えている。なにしろ、「杉江松恋」という筆名は、「ミステリマガジン」に寄稿するために考えたものなのだから。業界全体に貢献するなんて口はばったいことは言わないが、できることはやるのである。やるんだよ。
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来訪者数が急に増えたと思ったら、藤原義也さんがリンクを張ってくださっていたのですね。
ありがとうございます。
サイトの公開まであと十日余りあって申し訳ないのだが、先にお教えできる情報だけ書いてしまう。
このサイトの主要コンテンツは月曜日から金曜日まで毎日更新されるエッセイやコラム、書評である。基本的に内容は翻訳ミステリーに関することだけ。あれこの方が、と思うような豪華な執筆陣が加わってくださる予定なので、どうぞご期待ください。それ以外でも、随時情報が入り次第サイトは更新していく。各社から新刊情報が届いたら、なるべく早くアップするようにしますので、発売日前の購書検討用にも使っていただきたい。
問題はあれだな。私が管理人だということだな。大丈夫か。大丈夫じゃないような気もするけど、やるんだよ!
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夏ごろから動き回って準備していた新サイト「翻訳ミステリー大賞シンジケート」が、いよいよ十月一日から公開できることになった。URLはこちら。http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/
(現時点では、工事中のため閲覧制限がかかっています)
翻訳ミステリーに関する総合情報サイトとして活用していただければ幸いである。公開まで、少しだけお待ちくださいな。
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この十月からCS「ミステリチャンネル」は「AXNミステリーチャンネル」に名称変更する。資本関係がいろいろあったみたいだが、詳しくは各自検索。
それに伴い、現在の情報番組「ブックナビ」も題名が「ブッククラブ」となり、内容も多少変更になる。どこがどう変わるのかは観てのお楽しみだが、視聴者参加型の企画も準備されています。
というわけで、昨日は新生ブッククラブの第一回収録のため、都内某所に行ってきた。これまでは司会の豊崎さんに振られるまではぼけっとしていてよかったのだが、フリートークの時間が増えたため、自然と発言回数も多くなった。芸人でもないしろうとに、フリートークはしんどいです。仕方がないので、いろいろと資料を準備して、情報量で話芸がないのを補うことにした。おお、書評家としては正しい努力の方向性だ。第一回のトークのお題は「シャーロック・ホームズ」であった。どんな内容になったかは、オンエアで私も確かめようと思います。
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更新しました。
今月採り上げたのは、
『フリーター、家を買う。』有川浩(幻冬舎)
『密室から黒猫を取り出す方法』北山猛邦(東京創元社)
『メリリーの痕跡』ハーバート・ブリーン(論創社)
『さらば雑司ヶ谷』樋口毅宏(新潮社)
の四冊。『さらば雑司ヶ谷』はあちこちで話題になっているようで嬉しいです。書けるときに書評をやっておかないとな。
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はてなの事務局から、「一年以上利用がないから今までのポイントは取り消すぞコラ」というメールがきた。乱暴な制度だとは思うが、溜まったポイントはすべて質問に答えてもらったものなので、それほど執着はない。
だもので、はてなで質問をして使ってしまうことにした。こういう質問である。
「原文が日本語で書かれた小説・随筆の中で、あなたが「これを英訳したら世界の多くの読者を獲得できるはずだ」と思う作品を挙げて、その理由も教えてください。ただし古文・擬古文で書かれた古典作品と、すでに何度も翻訳されているものは除きます。できれば1945年以降に書かれた作品を希望いたします」
なにかおもしろいことを思いついた方は、答えてみてください。お一人三回まで回答できるようになっています。ツリー形式の「いわし」になっているので、他の人の回答にぶら下げて回答することも可(らしい)。
