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(7/29)ガースといっても柳下毅一郎氏ではなく。

 藤田香織氏といっしょに仕事をすることになったので、昨日はその打ち合わせを兼ねて飲んだのであった。芋焼酎を飲みすぎたせいでまったく記憶が残っていないが、きっと有能な編集者諸氏が覚えてくれているであろう。そうに違いない。

 藤田氏のだらしな日記によく出てくる編集者ガースとお会いしたのだが、どうも初対面ではないらしい。お互いに名刺交換をした痕跡が残っているし。いつお会いしたんですかねえ、と首をひねりながら話をしているうちに、はっと閃いた。

「ガースさん、もしかして有栖川有栖さんの担当ですか」
「そうですけど」
「最初にお会いしたのって、千葉の外房の方でやったミス連大会じゃ……」
「あ、そうです! そのときです!」

 おお、あのときか。はるか昔、千葉県で全日本大学ミステリ連合の夏合宿があったとき、某社編集者のお二人が挨拶にこられたことがあったのである。有栖川さんがゲストで話されているのを聞きながら、見慣れない人がいるなあ、と思っていたら編集者だった。ガースさんは、先輩編集者のS氏に連れられて、何も知らずに連れてこられたのだという。書店か何かのイベントだと思って来たらミス連の合宿だった、というのは結構びっくりしただろうなあ。会場は普通の旅館だったし。

 そのときの有栖川さんは、前夜が東京駅のステーションホテルにお泊まりで、朝移動してこられるという話だった。きっと外房線の下りに乗ってこられるに違いないと思い、学生と一緒に待っていたら、予想外の時間に駅から出てこられた。

「あれ、外房線でいらっしゃったのではなかったですか」
「ええ、上りできました」

 せっかく千葉まで来たのでもったいないと、内房線で房総半島の南端まで行き、そこから外房線の上りに乗って引き返してこられたのだそうだ。乗り鉄という言葉を当時は知らなかったので、私はびっくりした。有栖川有栖、正統派の鉄道マニアである。

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(7/28)不思議現象もだいたいは物理法則に沿っている

 引っ越して以来ずっと使っているファイルキャビネットがおかしくなった。車輪がついていて動くタイプのもので、棚と引き出しの二層構造になっている。その引き出しが閉まらなくなってしまったのだ。残り五センチくらいのところでつっかえてしまう。

 最初は、何かが引き出しの裏に落ちてつっかかっているのかと思った。引き出しの中のものをすべて出してみたが何も無い。次に、引き出しの脇についている二本の金属製レールに何かがはさまっているのかと疑ったが、そこでもなかった。点検。なんともない。しかし閉めると閉まりきらない。うがー。

 だんだん頭に血が上ってきて、何度も開け閉めしてみた。そのたびにガツーンと小気味いい音がして……閉まらないのである。そんだけいい音がしているんだから、閉まったっていいだろ! と理不尽な怒りがこみ上げてきて、さらに何度も何度も。さながら斧を振るう木こりのごとく、木音を響かせる。

 そのうちはっと気がついた。どう聞いてもこれは、木と木がぶつかっている音である。思いついて引き出しを最大限に開け、中を覗いてみた。すると、たわんでいるのである。棚の底板が、大きくしなってU字状になっている。よくよく見てみると、板の両脇には車輪がついていて床面に対して踏ん張っているが、その中央が上からの圧力でたわめられているのであった。

 過積載か。

 このファイルキャビネットには、さまざまなレファレンス類が積んであった。横文字のレファレンス本はだいたいがA4ハードカバーで、たいへんに重たいのである。それが二十冊ばかり、背を上に向けて並んでいる。さらに掲載誌のスクラップブックと各種辞書も。すべてを合計すると、おそらく四十キロぐらいにはなるだろう。

 不思議現象でもなんでもなく、長年酷使された結果、棚全体が歪んでしまっただけなのであった。限界だろう、これは。とりあえずキャビネットに載せてあった本をどけて積み上げた。しばし考えて、本棚を二本注文し、それにすべてを移すことに決めた。天井の高さまで本を詰め込むことができる、「カシマカスタム」というやつである。文学者の鹿島茂さんの意見を取り入れて商品化したものらしい。これで唯一残っていた、幅百二十センチほどの壁面も本棚に侵食されることが決まった。終わりの始まりだ。いよいよ本気で、書斎を別に借りることを考えるときがきたのかもしれない。

