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(4/30)私はあなたたちに感謝します

 昨日の昭和の日には、「歩こう会」という催しのために一日外出していた。
 これは何かというと、区内にある二十二の小学校学区の子供たちが、地域の大人の引率を受けて、区の中心にある公園まで歩いてくるというだけの行事だ。単純な内容なのだけど、子供が長い距離を一緒に歩くという行為自体に意味があるとわたしは思っている。低学年の子も、泣きべそをかきながら歩くんだもの。

 二年前にPTA会長として初めてこの催しに参加したとき、私は憤った。会の中で、式典がある。それが無駄に長かったのだ。以前の記述を確認したら一時間近くも炎天下で子供が待機させられたことが書いてある。激怒し、PTA会長として抗議文を書いた。その結果、主催の方から丁重な詫び文をいただき、次回からの改善を約束していただいた。
 その翌年の式典は、格段に簡素化されていた。やればできるじゃん、と思った。そして今年である。さらに流れはスムーズになり、集合から解散まで二十分で終了した。さらによいことがあり、式典の後にジュニアリーダー(青少年ボランティア)によるゲーム大会があったのだが、これがよく考えられたものになっていたのだ。子供たちを年齢別に三グループに分け、それぞれで集めてゲームを実施する。同じゲームは十五分ぐらいで切り替え、次のゲーム、次のゲームと子供たちの関心が切れないように引っぱっていく。一本しかない長縄を三グループの時間差で使い、うまく利用していたことにも感心させられた。例年に比べても、よいゲーム大会になっていたと思う。

 このことについては礼状を書こうと思う。考えられた運営で、子供たちは充分に楽しんでいた。二年前の非を認め、よくここまで改善してくれました。M区歩こう会の企画に携わったみなさんに、心から感謝いたします。

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(4/30)NHKBS「MAG・ネット」に出演します

 そんなわけで前の日記ではわが信仰告白として「東方project」にはまる日々を送っていることを書いた。
 急にそういうことを書く必要が生じたのは他でもない、五月二日(日)に放映される「MAG・ネット」の東方project特集に、東方好きを代表して出演させていただくことになったからだ。番組後半の座談会が私の出番である。まもなく番組情報も告知されると思うので、詳しくは上のリンクの番組ホームページをご覧いただきたい。

 ファン歴一年余りの俄かで申し訳ない。たかだかノーマルシューターで、しかもすべてはクリアできていない素人で本当にすみません。どんな仕上がりの番組になっているのかはまだ知らないのだけど、きっといろいろ頓珍漢なことを言っているような気がする。付してお詫び申し上げる次第である。全国の東方ファンの皆様、私は出ていますが真面目な制作姿勢の番組ですので、ぜひご覧になってみてください。

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(4/29)告白、といっても湊かなえじゃなくて

 いつ書こうか、いつ書こうかと迷っていたことがある。別に秘密にすることでもないのだけど、わざわざ人様に触れて回るようなことでもないので。

 私、昨年の春ぐらいから同人ゲーム〈東方project〉にはまっていて、空いた時間はすべてそれに注ぎこんでいます。最初はニコニコ動画で二次創作を観る程度だったのだけど、福井健太氏から「二次創作だけで原作を知らない態度は問題だと思う(大意)」という指摘を受け、原作のwindows版に手を出したら、見事に抜けられなくなってしまったのである。いや、これはおもしろいわ。もちろん初心者なのでノーマルシューター。『東方紅魔郷』は霊夢A、魔理沙Bでノーマルクリア。『東方妖々夢』は妖符でノーマルクリア。現在『東方永夜抄』は境界組でSTAGE6Bに挑戦しています。あ、このへんの記述は東方に関心がない人はすっとばして読んでいいからね。それ以外のゲームについてはいずれもいじった程度。ちなみに『東方地霊殿』以降は私のPCではたぶん起動が難しいので、誂えなおしてからプレイします。

 私はmixiとtwitterにもIDを持っている。mixiはコチラでtwitterはコチラである。ご覧のとおり、mixiの日記は、ここ一年東方の攻略以外のことはほとんど書いていない。またtwitterのIDは、from41tohomaniaである。説明の必要もないと思うが、これは「四十一歳にして東方projectにはまりました」の意である。四十一歳、バカボンのパパと同い年なのに! これでいいのだ!

 そんなわけで、秘密にしていたわけではないのだけど、改めて書いておきます。mixiの方は東方onlyでこちらは仕事がらみ、というように割り切って運営していたのだが、どうもそうは言っていられないようなことをしてしまったので。

 え、何かって? それは明日(三十日)に改めて書きます。ちょっとお待ちを。

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(4/28)私がヒゲのPTA会長になった理由 その4

(承前)

 前回書いたとおり、私が地域活動に携わった最初は、町内会に加入したことだった。
 最初は、祭のときに神輿を担げればいいなあ、くらいの気持ちだったのである。西新宿で講に入れてもらえなかった悔しさがその背景にはあった。
 都市部で暮らしている方は経験があると思うが、古くからの地縁で結ばれた祭には、新参者はなかなか参加しにくいものである。古い住人は「そんなことはない、言ってくれれば参加は歓迎だ」と言われるだろうが、そうはいかないって。よほど社交的な性格でもない限りは言い出しにくいよ。それに神輿だけ担いでさよならというわけにもいくまい。関わるとなったら、ある程度の覚悟は必要になる。
 引越しを機に、私はその「覚悟」をしようと思ったわけだ。
 しばらくは音沙汰がなかったのだが、子供が小学校に入学し、二年生に上がるときになってお誘いがきた。
 子供の行事を企画実行する、少年部に入ってくれないかというのだ。
 その年の少年部長さんははす向かいにお住まいの主婦の方だった。私以外に声をかけた方は、すべて女性だという。少し迷ったのだが、引き受けることにした。自分以外は女性ばっかりという環境には慣れていて、大学のゼミもそういう状態だった。主な活動時間が平日の午前中というのも苦にならない。仕事で在宅している時間帯だからだ。つまり、「面倒くさい」という気分以外に、引き受けない理由はなかった。
 面倒くさいのは誰でも面倒くさいものである。

 一年目の少年部の活動は慣れないことばかりで大変だったが、どうしてもこれは駄目、というような問題はなかった。行事は年に三回あり、夏休みの子供映画会、秋の祭礼お手伝い、新春のお楽しみ会である。それぞれ告知文を作って小学生の子供がいる家庭に配布し、あとは行事に向けて必要な物品を購入して準備するだけ。特に行事内容について考えることも要らず、先輩の少年部役員のいう通りに動いていれば大丈夫だった。
 唯一弱ったのが、毎回の打ち合わせが無駄に(と私は思った)長いことだ。肩肘張った会議ではないので話題が脱線しがちなのは仕方ないとして、やたらと会話が無限ループに入るのである。資料が充分ではない状態で打ち合わせに入るから、仮定条件が多すぎてなかなか結論が出ない。「もし○○だったら××だから」の連続になってしまうのだ。会社員時代の、時間を決めて結論を出す簡潔な会議に慣れていた身にとっては、軽い拷問に近いもどかしさがあった。特にしんどかったのは、お楽しみ会の景品を買出しに行ったときで、店先で「最近の女の子はあまり可愛らしいものは喜ばないのではないか、もう少し大人びた景品の方がいいのではないか」という議論が始まってしまい、泣きたくなった。今だから言えますが、あのときは急な仕事ができたことにして先に失礼させていただきました。聞くところによると丸一日それで潰れてしまったらしいので、賢明な判断だったと思っています。あのときはごめんなさい。