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村上春樹さんが毎日新聞社のインタビューに答えて、『1Q84』のBOOK3を執筆中であることを明かしている。
インタビューはこちら。
小説の構成要素の執筆意図などについて触れた部分があるので、未読の方で先入観を持たずに本を手に取りたいと考えている人は注意されたい。物語の力について言及した箇所などは、自分の読みと照らし合わせて納得することが多く、私は興味深く読んだ。
それにしても文芸誌なら「独占インタビュー」と書くところを「単独インタビュー」か。単独インタビューの反対語は囲み取材なのかしら。総理大臣の囲み取材のあとで単独インタビューに成功しました! とか言われるのならわかるのだけど。
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第二十七回横溝正史ミステリ大賞を受賞した『首挽村の殺人』に文庫解説を書いた。その文庫と、同シリーズの第三作になる『霧の塔の殺人』の見本をいただいた。
大村さんは故郷の岩手県に住み、地方のミステリーを書くことに独自の価値観を見出している作家だ。その作品は岩手県を舞台にしているが、横溝正史の岡山臭がするライト・モチーフが扱われている。『獄門島』や『八つ墓村』の岡山臭だ。これは偶然ではなく、横溝正史の作風を現代的に換骨奪胎しようとする試みの結果だろう。
横溝正史が戦時中に起きた大量殺人事件から触発されて某作品を書いたことは有名だが、あの事件などは昭和の時代よりもむしろ現在の視点で見返したほうが理解しやすいものだという気がする。現にここ数年、弱い人間が鬱屈を抱えた末に爆発した同じような事件が、何度もニュースで報道されている。過去の因習の中だけに原因があるのではなく、人間の普遍的な脆さが事件となって現れてしまったものと見るべきなのだ。
横溝の岡山作品が風化せずに残っているのは、こうした普遍性をすくいとれるだけの強靭さが備わっているからだ。大村さんは、平成の事件や社会現象を題材にして、同様の強い作品を書こうと取り組んでいる。
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十月一日から始まる某プロジェクトの準備のために忙殺された一日でした。ミステリーファンのため、と言っては口はばったいが、少しはお役に立てる企画なのではないかと自負している。今月末に出る「ハヤカワミステリマガジン」に最初の告知が載るので、関心がある人は雑誌を手にとってみてください。
とりあえず作業の五十パーセントは終わったかもしれない。この後の過程がたいへんなのだけど。
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光文社シエラザード文化財団から手紙をいただいた。
毎年恒例の日本ミステリー文学大賞の候補者推薦用紙である。要項によれば、「すぐれた小説・評論等の活動を通して、わが国のミステリー文学に刺激を与え、その進歩向上に貢献した、現存する作家および、評論家個人」に贈られるもので、これまで佐野洋、中島河太郎、笹沢左保、山田風太郎、土屋隆夫、都筑道夫、森村誠一、西村京太郎、赤川次郎、夏樹静子、内田康夫、島田荘司の各氏が受賞されている。また、特別賞が鮎川哲也氏に。これはたしか物故のタイミングが悪く、授賞が間に合わなかったのではなかったかと記憶している。
基本的に「現存する作家および、評論家個人」が授賞対象なのだが、「但し、過去一年以内に物故された方も賞の対象とする」とある。この但し書きは以前にはなかったように思う。
毎年投票をしているので、今年も一票を投じたい(選考は十月十九日で、阿刀田高、逢坂剛、権田萬治、森村誠一の各氏が選考委員を務められるそうである)。今年は、泡坂妻夫先生に投票するしかないだろう。お亡くなりになったのは今年の二月三日で「過去一年以内に物故」の条件にもぴったり当てはまる。日本推理作家協会に所属されている方はたぶん投票権をお持ちだと思うのだが、推薦用紙に記入される際にはぜひご一考をお願いします。
記念すべきデビュー作を収めた作品集。
今年刊行された某話題作に影響を与えた一作。
最後にお目にかかったのは、この作品に関する回顧インタビューで自宅に伺ったときだった。
