2ちゃんねるのミステリー板で話題になっているから読むように、というコメントをいただいたので読んでみた。
ふむふむ。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/mystery/1259476150/l50
要するに、飴村行さんの『粘膜蜥蜴』を「このミス」ランキングに入れたいがために、慶應推理小説同好会閥が共謀して組織票を投じた疑惑がある、ということなのですね。うーん、隅から隅まで「このミス」を読んでくださっているようで頭が下がります。私も昔は発行と同時に全投票者のコメントを舐めるように読んでいたものです。今はちょうど繁忙期と重なるため、そこまでの精読もできないのですが。羨ましいな。
初めに書いてしまえば、飴村行を読むように薦めたという事実はあります。ただし慶應推理小説同好会だけではなく、広範囲の方に薦めたし、大いに喧伝してまわったのは『蜥蜴』ではなくて『粘膜人間』が最初です。『粘膜人間』を読んだときには、本当にびっくりした。あまりに驚いたので、同じ作品を二度繰り返して読んでしまったくらいです。新人の作品で、そんなことをしたくなったのは初めてだと思います。海外作家でケム・ナンの第一作『源にふれろ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んだときくらいかな。衝撃的でした。今まで読んだどんな作家のデビュー作とも違っていた。髑髏すげー。
『粘膜人間』はエログロ(特にグロ)の側面ばかりに言及されることが多い作品ですが、中に二つの美点を持っていると私は思いました。一つは「ぐっちゃね」「ソクソク」といった用語の妙を含むユーモアのセンス(相当に悪趣味ではあるのですが)、もう一つは格闘場面などを書きこなす描写力です。後者の方にはあまり注目されることがないのだけど、あの小説の暴力描写には見るべき点が非常に多い。人体破壊などにも迷いがなく、爽快感があります。したがって、エログロという飛び道具を捨てても十分に勝負ができる作者だと私は判断しました。そういう作者が、あえて趣味のエログロに操を立てて、インモラルな小説を書いているのだと。これは非常に志の高いことですから、新人の小説家としては賞賛されてしかるべきです。ブックジャパンのインタビューでお話を伺い、さらにその意を強くしました。
そして『粘膜蜥蜴』です。ありがたいことに解説のご依頼をいただいたので他に先んじて原稿を読む機会がありました。まっさらの状態で作品と向き合えたのです。一読して、『粘膜人間』を読んでの期待は裏切られなかった、それどころか『蜥蜴』は『人間』を遥かに上回る作品であるという感想を持ちました。『粘膜人間』最大の弱点は、構成に難があること。第二部が浮いており、それが主人公の中途交代という意外性を呼んではいるものの、長篇小説としてはやはり減点対象となる。『粘膜人間』を読んだ限りでは、飴村さんの長篇を書く能力については、判断を保留せざるを得ないと思いました。印象的な表現を用いて場面を描くことはできても、しっかりとしたプロットの上にストーリーを組み上げることはできないのかもしれないということです。奇想の作家としては印象的な場面を描ければ十分なのだけど、それだけではマイナーの域を出ない。万人に訴求できるだけの力量を持ったエンターテインメント作家とは認められないでしょう。
『粘膜蜥蜴』はそうした危惧の念を払拭してくれた作品です。前作と同様、構成には飛躍があり、途中で大きな場面転換があります。しかし今回は、その飛躍にきちんとした意味があり、着想だけに頼らず、作者が物語を統御できていることが分ります。結末にサプライズがあることが大きな加点ポイントですが、それ以外にも美点は多々ある。主人公の愚かな少年は非道な振る舞いをしますが、その根底に母を失った悲しみがあり、女性に赦されて抱擁されたいという渇望があることが読者にも判ります。彼のキャラクターとプロットとが密接に結びついており、『粘膜蜥蜴』は月ノ森雪麻呂の物語なのです(だから途中で異なる視点人物の章が挟まっても読者は大きく動揺しない)。嫌な人物なのに、雪麻呂に共感を覚えてしまった読者は多いはずです。また、作中に登場するヘルビノは、旧日本軍による帝国主義的な侵略戦争の事実を戯画化して取り入れたキャラクターです。ヘルビノの存在によって、物語は一回り大きな奥行きを持つことができました。これは『粘膜人間』のときに荒俣宏選考委員から呈示された「現実と取り組み、逃げない」という課題に挑戦して、見事に成功したものと言うことができます。
以上の理由をもって、私は『粘膜蜥蜴』を「前作に引き続き描写力とユーモアの感覚を備えた、読んでいて楽しい作品である」「しかも前作には無かった構成力という武器を備えた」「人物や舞台の設定にも注意が行き届いており、きちんと計算の上に組み立てられた物語である」と判断しました。以前に新人賞作品を読むときの自分なりの規準を描いたことがありますが、『粘膜人間』について言えば必要条件である1)~3)のうち1)に明確な難があり、2)は及第点、3)は十分という判断でした(テーマの消化というのは、作家がやりたいことを十分に自分で理解して、自分なりのプランで書き切っているという意味です)。三つのうち二つで合格なので新人の作品としては及第点なのですが、それに十分条件である4)5)が加わるので、総合して八十点は差し上げられる出来です。『粘膜蜥蜴』の場合、さらに1)の評価が上がるのでさらに点数は高くなる。新人の第二作としてはもちろん、作家全般に視野を広げてもここまでの充実度を持った作品は珍しいはずです。素材に嫌悪感を覚える方はたしかに多いはずですが、すべての人に受け入れられる物語などは無いのでそれは仕方ない。エログロは嫌いという人でも、この作者なら好きになってもらえる可能性はある。ならば書評家としては、敢えて万人に薦めるべきなのではないか、と思った次第です。
長くなりましたが、以上が私が『粘膜蜥蜴』を推す理由です。こうした思いを汲んでくださり、本を手に取る方が一人でもいたとしたら、書評家としては実に嬉しい限りです。お礼を申し上げたい。もっとも、周囲の人に『粘膜蜥蜴』を以上のような形で薦めて歩いた事実があるかどうかといえば、それはあまり無かったかな。なぜかといえば、すでに『粘膜人間』の段階で薦めるべき人には薦め終わっており、読んで『粘膜』が気に入った人は、私があえて言葉を費やすまでもなく、『蜥蜴』を読んでくださったからです(これは飴村さんの実力の結果で、別に私が偉いわけでもなんでもない)。来年春までには『粘膜兄弟』が上梓されるでしょうが、ファンになった方は迷いなくこの第三作を購入してくださるでしょう。世界に広がれ粘膜の輪、ああ、ぐっちゃねぐっちゃね。
ええと、なんの話だっけ。ああ、組織票うんぬんのことを書かなければいけなかった。というわけで、『粘膜人間』を人に薦めたことは事実だけど、「このミス」投票の時期になってわざわざ『粘膜蜥蜴』に票を投じるよう説得して歩くような手間はかけるまでもなかった、というのが真相です。それどころか、投票前に慶應推理研とワセミスの学生・OB数名と会ったとき「今年の海外ミステリー一位は『バッド・モンキーズ』しかないよ!」と高らかに宣言してみたら「そんな作品を一位にするなんて見識を疑いますよ」「今年の海外一位はどう考えても他にあるでしょう」「杉江松恋は反省しる!」と非難を受け、書評家のあるべき態度について懇々と説諭されましたよ。むっきー! あいつら全然年長者の言うことを聞きゃしない!
おしまい。