 そういうこともあったが、全体としては和気藹々とした楽しい活動だったと思う。ただ一つひっかかったのが、少年部の位置づけだった。町会全体から見て少年部は「ていのいい便利屋」として扱われているように見えたのである(これは町会の意志決定機関の体質問題だと後でわかった)。
 一例を挙げれば、祭礼の手伝いだ。具体的には、子供神輿と山車の準備をし、焼きそばなどの屋台の店番をする。それはそれで文化祭の模擬店感覚で楽しくはあるのだが、どうしてもその場所に縛り付けられることになってしまう。子供と一緒に祭礼を楽しむわけにはいかないのだ。少年部に参加している役員は、みな小学生の子供を持つ親ばかりである。これは本末転倒の話なのではないかと、初年度から私は思っていた。また、扱いが軽いという問題もある。祭礼に携わる町会の役員は、みな町会の名を染め抜いた法被を着ている。これがなぜか、少年部にだけは支給されていないのだ。みな自前のエプロンや割烹着である。
 なぜか。
 おそらくは古くからの体制がそうなっていたからだ。町会という組織は、擬似的な大家族である。中心には町会長や、祭礼を仕切る鳶の頭、予算管理を司る会計、総務部長がいて、切り盛りをしている。そうした役職は古株の住民のものだ。また婦人部という組織があって、これは文字通りの「女房」役をこなしている。祭礼のときには手分けをして煮しめを作ってきたり、立ち働く人にお茶を出したりしている。古株の男が主、婦人部が従という上下関係がはっきりと出来ているのだ。
 少年部というのはたぶん、そうした中心の町会員になる前の準構成員のような位置づけだったのではないかと思われる。別に青年部というのがあって、これはいわゆる若衆だ。おそらくその女性版、もしくは既婚者版が少年部である。将来婦人部に進む候補者が、代々少年部の役員を務めてきたのではないか(だから私が参加したのはイレギュラーなケースだったと思われる)。
 つまりは男性論理と年功序列が支配する社会である。それはそれで構わないのだが(目くじらを立てても仕方がない)、つまりは古株にならないとおもしろくないということだ。年季奉公で我慢をすればいいのだけど、新参者の私のような住民は、もしかすると一生古株にはなれないのではないか、という気もしてくる。しかも少年部上がりだし。なにしろ少年部は模擬店の世話をしなければならないから、他の用事ができないのである。それは青年部のお仕事だ。青年部に参加していない私は、もしかすると神輿の担ぎ手になることができないのかもしれない。

 そういう風に悪い方向に考え出すと、なんだかすごくつまらなくなる。思春期の中学生じゃないんだから、そうやって人を妬むのはやめろよ、えー、でもなあ、などと自問自答を繰り返し、ようやく任期の終わりが来た。そのときになって、少年部長に言われたのだった。

「次の少年部長になってもらえませんか?」

 えー。少年部、辞めようかと思っていたんですけど。

(続くような続かないような)

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(4/28)「ご存じ伊坂幸太郎」がそんなに欲しいのかい?

 某編集者から伊坂幸太郎『SOSの猿』のAmazonカスタマレビューがすごいことになっていると聞いていたので、ちょっと覗いてみた。レビューが三十五個で(これ自体はすごい数字)、評価が星五つから一つまで7、7、9、10、2である。なるほど、下方に分布しているわけだ。ざーっと読んでみた。評価に繰り返しでてくるのが「初期伊坂っぽくない」「ミステリーの要素が薄い」という呟きだ。「後半で物語の意味がわかるのは伊坂らしい」とか「強引な展開」というような意見も見られるので、展開そのものというよりもテイスト、とでもいうような雰囲気に意見が左右されている気がする。三十五個も評価が入れば、中庸ではなく両極端に意見が収束しがちなものである。これはこれで、酷評の嵐というわけでもないのだろうな、と思った。

 ちなみに新作『オー!ファーザー』のレビュー数は九個である。うち四人が『SOSの猿』にもレビューを書いている。評価を比較すると、『猿』-『ファーザー』で、5-4、4-4、3-4、3-4となり、やや『オー!ファーザー』優勢だが一方的というわけでもない。伊坂ファンには作品が出たら全部読むという人も珍しくないので、酷評の数字がつきにくいはずのである。現にこの四人のうち『あるキング』にもレビューを書いている人は三人いて、評価はやはり3か4だった。逆に伊坂幸太郎が完全にこれまでの作風を刷新する作品を書こうとするなら、この人たちに1か2の評価をつけさせるような大胆な変革が必要だということである。

 周到な伏線の張り方や構成など、ミステリー・ジャンルに馴染みやすい技巧で評価されたのが「第一期」伊坂幸太郎だった。しかし伊坂作品がこれだけ読まれるようになってから改めて考えると、必ずしも評価のポイントはそこだけではなかったという気がする。そうでなければ、コアなミステリー・ファン以外からこれだけ支持されるはずがないからだ。単純に言えば伊坂小説の魅力は、読者がひっかかりを感じるような文章が作品の処々に配置されているところにある。その文章を深く玩味したいと考える読者や、前段の文章にさかのぼって伏線のカタルシスを感じとるような読みをするマニアが、それぞれの立場から伊坂を評価してきたわけだ。そういう人が作家のイメージを固定してしまうのは無理もないことである。作家としての脱皮を快く思わないのも当然だろう。だって、自分がひっかかったところとは違う箇所に作者が力点を置こうとしているのだもの。

 私も伊坂作品が好きなのでファンには提案をしたいのだが、どうだろう。しばらくの間伊坂作品の「意味」を考えるのは止めにしないか。これまで伊坂ファンは、作品内の文章から「意味」を感じ取ることを楽しみとしてきた。『重力ピエロ』における「家族」、『砂漠』における「信念」、などなど。作家がそう仕向けている(ように見える)文章を書いていたのだから仕方ない。でも、小説の読み方というのは、それだけではない。「意味」を考えることに汲々としていると、それ以外の要素が見えなくなってしまうのである。最近の伊坂作品に対するレビューを眺めていると、なんだかそういう危険を感じる。みんな、考えるんじゃない。感じるんだ。今の伊坂ファンに必要なのはそれだ。小説だぜ、お話なんだ。もっと楽しもうよ。

 そんなことを頭の隅で考えながら「問題小説」五月号に『オー・ファーザー』評を書いた。他に採り上げた作品は永井するみ『逃げる』(光文社)、桜庭一樹『私の男』(文春文庫)です。よかったらご一読を。

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(4/27)君が悪かった、でも君が悪い事が判るだけじゃ駄目なんだ、どうしたら悪くなくなるか、考えよう

 もっと早く更新をするつもりだったが、学校で突発事があって遅くなってしまった。ある先生の指導体制について、明日は校長先生と膝詰めで話をしなければならない。気が重いが、これは会長としての任務だ。