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書類棚がいっぱいになったので、整理をして要らないものを捨てた。旧いものはあらかた捨ててしまったのだが、裁判の記録のみはそうせず、重複する書類だけを廃棄した。残りは段ボール箱に詰めて物置に残しておくのだ。段ボール箱に入れてしまえば、かさもぐっと減って、これだけのことだったのか、と驚くほどである。だが、この裁判に、何年ものあいだ振り回されてきた。
事の起こりは、現在の住居を建てたことである。それまで住んでいたのは貸間で、子供が生まれて手狭になったことで、引っ越さざるをえなくなったのだ(2LDKの一間が私の書斎というか物置になっていた)。「車庫は要らないから書庫を」という注文は、建売住宅にはなじまないものである。いろいろと物件を見て歩いた結果、地所を買って自分で工務店と契約し、建てるという結論に達した。注文住宅というやつである。予算が乏しかったこともあり、それからの業者選びも難航した。当初は鉄筋コンクリートで作ることを考えていたのに、木造建築に変更した。地所の前の路地が狭く、コンクリートを入れるための作業車が入れなかったからである。木造建築の身体に優しい家を作る、という触れ込みの業者を訪ねていったら、モデルルームのセンスがとんでもなくて逃げ帰ったこともあった。本当にいろいろあったのである。おまけに銀行からの建築資金借り入れには条件があって、期限までに竣工している義務があった。ほうぼうの業者に断られたが、ようやくのことで手を挙げてくれたところが一社あったのだった。
最初は救いの神のように見えた。地元で何軒もの家を作っていて、その工務店が建てた家が並んでいるため○○通りと名がついている、と胸を張っていた。社長は高齢だったが、いかにも年季を積んだ職人肌の人に見えた。経験がありますから任せてください、と言われ、頼もしく思ったものである。
雲行きが怪しくなったのは、最初の着手金を支払ってからである。「予算も限られているので、前もって資材を一括発注します。そのほうが割安になる」と言われて契約金額のうち半金を振り込んだ。師走の押し迫ったころである。ところが、年内に基礎のコンクリートを打つという約束が守られず、年が明けても一向に着工する様子がなかった。しびれを切らして督促し、ようやく動きがあった。その時点で、五月のゴールデンウィークに引越しという約束は危なくなっていた。それどころか、梅雨の時期までに棟上という予定さえ見えなくなっていた。九月には借間を出なければならないというのに、竣工予定日は不明のままだった。
こんな感じで、半年にわたる工務店との闘いの日々が続いた。どうやらその業者は資金繰りに困っていたらしく、渡した金を運転資金に注ぎ込んでいた形跡がある。その証拠に、すでに半金を渡しているにもかかわらず、打ち合わせと称してたびたび現れては、「このままでは倒産して工事が中断する危険がある」などといった言葉を吐き、少しずつ残金の無心をしていったのである。工事が終了し、入居がかなったのは、当初の予定から五ヶ月も遅れた秋の日のことだった。それでもまだ、出来ただけまし。あんな業者に頼んだ自分が悪かった、と勉強をしたつもりになっていたのだが、さらにその先があった。
なんとその業者が、追加工事代金と称する、心外な額の支払いを求めてきたのだ。当然のことながら蹴っ飛ばし、知人の弁護士さんを通して交渉するように連絡した。そのころにはもう、顔も見るのも嫌だという気持ちになっていたからである。もちろん交渉のテーブルにつく意志はあったが、いくら法的に必要な話し合いとはいえ、そんな心無い仕打ちをした人間の顔をもう一度見るのは嫌だ、と思っていた。いや、願いはかなうものである。テーブルにつく必要はなくなった。業者が、支払いを求める訴えを起こしたからだ。人生初の「被告」だ。そこから約二年半、労のみ多くて得るもののない民事裁判の日々が続いた。
そんな辛い思い出も、詰めてしまえば段ボール一箱だ。堪忍のなる堪忍は誰でもする。ならぬ堪忍するが堪忍、堪忍のふくろをつねに首にかけ、やぶれたら縫え、やぶれたら縫え、とな。袋ならぬ箱に過去を詰め、もうこのことは忘れよう。はあ、どっとはらい。
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早川書房から見本をいただいた。解説を担当したレックス・スタウト『黒い山』である。しゅえっと社の西貝マリ訳でお持ちの方もいるかと思うが(少数派だろうけど)、宇野輝雄訳で喋るネロ・ウルフとアーチー・グッドウィンをご堪能ください。
