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(1/7)mixi

 気がついたらもう五年もmixiを利用していた。最初に誘っていただいたときは、閉じた空間の中で友人と密接な関係を持つことができるという点に惹かれたのだが、その後招待制がなくなり、十八歳未満の利用者が許可されるようになり、ツィッターを意識したとしか思えないボイスという機能が入り、アプリゲーム利用者が幅を利かせるようになり、すっかり最初のころとは様変わりしてしまった。度重なるデザイン変更もあって、今ではほとんどROM専門になっている。いや、古株のユーザーばかり優遇していても仕方ないし、サービス企業として新しいことを試していく姿勢には賛同するんですけどね。新しいものが増えたけど、自分にはそれが必要なかった、というだけのお話だ。

 昨年、小学校の卒業式でこんなことをお話しした。
「君たちは、お友達と仲良くしましょうと教えられて育ってきた。だから友達が多いのはいいことだと無条件に信じていると思う。でも考えてみてもらいたい。友達って、モノか。コレクションか。友達は数で量るものか。友達の数が少ない人は、人間として何かが欠けているというのか。人の幸せってそういうことで決まるものか。人に親切にする、誰とでも相手を尊重して付き合うことができる。それは人間として最小限のマナーだが、そのことと友達の数とはまったくの別問題だ。中学になると別の小学校からも生徒が進学してきて、新しい人間関係ができる。そのとき、今言ったことを考えてみてもらいたい」

 これは自戒をこめた言葉である。自分の中にある、嫌な部分を見つめなおしてみたら自然とそういうことを言いたくなった。つきあう人の数が増えていくと、どこかで関係の濃淡ができてくる。それはやむをえない。嫌なのは、自分との間にある距離、どれくらい言葉を交わすかという頻度、そうしたものを「相手の価値」に置き換えて考えてしまうことだ。何様のつもりだ自分は、ということである。挨拶の数が少ないから相手はC判定、この間一緒にご飯を食べたからA判定、生意気な口を聞いたからD判定、そういうことなのか。陳情を聞くことを仕事にしている政治家か。朝貢をしてこないと敵と見做す中国の王朝か。そんな肥大した自意識は気持ち悪いったらありゃしない。

 mixiって、誰もが持っている「俺俺、俺、世界の中心だから」という気分を巧く利用して、それを助長させることによって成長したサービスだと思う。友人同士のネットワークをつくるって、要するにその中心に自分が座っているということでしょう(ツイッターのいいところは、その中心点が無いということだと今の時点では思っている)。ボイスだとかアプリだとか、新しいサービスが増えることによって、もしかするとそういう気分が中和されて薄くなっていくのかもしれない。だとしたら、ちょっといいことだよそれは。まあ、私は使わないわけなんだけど。古くからのmixiの方が好き、ということではなくて、今はそんなに人付き合いをしたくないという気分だから。ただそれだけだ。

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