 児童総数二百人強、小さくてのんびりした学校ではあるが、問題は起きる。そしてその起きた問題をうやむやにしようとすれば、そこから良い校風は腐っていく。どんなことでも、よい時は長くは続かないものだ。この一件がその終わりの始まりにならないように、明日はきちんと話をしようと思う。

 良かったことは、この問題について家族で話し合う時間がもてたこと。話し合いの結果の如何によらず、これは我が家のためには、めいめいの成長の機会となった。かなうことならば、問題の当事者の家庭で有益な時間が持てていることを願う。急な変化は望めない。あくまでも親が子供と一緒に成長していくしかないのだ。ゆっくりした変化に焦れて手っ取り早い結果を求めても無駄だ。他人に責任を押し付けようとしても駄目だ。問題は親と子供が向き合う空間の中にしかない。

 明日の面談では、特にPTAとして学校を難詰することはしないつもりである。ただ、問題の当事者の誰かを悪者にするのではなく、それぞれに非を悟らせるような話し方を先生はしてもらいたいということ、問題に関わらなかった子供たちに、他人事ではなく自分の身にも起こりえた事態であるという現実と当事者の立場になって考える優しさを教えてもらいたいということ、先生の指導体制の中で子供に不信感を抱かれている部分はないか自己点検してほしいということ。この三つだけを申し入れるつもりだ。他に望むことは何も無い。

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(4/26)私がヒゲのPTA会長になった理由 その3

(承前)
 新宿区西新宿五丁目。
 以前の住所を言うと、「そんなところにも人が住んでいるんだ」と変な感心をされることがあった。住んでいるのである。あたりまえです。以前はもっと住んでいた。バブルのころに地上げの波に襲われ、土地が歯抜けにされてしまったのだ。そのために、商店街というものが弱体化し、二店に一店は畳んでしまっているような状態だった。住んでいたのは十二社通りといって、昔は色街があって栄えた場所だ。都電の停留所があり、映画館もあったはずである。芸人さんが多く住んでいて、売れる前の志村けんもたしかいたはずだ。変なおじさん、いえいえそのころはまだおにいさんでした。

 そういうところから今の家がある場所に引っ越してきた。これを言うとまたまた感心されるのだが、某私鉄沿線の駅から二分のところに住んでいる。よく土地があったものである。聞けば以前に住んでいた人が旋盤工場をやっていて、廃業して引っ越していったのだという。おかげで綺麗な四角い土地が空いていた。そこに小さな家を建てて引っ越してきたのだ。
 新宿のネオン街から来たのだから、落ち着くだろうと思っていた。また、多少は淋しくなるかな、とも考えていた。とんでもない。引っ越してきて驚いたのが、若者が多いことである。駅前のパチンコ屋に深夜から並んで開店待ちをしている(警察に叱られたのか、しばらくすると深夜の行列はなくなった)。居酒屋が遅くまでやっているものだから、明け方までふらふらしている人間がいる。うちは商店街から路地を一本引っ込んだところにあるもので、本当に人通りが絶えないということがすぐに判った。下手をすると、表で痴話喧嘩をしているのが聞こえてくるぐらいである。あれはやめたほうがいいぞ、君たち。筒抜けなんだよ、家の中には。私はいいが、中には睦言に興奮しちゃう人も出るかもしれない。いたずらに蛮声を上げたりするのも感心しない。寝てるんだから。あと、家の前で酔っ払って寝るのもやめろ。冬だと死ぬぞ。
 要するに、寂れた町から活気のある繁華街に越してきたのだった。子供がいる以上、これは痛し痒しの環境である。人通りが多い分、どんな人間と出くわすかわからないからだ。
 近所の人と仲良くならねば、と改めて思った。なにかあったときに気づいてくれる人を増やすのが、最大の防犯策、防衛策だ。実は引っ越すときにトラブルがあり(隣家と前の家から、家の高さについて文句をいわれた)、近隣の住民にはそんなに期待できないと思っていた。文句をつけてきた家には子供はおらず、どちらも高齢者の住まいである。とりあえず日常的につきあうこともあまりないはずである。たぶんここで初めて、地域活動をちゃんとやろうという考えが芽生えたのだ。近所の信用が名刺代わりということである。おお、なんか警察の生活安全課みたいなことを言っていますね、私。

 実は新宿時代にもそういうことを試そうとしたことがあった。マンションの裏手にあった中華料理屋のおじさんと親しくなり、祭の講にも入れてもらえるという話になったのだ。講に入れば、神輿を担げるじゃないか。わくわくして待っていたのだが、祭当日になってもおじさんからの連絡はなかった。それどころか、軒に暖簾がかからなくなり、いつのまにか営業も途絶えてしまった。
 どうやらおじさんを二つの不幸が見舞ったようなのである。一つ目は離婚。おじさんは年下の中国人女性と結婚していたのだが、彼女が男を作って家出してしまったらしい。そして、彼女のつてで中国黒社会の金融業者に借金をしていたのが駄目になり、店をとられてしまったのだ。これが二つ目の不幸である。おっそろしいことに、青龍刀を持った連中に押しかけられたらしい。
 だいぶ経ってから連絡があり、おじさんと再会した。白衣を着ていたときのおじさんは優しい表情の好漢だったが、生活の疲れが出た顔になっていた。近所のスナックで飲み、懇意にしているという歌舞伎町の韓国パブに繰り出したが、あまり楽しい思い出にはならなかった。しばらく西新宿近辺にいたようだが、やがて連絡が取れなくなった。電話番号は古い携帯に記録してあるが、もう何年もかけたことがない。
 おじさんとの縁が切れたあと、残念ながら西新宿でいい人にめぐり会うことはなかった。

 そんなわけで、新天地ではうまくやろうと心に決めていたのである。自宅の一階を仕事場に定め、専業ライターとしての生活を始めた。三階の寝室から一階に降りてくるだけの通勤だ。しばらく経ったある日、仕事をしているとチャイムを鳴らす人があった。インタホンの画面に映っていたのは、見たことがない初老の女性だった。女性は言った。
「町会の者なんですけど、今年度の町会費をいただきに上がりました」
 町会? 町会っていうとあれか、回覧板をまわしてくれたり、年末に助け合い活動で募金をしたりする、あれか。とんとんとんからりんと隣組か(古い)。
 ドアを開けて、外に出た。女性の説明を聞く。町会参加は強制ではないが近所の一戸建ての住民はみんな入っている。町会には交通安全部や防犯部、婦人部などがあり、特に子供がいる家に関係があるのが少年部だという。
 少年部?
 そうか、少年部というのがあるから、自然と地域の活動にも関われるかもしれないな。
 そう思い、町会費を払った。
 私の最初の地域活動は、この町会だった。

(続く予定)

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(4/25)私がヒゲのPTA会長になった理由 その2

(承前)

 結局会社を辞めるまでには、最初に決意してから二年かかった。その間に父が亡くなったり、家を新築することになったり、妻が辞める予定のなかった会社を先に辞めてしまったり、いろいろと思わぬ出来事があった。会社を辞めてしまうのに家を新築したのは我ながら大胆だったとは思うが、それまで住んでいた部屋が会社の借り上げ社宅だったので、新しく借りるか、思い切って買うか、という選択に迫られたのである。結論としては買ってよかった。ローンさえ返してしまえば、食うのに困るほど仕事がなくなっても住む場所だけは確保できるからだ。