スタウト・ファンには説明の必要もないだろうが、『黒い山』はシリーズ中の最大の異色篇である。ウルフの幼馴染みのマルコ・ヴィチッチが銃殺され、探偵自身が重い腰を挙げて西三十五丁目の我が家からモルグまで赴く、という事態だけでもかなり異例のことなのだが(ウルフは、自分が必要と認めなければ、決して外出しようとしない人間なのである。それが警察官や、検事の求めであっても)、もっと驚くべきことが起きる。マルコの死に続き、ウルフの養女までが何者かに殺害される。彼女は、ウルフたちの故郷であるモンテネグロに戻っていたようなのだ。その報を受けたとたん、アーチーも呆れるような機敏さでウルフは出国手続きを済ませ、生まれ故郷であるバルカン半島へと飛び立っていくのだ。
モンテネグロはチトー政権のユーゴスラヴィアに属する。秘密警察の恐怖によって支配された地で、ウルフがジェームズ・ボンド顔負けの働きを見せるのである(イアン・フレミングが007シリーズの第一作である『カジノ・ロワイヤル』を発表したのは、本書と同じ一九五四年のことだ)。ただし、体重が七分の一トンにも及ぶウルフのことである。普段はまったく使っていない彼の足がそんな活動についていけるはずがない。結局ウルフは足の痛みについて文句を言い続け、アーチーを閉口させるのである。まあ、それはそうなるでしょうね。
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共同通信社配信で、八月三〇日の地方紙に書評が載ったそうである。昨日見本紙をいただいて、掲載日が判明した。お題は今野敏『同期』。今野さんにしては珍しく、若者を主人公にした警察小説だ。
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某誌に拙稿が掲載されたので見ていたら、プロフィール欄に見慣れない文字が並んでいた。
「コラムニスト」
ふむふむ。私の定義では、コラムニスト→データを元にした原稿を書く人、エッセイスト→自分の体験談を切り売りする人、なので、これは間違いではない。でも、書評家の肩書きが前にこないのは珍しいな、と思っていたら、それに続いて、
「テクニカルライター」
とあった。
なるほど、テクニカルライターですか。たしかにテクニカルライターである。書評家というのは、文章の技術を評価する仕事でもあるのだから。そのために日々本を読み、文章技術の知識を蓄積しているわけだ。この編集者はよく判っているなあ。そう、喜んだのもつかの間。
「著書に各誌で発表されたスポーツコラムをまとめた(以下略)」
とあり、間違いに気付いたのでした。他の執筆者のプロフィールが入っちゃったんだね。
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創元推理文庫の見本を頂戴した。解説を担当したジム・ケリー『水時計』である。
ケリーは、ドロシイ・L・セイヤーズの『ナイン・テイラーズ』に人生を変えられたと公言している作家で、本書にもその影響が如実である。いわゆる黄金時代の作風を、現代に甦らせることに挑戦した作品なのだ。自分で解説を書いた作品なので宣伝するのも気が引けるが、フーダニットとしておもしろいです。
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昨日は調整日としかいいようのない一日だった。しばらく顔を出していなかったせいで溜まったPTA関連の案件を片付けて、送り忘れていた契約書だとか請求書だとかを送って、洗濯機がいっぱいになっていたんで回して、冷蔵庫の中をすっきりさせるために野菜をたくさん使った豚汁を作って。あ、いや。それは調整とは言わないか。
調整したことの一つが、ここ数ヶ月取り組んでいるプロジェクトのお仕事。これまでは身内でこちょこちょやっているだけだったのだが、昨日初めて媒体に公表した。といってもたいしたことではなく、早川書房の「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」の読者欄に、ある告知を投稿したのである(編集部了承済み)。今月末に出る同誌を読めば、何をしているのかが判ります。巻末の「響きと怒り」のところね。
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今週号の見本到着。「ミステリー一冊決め」は、アントニー・レジューン『ミスター・ディアボロ』である。