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(7/26)謙遜も時によっては愚となり悪となることを知っておいたほうがいい

 他の方がどうかは知らないが、私は他人の文章を読むとき「この人にはこの文章を書く資格があるのだろうか」ということをよく考える。もちろん「文章を書く権利」は誰にでもあり、どこに書くのも自由である。「週刊ホニャララ」になにがしかの文章を発表した人がいたとして、その行為自体で批判される筋合いはどこにもない。法律によって保障された権利によって発表しているのだから、何をしようと自由である。もちろん「ホニャララ」の側にも編集権というものがあるので、要求されたからといって誰の原稿でも掲載しなければならないということは無い。それが公共の媒体というものだろう。もちろん、ネットなどの個人の自由になる媒体であれば、誰が何を言おうと勝手である。

 それでも「この文章を書く資格」というものはあると私は考える。たとえば追悼文の場合には「誰が故人について語っているのか」ということが重要な意味を持つのだ。故人に対して弔意を表すことは誰でもできるが、公器に発表される追悼文には、「書き手が友人、ファンの代表である」という前提が存在する。いや、そんなことはない、誰にでもそういう資格があるはずだ、と言い出す人もいるかもしれないが、それは「おこがましい」とか「差し出がましい」といった言葉の意味を知らない、単なる阿呆である。どんな文章でもそうなのだが、「他人の個人的な出来事を、気軽に飯の種にしてもらいたくない」と私は思う。追悼文については特にそれを強く感じて、ひとさまの不幸につけこんで原稿料を得たり、自分の宣伝をしたり(たとえば故人と自分はこんなつながりがあった、というような)という行為は下品である。したがって、一人の追悼文を複数の媒体に発表するような人を見ると、本人に悪意がないのかもしれないが、私は不快感を覚える。その追悼文を書く資格を濫用しているように思うからだ。

 このように、出しゃばり、恥知らずな文章書きを見ると満遍なく不愉快になる杉江松恋である。狭量で申し訳ない。ただし、我が強すぎて嫌な書き手は、出しゃばり屋だけとは限らない。その逆の、謙遜の過ぎる書き手にも同様の臭みを感じることがあるのだ。「私などは任ではありませんが」「このような場所で発言させていただくことになり真に恐縮の限りで」「浅学菲才の身なれど」「諸先輩方を差し置いて私如きが」などなどと云々。任でないならば出てこなければいいのだし、恐縮しなければならないようならば引っ込めばいいのだし、学と才が足りなければ黙ればいいのだし、諸先輩方に悪いと思うなら譲ればいいのである。もちろん本人はそんなことはかけらも思っておらず、任に適うような人間は自分しかおらず、自身満々で人を押し分けても前に出たいと願っており、学も才も有り余るほどあると自惚れており、年寄りは引っ込めと考えているのだ。そういう人間だから文章でものを表現したいと考えるのだし、資格を得ようとしてそれなりに努力をする(努力をしないで思いこみでものを言っているなら単なる馬鹿だ)。もし本当に資格がないと自覚している書き手ならば、文章の世界から黙って身を引いているはずだろう。自信があるなら謙遜は余計な一言で厭味だし、自信がないのなら言い訳を聞かされているわけで不快である。謙遜した物言いをする人はおそらく誠実なのだろうが、予期せぬ不快感を他人に与えているかもしれない。そう承知しておいたほうがいい。

 ブーメランの批判となるかもしれないことをあえて書いた。以降私も、自分に資格がない文章は書かないし、余計な謙遜はしないつもりである。もし何かの文章を見て私を不遜だと思うことがあるとしたら、それは態度が悪いのではなくて、能力がないのに身の丈に合わないことを書いているから馬鹿に見えるのである。「杉江松恋は反省しる!」と批難していただきたい。間違ったことをしたと判断したら、ちゃんと反省し、謝ります。

