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(1/25)常盤本に導かれて

 twitterで指摘をいただいたので『小林信彦60年代日記』を引っぱり出してきた。一九六一年十一月二十日の日記に、常盤新平氏が編集人で作った伝説の雑誌「ホリディ」の記述がある。三号で潰れるカストリ雑誌どころか、一号で無くなってしまったのである。

 一九六九年には、常盤氏が早川書房を退社した前後の慌ただしい事情が記されている。五月二十八日に福島正実氏が退社、小林氏は「早川書房では、福島なきあと、トップになっ常盤新平の独裁政治が始まるとか。やれやれ」と嘆いている(これは偶然だが、次の六月一日の日記は翻訳家・村上啓夫の訃報を伝えるもの。小林氏は焼香後福島宅を訪れ、故人を偲んでいる)。ところが十月七日には「常盤新平が早川書房をやめた、と人に教えられる。なにがあったのか?」との記述が。小林氏は常盤氏の退社の会を欠席するのだが、人づてに「白けきった会で、酔った福島正実が荒れたという」と聞く。その感想が「一九六〇年ごろに、私たち〈若者〉が抱いた夢の塊が泥でしかなかった、というだけのことなのに」という述懐であるのは、同時代の空気を知らない人間には今一つわからない。小林氏は一九六〇年代に「ヒッチコック・マガジン」の編集人を務めて退任、福島氏は『未踏の時代』に記されたSF小説啓蒙の時期を過ごしたわけなのだから、そうした「何か新しいものが生まれる」という期待が、果たされずに終わったということなのだろうか。このへん、文庫化された『未踏の時代』を読み返すと見えてくるものがあるように思う。

 ちなみに、小林氏は人から(前述の、会の模様を伝えた人とは別らしい)「とにかく、あれだけ悪い編集者はいなかったです」との常盤氏の人物評を聞き、〈当然のなりゆき〉と頷いている。編集人としては評価していなかったのだろう。

 この『60年代日記』は、小林氏がマルチタレント文化人から本格作家への脱皮を模索していたころの、苦渋に満ちた気分が克明に描かれている。小林氏を嫌う人も多いだろうが、本書は一読をお薦めしたい。何かをつかめずにあがいているときの心境が、四十年という時間を越えて今の読者にも響くと思うからだ。六〇年代の小林氏は二十代半ばから三十代という年齢だった。一九八五年に出たこの本を読んだとき、私は十代後半だったのである。自分の二十代もこんな風に苦いものになるのか、と戦慄しながら読んだ記憶がある。バブル景気というものが到来し、小林氏よりも自分の二十代はいくらか賑やかなものになった(と錯覚していた)のだが、同じ年代のときにもう少し苦悩しておけばよかったかと悔やむ気持ちもある。今四十代にさしかかってこの本を読み、再び愕然としているのである。二十代で呟くべき言葉を、今の自分は口にしているではないか。遅刻するにもほどがある。



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