一九六〇年に書かれた不可能犯罪ミステリーで、のっけから人間消失と密室殺人の二本立てで読者を驚かせてくれる。トリックもさることながら、伏線回収の手つきが好ましい一冊である。
しばらくやってきた同誌の書評だが、リニューアルで少しだけ形態が変わる予定。
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本日午前は9月度のPTA運営委員会に出席してきた。夏休み明けで議題が少なく、ほとんど私が振った話で終始していた。全保護者を対象としたアンケートを実施する予定があり、その趣旨説明が必要だったのである。できれば今日のうちに印刷までこぎつけたかったのだが、校長先生が不在だったため、文章の承認が得られず、後日回しになってしまった。商業原稿と違って、責了の権限が著者ではなくて学校側にあるから困る。当然なのだけど。
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卒業した高校から送られてきた定期通信の印刷物を見ていたら、いくつか下の学年の女性が映画監督になって、現在では海外に住んでがんばっている、という記事が出ていた。名前におぼろげながら見覚えがある。間接的に知っているあの人か、と思い当たった。
その情報をもらったお礼、というのでもないが、高校の卒業生名簿が更新される際に、いくばくかの寄付をすることにした。こういうことをするのは初めてである。大学以前の過去を懐かしいと思ったことがないからだ。すべて、終わったことだと思っていて、同級生に連絡を取ったことは一度もない。たぶん、何か特別の機会がなければ、一生会うことはないだろう。名簿に寄付をすると、寄付者の一覧に名前が載るらしいので、それで「生きてます」という信号だけ送っておこうと思う。生きているけど、それだけ。別にかかわりを持ちたいわけではない。義理を果たしたいだけだ。
先日のミス連合宿ゲストに来られた辻村深月さんが、新作『太陽の坐る場所』成立経緯について、「高校の同窓会に気安く参加できる人とできない人がいる。私は間違いなく参加できないほうで、参加できる人の気持ちが判らない、と考えたときにこの話を書こうと思った」という趣旨のことをおっしゃられた。案内状をもらったとしたら、私も参加できないと思う。案内状を送ってきた人間のことを怨むかもしれない。せっかく過去のことは忘れて前だけを見て生きているのに、と。なるほど、たしかにこの気持ちは「参加する」人には判らないはずだ。「どうしてそんなことで怒るのかわからない」とか言われそうですね。
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朝までかかってレギュラー原稿を一本書き、ひと眠りしようと思ったのだが、傍らに置いてあった『ワンピース』最新刊に手を出してしまったのが運のつきだった(仕事が一段落するまで、と思って取ってあったのだ)。眠りたいのに眠れない。脳が興奮してしまってしかたがないのである。まるで覚醒剤だ。どうしよう。仮眠をとったら、もう一本原稿を書く予定だったのに。
とりあえずもう一回読む。
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先日お会いした際に北上次郎さんが「何の気なしに読んだら凄かった。お前も読め読め」と薦めてくださった『さらば雑司ヶ谷』を読んだ。仕事の合間にぱらぱらと眺めていたのだが、九ページで出てきた「俺たちは垣根を飛び越え、娯楽映画の巨匠鈴木則文が一九七七年にメガホンを取った傑作『ドカベン』において、岩鬼役の高品正弘が破壊した鳥居の前を通り」という文章にやられ、一気に読み終えてしまった。なんだこのセンス、すっげー(北上さんが凄いと言っているのは、おそらく別の部分だと思うが)。
編集者がつけた「『不夜城』+『私が殺した少女』そして漱石著『こころ』(!)」というコピーだけでは内容が把握しづらいし、帯のあらすじも物語の肝腎なポイントを敢えて外して書いてある。みうらじゅんと白石一文の推薦文も、未読の人間にはよく判らないものである。みうらじゅんなんて「樋口さん、読みましたよ。小説スゴイじゃないですか!」って、ほとんど私信だ。芸能人が書いた小説みたいな推薦の仕方なのだが、樋口毅宏という名前は誰も知らないのである。これじゃ推薦の意味がないよ、みうらさん。