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(7/25)なんでカラオケの題名に「京極夏彦」と入っているんだ、と作者はぼやいていた

 昨日の私は、午前中が町会の少年部イベント、午後が区のPTA会長会で夕方から青少年委員との対話集会があるという公務ぎっしりの一日だったのであった。懇談会の後に青少年委員会との懇談会(つまり打ち上げ)と先週のキャンプの反省会(つまり打ち上げ)という二本立てだったのだけど、一滴も飲めずに三十分ずつつきあって新宿へ。京極夏彦『西巷説百物語』の刊行記念イベントがあったためだ。

 会場は三百人程度の定員規模だったが完全に満員であった。聞けば、チケットは三日で完売したそうだ。さすが京極夏彦。入場者全員に出来立てのサイン入り『西巷説百物語』が配られる特典だったが、本の制作が押してしまい、京極さんは当日三百冊にサインを入れる羽目に。一冊ずつお化けの名前やらなにやらが添え書きしてあるので、変な一言が入っていた方は当たりである。

 ほとんどリハーサル及び打ち合わせの時間はなく、楽屋でぽそぽそ京極さんと話しながらトークの内容について相談した。上映中のアニメ版『巷説百物語』をモニターで眺めながら、「このアニメは、なんで題名の頭に『京極夏彦』と入っているんですかね」と作者。「カラオケで主題歌を検索してみたら、『京極夏彦 巷説百物語』と出てくるんですよ。なんでカラオケボックスのモニターで自分の名前を見なきゃいけないんだ」とぶつぶつ呟いていた。まあ、あんまりそういう作品はないですな。「赤塚不二夫 天才バカボン」って言わないし。

 私の持ち場は京極さんとの三十分程度のトークである。内容についてはレポートが上がっていたのでそちらをどうぞ。→AppleよりSimpleな日々 いろいろありましたが、楽しいイベントであったと思います。

 終了後は近くの居酒屋で、『怪』チームと打ち上げ。いろいろ話をしたが、すべてくだらない内容で、実に素晴らしいことであった。気がつくとすでに夜が明けていた。角川T氏他の編集者諸氏とタクシーで帰還したが、T氏は意外なことに拙宅から歩いて数分のところにお住まいであった。サンダル履きであちこちうろついているときに会っていたかも。倒れ伏して睡眠。半日ばかりまったく使い物にならない状態であった。

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(7/24)村崎百郎さん

 村崎百郎さんの訃報をネットで発見したとき、最初は何かの悪い冗談だとしか思えませんでした。
 文筆家が著書のせいで他人から恨まれ、暴力による危害を受けてしまうとは。
 同じ職業に就く者として、怒りを禁じえません。
 そして、村崎さんの無念を思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになります。
 昨夜から感情が混乱したままなので、改めてこの件については考えをまとめようと思います。
 心からお悔やみ申し上げます。村崎さん、もっと生きていたかったでしょう。残念です。本当に残念です。

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(7/21)金○を蹴っ飛ばされるような気分になる作家

 今週末に発売になる幻冬舎の詠坂雄二『ドゥルシネーアの休日』である。前作を読んで「うっへー」と思った人にも「うっしゃー」と思った人にも読んでみていただきたい。詠坂雄二初のエンターテインメント路線作品ではないかしら、これは。今月号の「ポンツーン」に載せてもらった書評はこんな出だしで文章を始めている。

 --詠坂雄二の作品を読むと、いつも女子高生に急所を蹴っ飛ばされたような気分になる。

 遠慮して商業媒体では急所と書いたのだけど、まあ金○のことです、○玉の。過去の詠坂雄二作品を読んで同じような気持ちになったことがある人は、ぜひ書評も読んでみてつかぁさい。

 あ、わざわざ見本誌を持ってきてくださった、幻冬舎のOさん、おつかれさまです。暑い中を悪かったですね。

 

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(7/20)「”この町の誰か”が翻訳ミステリファンだと信じて」で言い忘れたことを書いてみる