 辞表が受理された日は、子供を保育園に預けてから会社に出かけていった。
 すでに辞意は伝えてあったため、上司(前回出てきたのとは別の人)と話をして、あとは社員証を返したり、厚生年金を抜ける手続きをしたり、というような事務手続きをしただけだった。本で書式を調べて書いた退職願も、結局使うことはなかった。会社には、それ用のフォーマットの用紙がちゃんとあったからである。原紙をコピーしてもらい、所属部署と名前を書いた。それでおしまい。後生大事にとってあった手書きの退職願は、無用の長物だったのである。みなさんも会社を辞めるときは、専用の用紙があるかどうか総務部に問い合わせたほうがいいと思う。
 帰ってきたら、まだ正午だった。まず電話で美容室の番号を調べ、予約を入れた。それから箪笥の中に吊るしてあった、紺色のスーツの群れをまとめてゴミ袋に入れた。白のワイシャツもまとめて捨てた。冠婚葬祭の義理事で着るため一組だけは残しておいたが、あとは残らず燃えるゴミの日に出すことにした。もう二度と、会社勤めをすることはないだろうと思った。
 時間が来たので美容室に出かけていった。お兄ちゃんが一人でやっている店で、今はもうない。ブリーチして、カタギっぽくない金髪にしたいんです、と言うと「そうですね、一度はそういうアタマにもしてみたいですよね」と笑われた。生まれて初めて経験するブリーチは、予想もしていなかったほどに沁みて、痛かった。
 綺麗に脱色し、金髪にしたあと、子供を迎えにいった。保育士の先生がとんでもなく驚いた顔をしていたが、当然だろう。子供はなんだか平然とした顔をしていて、おもしろかった。
 こうして私は十年勤めた会社を辞め、とりあえず金髪の書評家になった。

(続くかもしれない)

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(4/24)私がヒゲのPTA会長になった理由 その1

 いまさらですが私、PTA会長をやっています。

 初対面の人、ひさしぶりに会った人にそのことを言うと、かならず言われるのね。
「うわっ、その外見でPTAですか。子供に怖がられるでしょう」
 もしくは、
「子供が怖がって言う事聞くでしょう」
 どんな外見なのか、自分で言うのもなんなので「杉江松恋 画像」でググってみていただきたい。いくらでも転がっていると思うので。髪の毛を短くして、口ヒゲをはやしています。公式行事でスーツを着ると、小学校ではなくて「義理事」をしに来た人に見えるとよく言われる。このあいだは、学校内を歩いていて校長先生と間違われた。つまりそんな感じの、漫画に出てくるような恰幅のいい体格をしているわけだ。
 この外見で、昔は金髪だった。ブリーチして、金を載せた、人工の金髪である。なんでそんな風にしていたのかというと、きちんとした格好に飽きていたからだ。

 私は十年ぐらい固い企業に勤めていて、最後のころは営業をやっていた。その部署では服装の内規が厳しくて、スーツは紺だけ、ボタンは二つで、ダブルは不可。ワイシャツは白でネクタイはエンジの地味なもの、靴も黒で……という感じの、制服のようなスーツしか許されなかったのである。朝礼で二百人からの営業マンが並ぶと、それこそ奇観だった。男臭い部署でした。
 そこで働きながら私はこっそり物を書く仕事を始めていた。最初のころは内職の規模だったが、だんだん仕事が増えてきて、サラリーマンとの両立が難しくなったので、諦めてスーツを脱いだのだ。
 もっとも、物書きの仕事のせいというより、限界を感じていたからでもある。辞める少し前から、ちょっと気持ちがおかしくなっていて、もうこれ以上会社員でいるのは無理だ、と思うようになっていたのである。それにはいろいろな理由があって、ここで簡単に書くことは難しい。その一つに、子供と過ごす時間がほとんど取れないということがあった。
 共働きだったので、子供を保育園に預けていたのだが、迎えにいける時間はいつも閉園ぎりぎり。ともすると時刻を過ぎてしまい、保育士の先生に電話で平謝りしながら延長をお願いしていた。真っ暗な道を子供と手をつなぎながら帰る。住んでいたのは西新宿だったから、あまり人家がなくて、ビルばかりが並ぶのだ。そこをとぼとぼ歩いて帰って、マンションの前にある、品揃えのたいしてよくないスーパーで買物をする。食事をして、時計を見るともうそろそろ子供は寝る時間だ。朝も早いから、子供と過ごせる時間はほとんど無かった。
 もっとも私は、休日に公園でキャッチボールをして遊ぶような「いいお父さん」になりたかったわけではない。ただただ単純に「一緒にいる時間が短い」のが不満だっただけだ。そのことを最初は自覚していなくて、会社と物書きと二つの仕事に打ち込んでいた。家事も一応妻と分担していたが、彼女に甘えてしまった部分も多いと思う。子育てに関しても同様で、そんなに褒められた父親ではなかった。
 今からでも遅くないから、家族の時間をもう少しもったほうがいいんじゃないか。
 でも、仕事は好きだし、辞めたくない。
 問題は、会社と物書きと、二つの仕事を一緒にやろうとしているからじゃないか。
 じゃ、どっちか辞めるか。
 どっちだ。
 安定感と社会的地位では会社。
 収入では物書き。
 ……辞めるとしたら会社だな。
 そういう結論に達し、わりとすぐに上司に話をしに行った。

「辞めます」
「なんでや?(上司は関西人)」
「仕事が忙しすぎて育児の時間がとれないからです。家内と共働きですが、彼女は辞めてしまうと再就職が難しいと思うので、僕が辞めます」
 そう言うと、上司は溜息をつきながらこう言って私を諭した。
「君な、男は仕事やで。仕事をして、家庭を守るのが男というもんやないか」

 結局、そのときは辞表を受理してもらえなかった。以降しばらくの間、私は内ポケットに辞表をしまったまま仕事をすることになる。

(続くかも)

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(4/23)君が賞を取ったから四月二十三日は粘膜の日

 twitter経由で第六十三回日本推理作家協会賞の結果を知ったので、お裾分けです。
 
 長編及び連作短編集部門 『乱反射』貫井徳郎、『粘膜蜥蜴』飴村行
 短編部門 「随監」安東能明
 評論及びその他部門 『英文学の地下水脈』小森健太朗

 以前に予想をこのブログで書きましたが、短編部門は完全に外れ。長編は同時受賞というところまでは当たりませんでした。よって予想の点数は75点。今回は結構あたったほうかな。

 なにはともあれみなさんおめでとう。特に『粘膜蜥蜴』受賞が嬉しいです。ビバ! 粘膜! 続篇『粘膜兄弟』もいよいよ五月下旬に発売決定!