これは戦略なのかもしれない。何がなんだか判らないけどとりあえずおもしろそう、という雰囲気だけ読者に伝わって、ページをめくってくれればいいという(私はそうだった)。でも伝わらないよなあ、これじゃ。なので、一部の好き者の方にだけメッセージを送っておきます。巻末にある、謝辞と参考文献一覧のページを見て、びびっと来たら本を買うとよろしい。逆に言うと、ここに並べられているタイトルに少しも反応しない人は、絶対に買わないほうがいい作品だ。参考までに、参考文献(資料?)の一部を紹介しておきます。
1)書籍部門 『池袋ウエストゲートパーク』『ぼくは微動だにしないで立ちつくす』『カメレオン』(マンガ)
2)映画部門 『ドランクモンキー 酔拳』『ビヨンド・ザ・マット』『サンセット大通り』
3)その他部門 電気グルーヴのオールナイトニッポン、円谷幸吉と川端康成、『ニャン2倶楽部Z』
さあ、どうだ。
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まったくどうかと思うくらい『粘膜人間』『粘膜蜥蜴』がおもしろいのだが、さらなる飴村行情報が入ってきた。入ってきたって、飴村さんご本人に直接聞いたんだけどね。
来年春に向けて鋭意執筆中の新作は、
『粘膜兄弟』
という題名になるそうだ。なるほどそうきますか。
題名から脊髄反射的に連想したのは菅原文太・川地民夫主演の〈まむしの兄弟〉とか、ジョン・ベルーシ&ダン・エイクロイド『ブルース・ブラザース』の線なのだが(『サボテン・ブラザース』だったらどうしよう)、もちろん飴村行なのだから『バスケットケース』の可能性は高いわけなのだし、『粘膜蜥蜴』のことを考えれば意表をついて『レインマン』路線でくることだってある。予想がつかず、どきどきするではありませんか。
とにかく『粘膜兄弟』が楽しみだということです、兄貴!
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昨日から泊りがけで実家に戻っていた。さっき帰ってきて、『新宿警察』の続きを読んでいるところ。
徳間書店から「問題小説」十月号の見本をいただいた。今月採り上げたのは、沼田まほかる『アミダサマ』、米澤穂信『追想五断章』、瀬尾まいこ『図書館の神様』の三冊。書いたあとで、『アミダサマ』について沼田さんが「野性時代」のインタビューに答えていたことに気付いた。先に気付かなくてよかった。読んでいたら、内容まで影響されるところだった。
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引き続き藤原審爾の読書中。報知新聞社版の『新宿警察』を読み終え、『マリファナ殺人事件』を読み、今は双葉社版の『新宿警察』を読んでいる。「新宿心中」という、不器用な山辺刑事を主人公にした話を読んでいたら不覚にも胸に熱いものがこみあげてきた。忘れていた大事なものを思い出させられるような気持ちになる。『新宿警察』は、やはり日本ミステリー界の宝である。
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早川書房からメール便が届いた。新刊にしては薄いな、と思い開けてみたところ、中に入っていたのは三冊の冒頭部分のみを抜き出したパイロット版である。
この十月から、「イソラ文庫」という新しいレーベルを立ち上げるらしい。イソラはISOLA、コピーをそのまま書けば「いまを生きる女性たちが、ほっと一息つける場所。そんなイメージで「島」という名前の文庫ができました」ということらしい。文芸作品からロマンス、コージー・ミステリといった分野の作品を収録し、月二点を刊行する予定。初回の十月のみ三冊が発売になる。ラインアップのタイトルだけ書いておこう。
アディーナ・ハルバーン『人生最高の10のできごと』(文芸エンターテインメント)
ミシェル・スコット『おいしいワインに殺意をそえて』(コージー・ミステリ)
テレサ・マディラス『月の光に魅せられて』(ロマンス)
感じとしては、ヴィレッジブックスやランダムハウス講談社文庫だ。健闘を祈りたい。他の翻訳書と並行して出していくことになるのだと思うが、こういうのは最初が肝要なので、確実に売れるタイトルがいるだろう。リリアン・J・ブラウンなどはもうイソラ文庫で出してしまうことにしてはどうか。全点カバーかけ替えで。既刊を持っているファンが迷惑するか。そうか。