 私は、これまで生きてきた中でほとんど「昔は良かった」と思ったことがない。それは自分の趣味がかなり特殊だという自覚があるからである。読書に関していえば、高校を卒業するまで同世代の友人と本の感想を語り合ったことはなかった。周囲にミステリー読みはほとんどおらず、特に翻訳ミステリー読みは皆無。わずかに小学生のころ、同じクラスのT君とアガサ・クリスティーの話をしたことがあるくらいである。あとは推して知るべしで、小説の話などを学校でした経験はまったくない。これは誰のせいでもなく、自分の肥大した自意識のせいである。

 世の中が浮ついていて、「根暗」が蔑まれ、軽くて明るいものが尊ばれる時期に中学高校時代を過ごしたものだから、自分の中にそういう趣味があることはひたすら隠していた。今にして思えば、ミステリーファンであることを公言しても別に迫害を受けることはなかったはずなのだが、十代の自意識がそれを許さなかったのである。そういう怨嗟の記憶があるため、高校卒業までの期間は自分にとっては暗黒時代もいいところであった。今でも「クラスの人間関係」なるものに悩んでいる子供たちを見ると、駆け寄って肩をたたきたくなる。一部の人間にとって、学校とは、多数派の論理が幅をきかせ、同調圧力に日々脅かされる場なのである。ろくなもんじゃない。

 大学に入って、ミステリー研に所属したときはほっと息を吐いたものだが、最初に味わった感想は正直なことをいえば失望だった。自分より豊富な知識を持っている人間は、同期どころか、先輩にもいなかったのである。唯一、Kという先輩だけが読書の教養という点では尊敬に値する人物で、私は好きだったのだが、とっとと中退してどこかへ消えてしまった。アントニオ猪木とほぼ同じ身長という巨人で、ビリヤードをすると、とんでもない先にまでキューが届くので不公平極まりなかった。成人してから一度だけ池袋西武のリブロで会ったことがあるが、周囲を威圧するような巨大さで、壮観であった。編集者になったらしいのだが、今はどうしているのだろうか。

 話が横道に逸れた。つまり大学に入れば同じような趣味の人がたくさんいて、朝から晩までミステリーの話ができる、という思い込みは幻想にすぎなかったのである。ミステリーというのは、当時においてもあまり若者の趣味ではなかった。ミステリー読者が一気に低年齢層化したのは、一九八八年の新本格ブーム以降のことだし、その当時においても二十歳前の小僧が翻訳ミステリーが好きだというのは、かなり特殊な趣味だった。このことは、電書「”この町の誰かが”翻訳ミステリファンだと信じて」でも言い落としてしまった。つまり、かつて翻訳ミステリーを若者が呼んでいた黄金時代がある、というような幻想は自分の知る限りでは誤りというか、記憶の美化だと思うのである。

 ミステリー研で軽い失望を味わった後もそこに私が居続けた理由は、中井英夫とラブクラフトを心から愛するT君が同期にいたり、一年下に歳は上だが三浪して入学が遅れたY君(彼はやたらとオヤジくさい警察小説が好きだった)が入ってきたりといった具合に、「趣味が同じとはいえないが、よく話をすると共通の部分がある」友人が発見できたからである。それは対話の賜物で、趣味がまったく違うからといって無視していたら、彼らから吸収できるものはなかった。

 それよりも何よりも大きかったのは、大学の四年先輩に川出正樹、村上貴史、小山正といった先達がいたことで、彼らがOBとして顔を出してくれていなかったら、もしかしたら私はミステリー研を早期に退会していたかもしれない。毎週一回開かれる読書会の例会も、正直言ってOBと話をするために行っていたようなものである。触発されるのが楽しかったからだ。自分の知らないことを教えてもらうのが好きだったからだ。「自分は人と趣味が違うから」と自分で理由をつけて偏屈に凝り固まっていた意識をほぐしてもらい、私は大いに成長することができた。