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(4/23)私はたぶん一生キムタクって言わない

 WEB本の雑誌のニュースが更新された。題名は「キムタクとこのミス1位作家がコラボ」。書いたのは私である。

 内容については読んでいただければいいのだが、題名について一つ。新聞や雑誌の記事の多くがそうであるように、このニュースの題名も編集部につけていただいている。いいか悪いかは別として、今回の題名は私には書けないものだ。俳優・木村拓哉をキムタクと略すことに、心の中で抵抗があるからである。別にファンだからじゃないよ。嫌いじゃないけど。

 十年近く前だと思うのだが、翻訳家の集まりがあって、私がのこのこ出かけていったと思いねえ。そこにいらしたのが、慶應推理小説同好会の大先輩で(大学は違うのだが)、英国古典ミステリーの翻訳でAさん。その前で私はぽろっと「キムタクが」と言ってしまったのだ。
 さあ、それからが大変である。実はAさんは木村拓哉の熱狂的なファン。信者といってもよかった。公演はもちろん可能な限り追いかけ、「舞台の上から拓哉君が私にだけわかる合図を送っていた」と真顔で語る方であった。そのAさんによれば、木村拓哉は「キムタクという呼び方を嫌っている」そうなのだ。真偽は知らない。Aさんがそう言っていたのだ。したがってAさんは木村拓哉をキムタクと呼ぶと激怒する。演技を褒めてもダメ、歌が巧いといってもダメ。拓哉君、もしくは拓哉さん、百歩譲って木村拓哉なら許すが、キムタクだけはダメだったのだ。
 酒の席ではあったが、叱られた叱られた。なんで自分はこんなことで叱られているのか、と思いながら叱られた。まあ、私は叱られて育つタイプだから、とか思いながら一時間延々と叱られた。どうやって脱出したのかよく覚えていないが、逃げ出したあとで心に誓った。「もう二度と、木村拓哉をキムタクと呼ぶのはやめよう」と。

 そんなわけで、書き文字でもキムタク、と書くことに抵抗があります。先日なくなった別の木村コーチの愛称がそれだったので、その文字がネットなどで流れるたびにびくっとした。こういうのをトラウマっていうんだぜ、きっと。

 あと、後藤真希のことをゴマキとも言わない。だって、後藤真希さんはゴマキって呼び方を嫌っているらしいんだもの。その呼び方をする年下の人間がいたら一時間ぐらい理不尽に説教してやるつもりだ。こうして美風は継承されるのである。嘘だ。

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(4/23)アガサ・クリスティーの私的ベスト10

 今週号の週刊SPA!にアガサ・クリスティー&ジョン・カランの『アガサ・クリスティーの秘密ノート』書評を書いた。まだ書店にあると思うので、ご一読あれ。そしてこの本、買ってください。

 思いついたので、個人的なクリスティー・ベスト10を書いてみることにする。一応全部読んでいるはずなのだけど、再読はしていないものもあるので記憶は曖昧だ。一作を除き、あとは順不同ということで。

『そして誰もいなくなった』
 最初に読んだクリスティーで、やはり一番好きな作品。歯医者の待合室で、これから歯を削られるという恐怖に震えながら読んだのだ。ルネ・クレールの映画もやはり最初に観たクリスティー映画で一番好き。

『NかMか』
 トミーとタペンスものではこれがお気に入り。戦時下という状況を効果的に使っているのと、「犯人捜し」の容赦ない趣向に痺れる。本当は『秘密機関』じゃなくて、この作品の解説が書きたかった。

『ポアロのクリスマス』
 歪んだ心の持ち主に運命を握られた一族が登場する作品の系譜がクリスティーにはあるが、その中ではこれが最高傑作だと思う。冒頭数章の書きぶりは素晴らしく、さりげない伏線の張り方のお手本のようだ。

『ナイルに死す』
 海外の観光地を舞台にした作品の中ではこれが好き。『白昼の悪魔』とどちらにするか迷ったので、入れ替えることも可だ。人間関係の配置がとてもおもしろく、単純な着想だけで積み上げられた素晴らしい作品だと思う。

『死の猟犬』
 短篇集の中ではこれがいちばん印象深い。というのも収録作の一つ(たぶん「ラジオ」だと思う)が怖すぎて、初読から十年ぐらい手を触れるのも嫌だったという記憶があるからだ。恐怖小説を収めた作品集。

『終わりなき夜に生れつく』
 同じ趣向の先行作品よりも、こちらの方が個人的には好き。終盤になって明らかになるプロットの悲劇性は、先行作にはない要素だ。本書を読むといつも、ウィンストン・グレアム『幕が下りてから』のことを思い出す。

『象は忘れない』
 記憶の殺人を扱った作品では『五匹の子豚』のほうが出来がいいし、未読の人はそちらを読むべきである。でもこの作品の「象のように何事も忘れない人」を探す、という探偵術の趣向に不思議な魅力を感じる。

『鏡は横にひびわれて』
 ミス・マープルものの長篇は『ポケットにライ麦を』とどちらにしようか迷ってこっちにした。代替も可能。この作品のジェーン・マープルだけ、他にはない凄味があるところが妙に気になっている。作者に何かあったのだろうか。

『オリエント急行の殺人』
 あまりにも有名すぎる作品だけに躊躇したが、生まれて初めて最後まで読み通した原書がこれなので、その思い出を尊重して。よく言われているように延々と尋問が続くだけなのに、読者を退屈させないのが凄い。

『おしどり探偵』
 キャラクターものの短篇集では、これか『パーカー・パイン氏登場』が好き。収録作のアイディアで後に長篇に活かされたものも多い(と記憶している)。コンビ探偵のかけあいはいろいろな作家に影響を与えたはずだ。

 以上。いかがでしたか。みなさんのベストテンとはどの程度かぶっていましたか?

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(4/22)クマと闘ったヒト

 昨日、元プロレスラーのミスター・ヒトこと安達勝治さんが亡くなったという。第一報をtwitterで知り、信じたくない思いで事実確認をしたら、新日本プロレスの公式サイトでも発表があった。昨日の興行では、ヒトさんとはゆかりの深いスーパー・ストロング・マシンが追悼の辞を述べたという。以下、引用。

マシン「今日の昼すぎにメールが1本届きまして。ミスター・ヒト、安達(勝治)さんが亡くなったという話です。私は知りませんが、平田という男が、とても悲しんでメールをくれました。27年ぐらい前ですか。彼はカルガリーで、安達のもとで修行をしてました。プロレスの一からすべてをあの人に教えてもらったらしいです。朝から晩までつきっきりで、毎試合、必ず会場の隅で平田選手のファイトを見守り、毎日ダメ出しを出して、『こうしたらいい』『ああすればいい』というアドバイスも(あった)。彼にとって一番重要な1年間でした。私も悔しいです。もう1回、会いたかった。ご冥福を祈るだけです(と合掌して去る)」

 ミスター・ヒトのレスラー人生で重要なのは、カナダ・カルガリーで過ごした後半生だろう。プロモーターでハート一家の総帥スチュ・ハート(ブレット・ハートの父)に気に入られ、当地で私営のレスラースクールを開設した。ダイナマイト・キッドやオーエン・ハートも彼の教え子である。日本人レスラーがカルガリー入りすると、必ずヒトさんの世話になった。新日本系では故・橋本真也、馳浩、獣神サンダー・ライガー(の中の人)やS・S・マシン(の中の人)。全日本系では川田利明がそうだ。S・S・マシンは、当地に日本人レスラーは多いがネイティヴ・アメリカンのレスラーがいないからという理由でサニー・ツー・リバーと名乗らされた。当然向こうの言葉など一言もしゃべれないのだが、「こいつは小さいころに日本に行っていたから」とヒトさんは説明したそうだ。マシンの頭をモヒカン刈りをしているところを見た娘さんに「お父さん何するの。○○さんは日本人よ」と激怒され、口を利いてもらえなくなったと語っていた。
 