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二〇〇〇年に刊行された、中田潤『三沢さん、なぜノアだったのか、わかりました』が新装版として再版されていたので読んでみた。巻頭にやたらと汁気が多い追悼文が収録されているだけで、あとは元版と大きな異同はない模様。それはいいのだけど、元版の誤植ぐらいは直してはどうか。「ジャイアンと馬場」にはちょっと笑ってしまった。武道館でリサイタルでも開くのか。
中田は、三沢光晴がプロレスリング・ノアを設立した背景に、レスリングを軸とした試合運びを導入することがあったのではないか、という推論を立てている。大技連発の四天王プロレスに慣れた観客に迎合することなく選手に負担のかからない方向性を目指した、というのだが、判断材料が旗揚げ戦しかないのがちょっと痛い(旗揚げ後四ヶ月で本が出ているから仕方ないのだが)。旗揚げ後、秋山準が台頭した事実などを考えると、中田の考えは一応当たっているように見える。ノアの試合を観戦した体験があまりないのでいい加減なことは言えないが、そうした理想と興行収入を上げるためにはファンサービスをしなければならないという現実の課題との間で葛藤し続けたのがノアの九年間だという気がする。
単なる讃美本にはなっていないので、一読の価値はあると思います。過剰な思い入れが文章に籠められているのが、読みにくさにつながる箇所はあるんだけど。
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太陽が昇るはるか前に起床し、原稿を一本片付けた。午前一時半起きというのは早起きとはいわないか。昼夜逆転? 拙宅は繁華街から一本入った路地にあるのだが、午前三時ぐらいまで通り過ぎる酔客の声が聞こえていた。彼らは今から帰って就寝(帰れない人もいるのかもしれないけど)、私はもう仕事だ。
午前六時、原稿を書き終えてメールで送信。今日は午前中に定期受診のため、午前中に糖尿病内科へ行く用事がある。夜は池袋コミュニティカレッジで講師のお仕事だ。うっかり失念していたが、小学校の読み聞かせの当番にもあたっていた。まだ本を決めていないので、通院の合間に選ばないといけない。午前八時に行って受付を済ませたらすぐ血液検査をして、それから渋谷まで歩いていって午前十時に本屋が空くのを待って、本を選んだら午前十一時半の受診時間に戻ってきて、それから午後一時半に小学校まで行って……。想像するだに忙しい一日になりそうだ。読み聞かせが終わったら、少し昼寝するぐらいの時間はあるかしらん。
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翻訳批評の大御所である別宮貞徳さんは、同じ高校で一学年下にいた方の御父君である(別宮さんはそのことを知らないし、私は面識がない)。亡父と同門の大先輩でもあるので、いつも動向は気にしていたのだけど、最近になってすこぶるおもしろい本を出された。『裏返し文章講座 翻訳から考える日本語の品格』という本だ。
「品格」は極めて曖昧な語義の言葉だが、別宮さんは「しかるべきことばがしかるべき場所でしかるべき用法に従って使われている日本語」が品格のある日本語なのだと定義している。さすがに明確だ。別宮さんが長く続けておられる翻訳批評では、いわゆる誤訳よりも悪訳、語義の解釈以前に日本語の使い方が誤っている翻訳文がよく採り上げられ、厳しく批判されていた。「英語どころか日本語がろくすっぽできない大学教授が職の権威をかさにきて訳したあげくわからないのは頭の悪い読者のせいと片付ける」ような悪文の例が本書にも多く掲載されているので読んでみていただきたい。たとえば水田洋訳のアダム・スミス『国富論』などは、こちらの思考回路がめちゃくちゃになりそうな頭の悪さだ。権威主義者はわかりやすい訳語を模索することを読者におもねる所業と勘違いしているため、しかるべきことばを用いることができないのである。これを読むと、あの本とかあの本とかが理解できなかったのは、自分が馬鹿だったのではなく(そのせいももちろんあるけど)、翻訳者のせいだったのか、とやや安心できます。学生時代、岩波文庫版でいくら読んでも判らなかったハイデガー『存在と時間』が、細谷貞雄版で読んだらすらすら理解できたことを思い出した。あれは良い訳であると思う(ちくま学芸文庫に入っています)。