 ミステリー研のような大学のサークルは非常に貴重な場で、そこでしかできない会話、そこでしか作ることができない友人というものがある。しかし、「自分と同じ趣味の人間なんていない」という自意識を抱えている人間にとっては、それでも不十分なのだ。お薦めの作品を教えてもらったところで、相手が尊敬する相手でなければ、その本に手を伸ばすことはない。読書というのはその人間の人格を大きく左右する要因なのだから、余計な知識をもらいたくない、と考える者がいても不思議でないのである。トリヴィアルな知識の量を誇示して、自分が他人よりどれだけ凄いか、と自慢する輩は当時からいたが、別になんとも思わなかった(ほとんどの情報がネット上に氾濫している現在では、なおさらそれは尊敬に値しない行為だろう)。結局は人だったのだ。話して尊敬できる相手の知識は受け入れる。できなければ無視する。その仕組みは現在でもまったく変わっていないはずだ。

 読書家で、自分は孤独だと思っている方に言いたい。あなたたちは間違っていない。たとえ本以上に親しい友人がいなくても、それは人格の欠陥を意味しない。本が自分の一部であって、周囲の人間は外部にすぎない。そういう自意識を私は否定しない。ただし、かつての私がそうであったように、進んで踏み出すことによって何か新しいものに出会う機会をつかむことができるというのもまた事実である。つかむことができる、というのは、つかまなくてもいい、ということなのだから選択権は自分にある。自分を豊かにするための手段は自身で選んだほうがいいし、他人のそうした選択を邪魔する権利は誰にもない。あなたたちは間違っていないし、自由だから、自分で何をしたいのか決めてかまわないのだ。ただ、周囲の声をきき、動きを見る目だけは放棄しないでもらいたいと思う。

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(7/20)電書フリマには行けなかったが盛況だったってけーねが言ってた

 七月十七日の電書フリマにお越しいただいた皆様、そして川出正樹/霜月蒼/杉江松恋+米光一成の座談会本『”この町の誰かが”翻訳ミステリを好きだと信じて』をお買い上げくださった好事家の皆様、ありがとうございます。私は遠いキャンプ場の空から、盛況になることを祈っておりましたよ。売り上げ報告を米光一成さんから頂戴しており、指名買い、まとめ買い合わせて九十冊もの方がわれわれの電書にお金を出してくださったとの由であった。至上の喜びであります。感想、質問などはこちらまでいただければ幸いです。どんな内容でも結構ですので、ぜひとも。座談会出席者で閲覧し、今後の参考に致します(杉江個人への私信である場合はその旨をお書きください)。

 また、残念ながら当日会場にお運びになれなかった皆様、ご安心ください。現在、ネット上の頒布計画を着々と練っております。杉江松恋がこの猛暑でダウンしなければ、近日中に販売を開始できる見込みですので、今しばらくのご猶予を。

 本書の内容については以前に転載した「まえがき」に詳しいので、ここでは繰り返しません。一つだけ強調しておきたいのは、あの座談会で話された内容がすべて「個人的な体験」の確認であったということです。それを安易に普遍化しようとは思いません。読書の記憶とは個人史と密接に結びついた体験の産物であり、各人にとって何物にも代えられない貴重な財産のはずです。その聖域を踏み荒らすことをわれわれは望まないし、お互いに距離を保ちあうことが、よりよい触発の機会を生むと信じるものです。出席者たちの話が良い触媒となって作用することを切に願います。

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(7/17)業務連絡です

 本日から19日夕方まで、子供たちを引率してキャンプに行っております。
 緊急の用件は、携帯電話までお願い致します。
 あしからず。

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(7/14)GINZA RED RED う~い(ゲップ)

 マガジンハウス「GINZA」八月号に顔を出してきました。「豊﨑由美さんが強力プッシュ この夏あなたを唸らせる本」という特集で本年のミステリー上半期ベスト10を決める企画があり、大森望さんと二人で本を選んできたのでありました。以前にtwitterで「杉江松恋の薦める本はだいたい屈折している(大意)」と書いていただいたことがあり、たいへんに光栄だったのであるが(屈託のない物書きなんていらないもの)、今回はそんなに屈折していない……と思う。うん、私の趣味って素直だなあと思いましたよ。ベスト10のうち、どの本を大森さんが選び、どの本を私が挙げたかは、ご覧いただければすぐに判るはずだ。どっちが屈折しているか、見比べてみてください。