 数々のレスラーを育てた名伯楽だった。「猪木さんとか馬場さんは、かっこいいこと言いすぎなんですよ。レスラーなんてね、なろうと思えば誰でもなれるんです」と語り、その指導法の一環を開陳したことがある。その人の適性を見極め、一人ひとりに違った言葉をかけるのだという。面倒見がよく、現地の女の子に声をかけることができなかったライガーの世話を焼いたこともある。トンパチすぎる橋本真也はヒトさんから「レスラーの生き方を習った」と語った。ヒトさんの奥さんの愛犬をクローゼットに隠したまま忘れ、大目玉をくらったことがあるそうだ。そんな橋本をかばったのがヒトさんだった。橋本は新日本プロレスに呼ばれて帰国するとき、ヒトさんに便箋十枚もの長文の手紙を書いて感謝の意を表した。ヒトさんはそれを読んで号泣した。父親のいない橋本は、おそらくヒトさんに頼れる父親の面影を見つけていたのだ。ヒトさんに学んでトップレスラーのセンスを身につけた馳浩は、帰国にあたって自腹でヒトさんをハワイ旅行に招待した。馳は国会議員になっても決してヒトさんの恩を忘れず、大阪入りしたときはかならず、ヒトさんのお好み焼き屋「ゆき」を訪れたのだそうだ。

 こうした話を、私はヒトさんと中島らもさんの対談本『クマと闘ったヒト』の構成をしたときに伺った。あの本の元原稿が雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載されていたとき、テープ起こしとまとめをやっていたのは私なのだ。吉田豪氏曰く「早すぎた暴露本の名作」。ミスター高橋よりも早く、リングの裏側をこっそりと、しかし現役のレスラーに迷惑をかけないような形で語っていた。連載時のタイトルは「ドクロとバクロ」。対談のほとんどはヒトさんがしゃべり、らもさんが相槌を打つ形で進んでいった。なにしろらもさんはスローモーな話し方で有名だ。対するヒトさんは、まるで大阪下町のおばちゃん。対談と言いつつ発言の釣り合いがとれないので、らもさんの台詞を作って補ったこともよくあった。なにしろヒトさんは朝からワイドショーを観るのが大好きだとかで、口を開けばゴシップネタが飛び出してくる人だ。原稿にできなくて大幅に割愛した話題も多数ある。口癖は「猪木さんはケチ」「馬場さんはズルい」。馬場・猪木の両巨頭をくさしながらも、その悪口には品があった。それは当時の現場にいて、真実を見聞した人の口から出る言葉だったからだろう。私の夢の一つは、ヒトさんが「週刊ファイト」に連載していた「カルガリーに来た若武者たち」を単行本化することだった。無類におもしろい連載だったのである。残念ながらヒトさんが亡くなり、生前にその夢は叶わなかった。

 お会いしたことは数えるほどしかない。最初にお会いしたのは、大阪・玉造にあったらもさんの事務所だ。待っていると、玄関からテンガロンハットをかぶり、革ジャンを着た大男が入ってきた。私のことを見つけると「おお、えらい大きな、レスラーみたいな人が来たなあ」とおっしゃった。光栄である。

 元祖トンパチレスラー、ミスター・ヒト永眠す。その魂の安らかならんことを祈ります。

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(4/21)羽田詩津子さんとトークショーをしてきました

 在庫一掃できたので気が楽になった。今日からは普通にブログ書きます。

 昨日は東京・六本木の青山ブックセンターにて「杉江松恋の○○トーク」第一回として、翻訳者の羽田詩津子さんをお招きし、新刊『アガサ・クリスティーの秘密ノート』についてお話してきた。「ミステリマガジン」大編集長がレポートを書いてくださったので、こちらをご覧ください。

『秘密ノート』著者のジョン・カランという人は作品の評価がはっきりしていて、『五匹の子豚』と『邪悪の家』がご贔屓、クリスティー作品の中でもあまり評価しない作品については、はっきりと苦言を呈している。そのうちの一つが『杉の柩』である。クリスティーはかつてこの作品について「ポアロが出てきてだめになってしまった」という趣旨の発言をしていて、じゃあどういう風に「だめ」なのか、気になっていた。今回のトークショーでは、羽田さんにも本を再読いただき、『杉の柩』擁護論を試みた(ちなみに羽田さんは、『杉の柩』がクリスティー作品の中でもベスト10に入るほどお好きである)。私はたぶんこの小説を読むのが四回目だと思うのだが、またもや結末で驚かされた。容疑者を複数こしらえるミスリードと、真相を示唆する伏線の埋設が非常に巧い作品である。明かされた真相には若干疑問を呈したい箇所もあるのだが(カランが指摘している部分とは別に)、それでも『杉の柩』は優れた作品だと思う。ミステリー作家志望者には、ぜひこの技術を学んでいただきたい。

 トークショーのあとは某所で打ち上げ。来場くださった川出正樹さん、酒井貞道さん、新保博久さん、直井明さん、道尾秀介さんにも参加いただき深更まで飲んだのだった。楽しかったです。ありがとうございます。

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(4/20)本の雑誌五月号にもそういえば

 在庫一掃ブログフェア、そろそろ終わりに近づいてきた。「本の雑誌」五月号に三月二〇日に行われた翻訳ミステリー大賞贈賞式のレポートを書かせていただいたんおを忘れておりましたよ。本格的なレポートは次号の「ミステリマガジン」の特集に掲載される予定なので、こちらでは裏方レポートのようなものを。実際に参加していただいた方は、あの裏で何が起きていたか判って興味深いのではないかと思う。まあ、実際にはあそこに書いた以外にもとんだ間違いの数々があったわけだが、それらは歴史の闇の中に葬られるサダメだ。

 とにもかくにも、編集部Mさんから「自分の失敗をそこまで書きますか」と笑われたレポートは絶賛掲載中。もし「本の雑誌」読者の中にイベント参加者がいたら、「三角窓口」に感想を寄せていただけると嬉しいです。

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(4/20)藤ダリオ氏の文庫新刊にも解説を

 まだまだ続く在庫一掃フェア。角川ホラー文庫新刊の藤ダリオ『出口なし』にも解説を書いたのだった。藤氏は藤岡美暢の名でTVアニメ版『巷説百物語』脚本や『魍魎の匣』のシリーズ構成をされていた方である。『出口なし』が小説家としてデビュー作ということになる。密室に閉じ込められた男女が不快なゲームを通じて脱出を図るというノンストップスリラーで、落ちが人を食ったような意外なものであるところがおもしろい。単行本版の刊行当時に読んで、感心させられた作品だった。この落ちを見破れるか挑戦してみるといいと思います。