別宮さんが第七講で示しておられる悪文を生み出す条件を掲げておく。翻訳に関心がある人だけではなく、きれいなわかりやすい日本語を使いたいと思っている人、長い文章を論理的に書きたいと思っている人は、この第七講がとても参考になります。
1 無知・無教養――権威主義者が品位を落す
2 音痴――耳の悪さが変調を招く
3 無知・無感覚――知性・完成の乏しさが駄文・拙文を有無
本当は1~3まですべてを詳しく引用したいほどに素晴らしい内容なのだが、それでは誰かさんのように無断引用ならぬ盗作になってしまう。一例だけ紹介するに止めます。あとは各自買って確認してください。文庫で千円は高いと思うかもしれぬが、内容からするとお得ですよ。
2についての引用。
――では文章を書くのに、リズミカルにするにはどうすればいいのか。結局、こういうことだと思うんです。文を句読点や、それがなくても息継ぎの箇所で分割したときに、各部分の長さにバランスがとれていること、そして読んでいて楽に息ができること。これがうまくいっていれば、リズムがいい、読みやすいっていうことになるんじゃないでしょうか。たとえば、頭の方が長くて、結びがすとんと切って捨てたようだと、どうもトップヘヴィーですわりが悪いですね。(p233)
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藤原審爾を再読中である。今は『新宿警察 愛しながら殺せ』を読んでいるのだが、「慈悲の報酬」という一篇が好きすぎて、他のことが手につかなくなってしまった。ああ、この小説が好きだなあ。どうして何年もの間再読せずにいられなかったのかわからない。おもしろいです、これは。
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事務局からフライヤーを頂戴した。ハードボイルド小説のファンクラブである「マルタの鷹協会」がその年のもっとも優れた作品として選ぶファルコン賞が決定したそうだ(私も会員なのだが、うっかりして投票をし忘れていた)。二〇〇八年度はS・J・ローザン『冬そして夜』が受賞。
このファルコン賞、きちんと海外作家にも正賞であるファルコン像を送っていることで知られている。今回はローザンのところにも届けられるのね。だから、海外のウィキペディアを見てもちゃんと賞のことは書いてある。気になるのはあの像のことなのだが、たしか日本のどこかで生産されている民芸品を贈っていたと思う(メフィスト賞の正賞がイギリスのお土産品であるのと似ていますね)。私は実際には見たことがないのだが、木彫りの製品なのだそうだ、「丸太の鷹」。えっ……。
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プロレスファンの間では数ヶ月前から話題になっていた件が、ついに昨日一般のメディアでも採り上げられてしまった。もっと早くに対応をとっていれば大事にはならなかったはずなのに、企業としての甘えを感じる。興行では現代性を売り物にしておきながら、いざ問題が起きたら臭いものには蓋をする式の旧態依然のプロレス体質というのではお話にならない。興行会社として近代企業の仲間入りをしたかったら、普段からリスク・マネジメントの準備をすべきでしょう。
これだけ書くと事情を知らない人は何がなんだかわからないと思うが、別に某社を叩くことが趣旨ではないので、詳細は省く。気になる人は各自調査!
とにかく、
問題が起きる
↓
消費者(この場合はプロレスファン)がネットで騒ぐ
↓
企業が知らんぷりを決め込む
↓
消費者がさらに騒いで祭りになる
↓
形式的な謝罪と性急な処理(ネット上の該当記事を全削除とか)
↓
消費者がさらにさらに騒いで魚拓をばら撒いたり電話やメールで各方面に話したりして大事になる
↓
マスメディアに察知される
↓
慌ててマスメディア向けに「対策を検討」すると発表←今ここ
↓
何をやっても「誠意がない」「隠蔽工作だ」「裏切られた」などと批判される
という負のスパイラルに今片足を突っこんでいるはずである。両足突っこんだら大変なことになるよ。大変かもしれないけど、正念場と思ってがんばれ。あと、みんな冷静に。頭に血が上ってとんでもないことを言い始めている人がいるが、あとで読み返して苦笑することになるようなことをネットなどの公器に書くのはやめよう。恥ずかしいですよ。
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