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(7/8)お化けにゃ学校も試験もなんにもない

 七月二十四日に京極夏彦『西巷説百物語』の刊行イベントがあるのだけど、その中で京極さんのトークイベントの司会を務めることになりました。といっても京極さんは話術が素晴らしいので、私は単なる相槌役になるものと思われます。「なんでやねん!」って言うお稽古しておこう。最後は「ええ加減にしなさい」かな。イントネーションが難しそうだ。私がいうときっと、桂三枝の真似をする松本人志の下手な真似になるはず。

 お化け大学校イベントの詳細はこちら。

 これで見ると夜九時半からのレイトショーイベントなのね。お化け大学校だから夜なのか。

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(7/7)電書で語ろう「翻訳ミステリファンって何でできてる?」

 7月17日に開かれる電書フリマ「チミの犠牲はムダにしない 完全版」に引き続き電子書籍(略して電書)を出展することにした。これは米光一成氏率いる電子書籍部主催のイベントだ。

 今回新たに出展するのは「翻訳ミステリ大賞シンジケート」共同企画の一冊である。題して、『”この町の誰かが”翻訳ミステリファンだと信じて』。内容については以下にまえがきの全文を引用するので、ご参考にしていただきたい。

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 この電書は、2010年6月25日に、都内某所で行われた座談会を再構成したものです。発起人は、書評家の杉江松恋。「翻訳ミステリー大賞シンジケート」という情報サイトの管理人であり、翻訳ミステリのファンでもあります。
 同好の士の川出正樹、霜月蒼に「縮小傾向にある翻訳ミステリをもう一度再興させるにはどうすればいいか、話し合おう」という趣旨で企画を持ちかけたのはいいものの、困ったことに出席者は三人とも「協調性に問題あり」と通知表に書かれたことがあるタイプの性格のため、座談会が一つの方向にまとまるか、疑わしかったのでした。そこで、電子書籍部部長の米光一成さんをゲストとして招聘し、外部の人にジャッジを仰ごう、そのアドバイスをもらいながら進めればきっと真っ当な方向に話は転がるに違いない、と冷静な判断を下したのですが……。

 結論から言いましょう。この対談は、翻訳ミステリが大好き! という人よりも、むしろ「なんで外国の小説なんて読んでいるの? 日本の小説読んでればよくね?」という人にむしろ読んでもらいたい内容になりました。翻訳ミステリ振興云々よりもむしろ「翻訳ミステリ好きな人って何? 何食ったらそういう体質になるわけ?」という覗き趣味的な関心で読んでもらえればいいなと思います(『SF者って何?』とか『BL好きってどんな人?』とか、私も読んでみたいな)。マニアの三人は、あらかじめ自分がどのようなことに関心があるか自己申告して座談会に臨みました(プロフィールに書いてあります)。その方向から話をしておりますので、まずは「ふむふむ、こいつはそんな人間なのか」と思って読んでみてください。
 希望的観測を述べれば、1980年代から現代にいたる四半世紀において、翻訳ミステリがどのような位置づけの文化だったかということが、この座談会でおぼろげに見えてくるかもしれません。その上でもし興味が湧いたら、本書で取り沙汰されている書籍を読んでいただければ、座談会参加者としてこれ以上の喜びはありません。この電書を買ってくださった方にとって、一つでも発見のある座談会であることを心より祈念申し上げます。
 杉江 松恋(from幻想郷)

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 以上、長文失礼。電書の価格などは未定であるため、追ってお知らせします。一人でも多くの方に、この座談会本を読んでいただきたいと思っております。

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(7/6)大沢在昌『Kの日々』の解説を書きました

 双葉文庫で六月に発売された『Kの日々』の解説を書いたのを報告し忘れていた。大沢氏の単発作品で、勘のいいミステリ読者ほど誘導されやすいプロットのお話。ああ、ああいう話なのかな、という先入観が生じるので、どうしても印象を操作されてしまうのだ。よかったら手にとってみてくださいな。