 角川ホラー文庫新刊では、今月高田侑『うなぎ鬼』も出ている。これも嫌度満開の話だ。今月はあれか、マゾヒスト月間なのだろうか。

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(4/20)ミステリーズ! 路地裏の迷宮踏査も。

 毎度毎度好きなことばかり書かせてもらっているという点では、「ミステリーズ!」の連載「路地裏の迷宮踏査」も一緒だ。今回で四十回目(つまり創刊からずっと続けている)だが、よく考えたらしばらく版元の本を扱ってさえいなかったような気がする。反省をこめて次回ぐらいは創元推理文庫に言及できるテーマにしよう。今回採り上げた作家はT・S・ストリブリングである。内容はいつものとおり、ミステリー史の表側ではあまり触れられることのないことについて書いている。

 その「ミステリーズ!VOL.40」には哀しいことに三人の方の追悼記事が載っている。北森鴻さん、柴野拓美さん、浅倉久志さんだ。北森鴻さんには愛川晶、芦辺拓、霧舎巧(あまり知られていないが、大学ミステリ研の後輩にあたる)の三氏が追悼文を寄せていて、そのうちお二人が、夜に北森鴻さんから電話がかかってくると通話口の向こうから水割りの氷が立てる音が聞こえてきた、という話を書いている。カラン、カランというあの音だ。深夜の電話も、もうかかってくることがない。切なく思い出した。

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(4/20)北森鴻さんの単行本に解説を書きました

 本年一月に急逝された北森鴻さんの『暁英 贋説・鹿鳴館』(徳間書店)に解説を書いた。「問題小説」に連載されていた作品で、帯にあるように「絶筆、無念。」である。そして「残念ながら未完ですが、傑作です」。そう、傑作だからこそ、未完なのが残念なのである。

 ファンの方はご存じだと思うが、北森さんのデビュー作『狂乱廿四孝』(角川文庫)は、江戸から明治にかけて活躍した狩野派出身の画家、河鍋暁斎の幽霊画をヒントにして書かれた作品である。暁斎は、北森さんにとって関心を惹かれて止まない存在だったようで、未完に終った連載作品でも彼について書いたものがある。『暁英』は、その暁斎がふたたび重要な役どころで登場する作品だ。暁英、とは河鍋暁斎に酔狂にも弟子入りした外国人の雅号なのである。名前はジョサイア・コンドル。鹿鳴館の設計にかかわったことで有名な、明治期のお雇い外国人である。本書は、その鹿鳴館の謎を解き明かす歴史推理なのだ。扱われる題材は『蜻蛉始末』(文春文庫)とも重なっており、また史実から推理を重ねていくやり方は連杖那智フィールドファイルシリーズなどを彷彿とさせる。あらゆる意味で作家の集大成となったはずの作品だ。

 未完ではあるが、謎の九割方は解かれている。お読みになってストレスを感じることはないはずである。ファンの方にも、また北森作品を読んだことがない方にもぜひお薦めしたい。お読みいただき、北森鴻という作家がこの世にいたことに思いを馳せてもらえれば、解説子としてこれに勝る喜びはない。

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(4/20)雑誌の仕事が一つ終りました

 新しく始まるものがあれば終るものもある。請け負ってやる仕事なのだから、それは仕方のないことだ。

「ナンプレファン」で連載させてもらっていた「より道ミステリー」の書評欄が今月号で最終回になった。誌面刷新ということなので、これは仕方ない。パズル雑誌にふさわしく「謎解きに特化した本に限って書評する」「新刊と、もう一冊のお薦めをセットで書く」「おまけとして中でパズルについて触れているミステリーについても紹介する」という三つの縛りを設けてやらせてもらっていた連載で、特に最後のパズル・ミステリーの紹介をするのが楽しかった。機会をいただき、編集部にはお礼を申し上げる。同様の連載、どこか別の雑誌でやらせてもらえないかなあ。

 最後に採り上げたのは、梓崎優『叫びと祈り』(東京創元社)である。新人の短篇集としては良い出来だ。一読をお薦めしておきます。また、最終回を記念して編集部で本のプレゼントを企画してくれている。先日解説を書かせていただいたアントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)を五名の読者に差し上げるとのこと。よかったら雑誌を読んで応募してみてください。

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(4/20)ほぼ週刊WEB本の雑誌? やれんのかー!?

 ここのところブログの更新が途切れ途切れになっているのは、書くことがないからではなくて、優先順位が高い用件が他にあってなかなかブログに手をつけられないからだ。なので本日は、可能な限り情報の在庫処分をしてしまうつもりである。頻繁に更新してしまうと思うが、お許しを。

 まず一つめ。拝命いただき、この四月から「WEB本の雑誌」のニュース特派員を、東えりかさん、大森望さんとともに務めることになった。本日サイトがリニューアルされ、最初の記事が載っています。先日刊行された第一回島田荘司推理小説賞について。管理人兼編集人を務める「翻訳ミステリ大賞シンジケート」とともに、ご贔屓に願います。実はウエブ関係の仕事はもう一つ隠し玉がある。近日中にご報告します。

 そして本日は、六本木ABCにて羽田詩津子さんとクリスティー・トークの日。会場にはまだ余裕がありますので、御用とお急ぎではない方はどうぞ。

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(4/16)六本木ABCでアガサ・クリスティーのお話をします

 だいぶ間が空いてしまいました。みなさま、つつがなくお過ごしでしょうか。寒くなったり暑くなったり寒くなったり、誠にはっきりしないお天気で、困り者ですな。もっと暑くなれよ!(松岡修造風に)。

 この一週間は、PTAの用件が半分と仕事が半分、わたくしに出来る時間がほぼ無い状態だったのだが、忙しいことは良い事だ。一昨日は、都内某所の神社にてTV番組のロケーションに参加してきたのである。その写真をちょっと貼っておきましょう。

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 あの鳥居のところにおられる、巫女さんのような人は誰かって? それは後日のお楽しみ。

 さて、いきなりでたいへん申し訳ないのだけど、来週火曜日、四月二十日に東京港区の青山ブックセンター六本木店で、トークイベントを行います。先ごろ出版されたアガサ・クリスティー&ジョン・カラン『アガサ・クリスティーの秘密ノート』(ハヤカワ・クリスティー文庫)の発刊を記念したもので、共訳者の一人である羽田詩津子さんをお招きして、この本のことや、クリスティーの魅力について語っていただく予定である。

『アガサ・クリスティーの秘密』についてちょっと書いておく。これは、クリスティー研究家であるジョン・カランが発見・整理した、七十冊を超える作家の創作ノートの研究書であり、これまで知られてこなかった新事実が満載された楽しい一冊だ。クリスティー作品を「童謡殺人」「海外旅行の殺人」といったカテゴリーに分類し、それぞれ内容に詳しく踏み込んで、創作ノートと実作を引き比べて解説している。中で明かされている事実はたとえば、

・ピーター・ユスチノフ主演映画でおなじみ『ナイルに死す』は、実はミス・マープルものとして発案されていた。
・『そして誰もいなくなった』の構想段階では、あの十人以外に登場人物が予定されていた。
・『ABC殺人事件』の連続殺人は、最初はABC順ではなかった。

 というような、読んだことがある人ならば「えーっ」と声を上げて驚きそうになることばかり。
 クリスティー・ファンには一読をお薦めする。また、イベントにもぜひお越しください。
 無料イベントなのでお気軽に。ただし、予約をしていただけるとたいへんに嬉しいです。以下をご参考にどうぞ。

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2004年、世界的ミステリ作家アガサ・クリスティーの別荘だったグリーンウェイ・ハウスが整理され、

そこから未発表の短篇2篇を含む、クリスティーの創作ノートが発見されました。

クリスティー研究家ジョン・カランが、5年の歳月をかけてそれらのノートを読み解いた成果が

このほどクリスティー文庫より刊行する『アガサ・クリスティーの秘密ノート』(2010年4月9日発売)です。

短篇2篇の翻訳に、ノートの実物写真と対照したカランの解説を合わせて、いままで誰も知らなかったクリスティーの創作の秘密に迫っていきます。

この本の発売を記念し、書評家の杉江松恋さんをナビゲーターに、毎回ミステリ系のゲストを迎えて贈る青山ブックセンター六本木店オリジナルイベント「杉江松恋の○○トーク」(まるまるとーく)の栄えある第1回ゲストとして、『アガサ・クリスティーの秘密ノート』の翻訳者のひとり、羽田詩津子さんが登場します。その名も「クリスティートーク」。作品やそのひととなり、小説作法についてなど、ミステリの女王アガサ・クリスティーを縦横無尽に語ります。

■2010年4月20日(火)19:00~ 

■会場:青山ブックセンター六本木店

■電話予約&お問い合わせ電話:青山ブックセンター六本木店・03-3479-0479

■受付時間: 月~土・祝 10:00 ~ 翌朝5:00

         日 10:00 ~ 22:00

(※受付時間は、お問い合わせ店舗の営業時間内となります。御注意下さい。)

■受付開始日:2010年 4月9日(金)10:00~(六本木店頭および電話にて受付)

*1:店内でのイベントです。ほとんどの方は40~50分のトークをお立ち見となります。ご了承ください。

*2:参加は無料ですが、ご予約ください。

*3:トーク終了後にサイン会がございます。同じく2010年4月9日(金)朝10時より、青山ブックセンター六本木店にて、ジョン・カラン著、羽田詩津子、山本やよい訳『アガサ・クリスティーの秘密ノート』(早川書房 クリスティー文庫 上下各840円税込)をお買い上げの方に、羽田詩津子さんのサイン会整理券が配布されます。

杉江松恋さんのサインは、イベント当日、六本木店にて松恋さんの著作をお買い上げの方にレジにて整理券が配布されます。

古書の持込みはご遠慮ください。また色紙など、本以外のものにはサインをいたしません。以上ご了承の上、ご参加ください。

詳しくは青山ブックセンターの下記サイトをご覧ください。

http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_201004/_vol1.html

羽田詩津子(はた・しずこ)

英米文学翻訳家。訳書に『アクロイド殺し』『予告殺人』(クリスティー)、『猫は殺しをかぎつける』(ブラウン)、『スイート・ホーム殺人件』(ライス)他多数。著書に『猫はキッチンで奮闘する』がある。その他、《共同通信》や〈BSブックレビュー〉のレビュアーなども務める。

杉江松恋(すぎえ・まっこい)

1968年東京生まれ。ミステリ評論家、文筆家。おもな著作に『バトル・ロワイアル2 鎮魂歌』『バトル・ロワイアル2 外伝―3‐B 42 Students』(太田出版)、『口裂け女』(富士見書房)、『これだけは読んでおきたい名作時代小説100選』(アスキー新書)などがある。《SPA!》《時事通信》《ar》《ミステリマガジン》《ミステリーズ》などで数多くの書評を手掛ける。

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(4/6)楡周平氏の文章は塊で目に入ってくる

 今週発売の週刊現代に『血戦 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京2』の書評を寄稿した。うっかりして知らなかったのだけど、前作はテレビドラマになっていたのね。

 楡周平氏は失礼ながら美文の書き手ではない。わかりやすい文章で、情報を正確に伝える能力に長けた人だが、小説の文章そのものを味読するようなタイプの作家ではないのである。情報と情緒、どちらを伝える力があるかといえば、圧倒的に前者だ。だから楡作品を読むと、個々の文章はそれほど印象に残らないのに、「何が書かれた小説であったか」という大枠のプロットだけは必ず記憶に刻まれることになる。これって凄いと思うのだ。

 ドラマや映画の素材を探している関係者は、もっと楡作品を読んだほうがいいのじゃなかろうか。細部の可塑性が高く、役者を選ばないはずである。きっと良い映像作品ができる(楡作品がドラマを小説化したようだと言っているのではないので念のため)。大河ドラマの原作なんかもお願いしてみてはどうか。

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(4/6)江戸川乱歩賞二次選考会終了

 第五十六回の江戸川乱歩賞二次選考会は無事に終了した。二十一作の二次候補作のうち、五作が残り、最終選考に進むことになる。残られた方は、まだ気が早いがおめでとうございます。実力伯仲と言いたいが、中に二作、予備選考委員の評価が集中したものがあった。二次選考に携わった者としては、この二作のどちらかが賞を獲るものと期待したい。ただし、最終選考委員の評価基準は予備選考委員とまったく異なる場合もあるので、こればかりは蓋を開けてみないとなんとも言えないのである。昨年の第五十五回などは、予備選考委員がそれほど評価していなかった作品が、大賞作の対抗馬に浮上していた。

 二次候補作のうち、落選した十六作については今月発売の「小説現代」五月号に寸評が掲載される。これは日本推理作家協会の新しい試みで、今年度から始まったものだ。ごく短い講評ではあるが、ぜひお読みいただき、参考にしてもらいたい。

 今年の感想としては、文章に清新さを感じるものが少なく、プロットなどに既視感を覚えるものが多かったということだ。これは江戸川乱歩賞という歴史ある賞の性格上やむをえないことなのかもしれない。中には冒険をしているものもあり、たいへん微笑ましく、また頼もしかった。その多くは残念ながら筆力が着想に伴わず、充分な小説世界を創り上げるには至らなかったのだけど。しかしその意気を私は買います。次回作に期待するところ大である。

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(4/1)これは嘘ではありません

 新しい期に切り替わり、年度が改まった。つきあいのある編集者のうち何名かは、たぶん異動になっているだろう。二〇一〇年度の開始である。自営業仲間の諸氏は、無事に切り抜けられたかな。

 ご報告を。二〇〇八年、二〇〇九年度に引き続き、今年も小学校のPTA会長を務めることになった。最初はこんなに長い任期になるとは思っていなかった。最初の年に校長から「一年目は我慢、二年目でやりたいことを見つけて、三年目が本当の会長仕事ですよ」と言われた。そのしめくくりの年になるはずだ。嬉しかったことは、全校の家庭数のうち八割を超える方から信任投票の返事をいただき、不信任が一つもなかったことだ(昨年は数票あった)。この結果を裏切らないように、やれることをやりたいと思います。今年はPTA活動について、もう少し勉強する年にしていこう。ちゃんと仕事もしながら。

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