 本日はこれから、武田ランダムハウスから今月発売になる『黒竜江から来た警部』の著者、サイモン・ルイス氏にインタビューである。緊張するなあ、ちゃんと通訳はつけてくれるんだろうか。この本、留学中の娘から助けてくれと電話で頼まれ、中国人の警察官の親父がはるばるイギリスまで駆けつけるというお話だ。英語なんて一言も話せないし、だいたいアルファベットさえ読めないのに! 異文化摩擦のお話としてもおもしろく、登場人物の思惑がずれてとんでもない事件が起きるプロットもよく工夫されている。犯罪小説のファンにはお薦めします。笑えるところもいっぱいあるよ。

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(7/5)法月綸太郎さん、川出正樹さんとトークイベントやるで候

 こちらでは告知が遅くなってしまったが、七月十一日に東京・青山ブックセンター六本木店で、本格ミステリ作家クラブ十周年記念事業の「2000~2009年海外優秀本格ミステリ顕彰」で『デス・コレクターズ』(ジャック・カーリイ著)が最優秀作を受賞したことを記念してのトークイベントをやります。ゲストは、選考委員だった法月綸太郎さんと、川出正樹さん。詳しくは下記コピペと、店舗のホームページをご覧いただきたい。

 また、このイベントのために文藝春秋の編集者がかけあってくれて、著者ジャック・カーリイから直筆のメッセージカードが届けられることになった。限定ン枚の貴重品で、今回を逃すとまず手に入らないと思います。抽選か何かの形で来場者に当たるようにしますので、お楽しみに。あと、『百番目の男』から順番に読んでくださっている方には嬉しい「あの」プレゼントも準備しておきます。そう、あれですよアレ。

 以下コピペ。

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2010年7月11日(日)15:00~
会場:青山ブックセンター六本木店
ご参加方法:2010年7月1日(木)朝10時より
青山ブックセンターの店頭もしくはお電話にて、参加受付をいたします。
トーク終了後にサイン会がございます。イベント当日、六本木店にて出演者の方々の本を御買い上げの方にレジにてサイン会整理券を差し上げます。サインはそれぞれの出演者2冊までです。
古書の持込みはご遠慮ください。また色紙など、本以外のものにはサインいたしません。以上ご了承の上、ご参加ください。
お問い合わせ電話:青山ブックセンター六本木店03-3479-0479
受付時間:月~土・祝10:00~翌朝5:00
日10:00~22:00
(※受付時間は、お問い合わせ店舗の営業時間内となります。御注意ください。)
<イベント内容>
今年で設立10周年を迎えた「本格ミステリ作家クラブ」。
それを記念し、この10年の海外本格ミステリから最優秀作を選ぼうではないかという企画がたちあがり、みごと栄誉に輝いたのが、ジャック・カーリイの『デス・コレクターズ』。これを記念して、選考にかかわった作家・法月綸太郎先生とミステリ書評家・川出正樹さんをお招きし、翻訳ミステリー大賞シンジケートのサイト管理人として日頃から海外ミステリの応援団を務める杉江松恋さんをナビゲーターに、六本木店オリジナルイベント「杉江松恋の○○トーク(まるまる・とーく)」Vol.3を開催いたします。「デス・トーク」と銘打ったスリリングな小一時間です!
店内でのイベントです。ほとんどの方はミニトークをお立ち見となります。ご了承ください。
参加は無料ですが、ご予約を承ります。

<プロフィール>
法月綸太郎(のりづき・りんたろう)
1964年島根県生まれ。京都大学法学部卒。88年『密閉教室』でデビュー。
翌年には著者と同姓同名の探偵が登場する『雪密室』を観光。以後、ロジカルな推理で読者を魅了する本格ミステリを次々と生み出す。2002年には「都市伝説パズル」で第55回日本推理作家協会賞短編賞を受賞。05年『生首に聞いてみろ』で第5回本格ミステリ大賞を受賞。他に『一の悲劇』『二の悲劇』『頼子のために』『怪盗グリフィン、絶体絶命』、『犯罪ホロスコープ<1> 六人の女王の問題』などがある。

川出正樹(かわで・まさき)
書評家。創作集団・逆密室所属。《ミステリマガジン》などで書評を執筆。共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー事典』などがある。

杉江松恋(すぎえ・まつこい)
1968年東京生まれ。ミステリ評論家、文筆家。
おもな著作に『バトル・ロワイアル2 鎮魂歌』『バトル・ロワイアル2 外伝―3‐B 42 Students』(太田出版)、『口裂け女』(富士見書房)、『これだけは読んでおきたい名作時代小説100選』(アスキー新書)などがある。《SPA!》《時事通信》《ar》《ミステリマガジン》《ミステリーズ》などで数多くの書評を手掛ける。

ジャック・カーリイ(Jack Kerley)は、こんな作家です!
ケンタッキー州生まれ。コピーライターとして20年のキャリアを積んだのち、2004年、殺人鬼を兄に持つ刑事カーソン・ライダーを主人公とする『百番目の男』で作家デビュー。デビュー作は清新な語り口とあまりに意外な動機が日本で話題を呼んだ。シリーズ作第2弾『デスコレクター』、第3弾『毒蛇の園』がある。

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(7/5)川端裕人『てのひらの中の宇宙』文庫解説を書きました

 探してみたら、いろいろと報告していない仕事の見本が出てきた。

 『てのひらの中の宇宙』(角川文庫)は、この宇宙の成り立ちについて未就学児のわが子に教えるという主筋と、身近に迫った肉親の死(が描かれるわけではないのだが)とが重なりあわされ、世界に生きる人間という不思議な存在が浮き彫りにされていくチャーミングな小説だ。小学校高学年以上のお子さんがいる家庭ならば、ぜひお子さんと一緒に読んで感想を語り合っていただきたい。素直な児童小説で、私は好きである。

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(7/4)ゾンビのお仕事見本が来ました。

 ただいま公開中の、ジョージ・A・ロメロ監督映画「サバイバル・オブ・ザ・デッド」のパンフレットには、脚本の抄録が掲載されていますが、その構成は私がやりました。字幕台本を元に、画面を見ながら脚本形式に起こしていくのね。誰よりも早く映画が観られて幸せであった。今回の映画は、ゾンビの話でありながら物語は完全にウェスタンのそれになっている。ゾンビが馬に乗って草原を駆け抜けるなんて場面もあるしね。西部劇ファンにもお薦めしておきます。

 ちなみに、映画の中ほどで漁師小屋の屋上で釣りをしているうちにゾンビに襲われる男が出てくるのだけど、単なる俳優ではなくて、誰か映画人のカメオ出演なのではないかという気がする(サモ・ハン・キンポーみたいなおかっぱ頭をしていて、アジア系の男性)。どなたか詳しい方、教えてください。

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(7/4)黒田研二『ふたり探偵』文庫解説を書きました

 七月の新刊『ふたり探偵』は、黒田研二氏の二〇〇二年の作品だ。トラベル・ミステリー+二重密室という趣向に、意表をついた探偵像が加わって、軽快な読み味である。光文社文庫ミステリーフェアの一冊として刊行されるので、書店で目についたら手にとってくださいな。

 そういえば黒田氏とは先日の本格ミステリ大賞贈賞式のときにお会いしたのだけど、司会のことで頭がいっぱいだったので、かなりとんちんかんな会話をしてしまったのだった。

黒田氏「先日は文庫解説をありがとうございました」
杉江「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
黒田氏「いやー杉江さんの原稿がかなりぎりぎりだったそうなので(ぎりぎりだった)ひやっとしました(笑)」
杉江「(聞いてない)いえいえー、どうしたしまして」

 たしかこんな感じだったような。黒田さん、あのときはすいませんでした! 原稿遅くなってごめんなさいね。でもちゃんと書いたから! 東野圭吾『ちゃれんじ!』(角川文庫)に黒田さんが登場していることもちゃんと書いたよ。

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(7/4)「幽」VOL.13をいただいた

 見本を頂戴した。私の書いた書評は小沢章友『龍之介怪奇譚』(双葉社)について。これ、あまり書評を見かけないのだけど、楽しい短篇集です。お薦め。それ以外の読物では、おお、恒川光太郎の「沖縄怪談『ニョラ穴』」と京極夏彦「眩談 歪み観音」の新連載が始まっているではないですか。これは楽しみだ。

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