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(8/10)呼吸だって当たり前にできるのは奇跡なんだぜ

 今でも憶えているのだけど、父が臨終を迎えたとき、最後にかけ続けた家族の励ましの言葉は「お父さん、息を吸って」だった。その言葉が聞こえていたのかいなかったのかは判らないが、父は息をし続け、明け方に力尽きた。最後は母が「もう頑張らなくてもいいよ。もう十分に頑張ったよ」と声をかけたぐらい、それは「死闘」というのに近い呼吸だった。

 息をするのだってたいへんなときがある。一息一息に命が懸かっているとわかる瞬間がある。

 家には一人の子供がいるが、生まれたてのころは本当に息が止まるのが怖かった。静かに眠るのである。聴こえないぐらいのかすかな寝息なので、ときどきはっとして息を本当にしているのか確かめたくなる。鼻の前に手をかざして、呼気の存在を確認したほどにわずかな空気の震動だった。乳幼児の突然死の報道を見るたび、胸が痛くなった。きっとその親も、眠っているだけだと思ってわが子の死に気づかずにいただろうからだ。

 今でもときどき、眠っているわが子の寝息を確かめたくなる夜がある。生命が途絶える瞬間は本当に突然やってくるから、息をしばらくしないという単純なことで命の火は消えてしまうから、心配でたまらないのだ。心配性だと嗤いたい人には嗤ってもらって結構である。

 大阪で、幼い子供を部屋に放置して死なせた女性がいた。行為自体はあってはならないことであり、犯罪として裁かれるべき愚行だと考える。再発防止のため、行政や司法の当局がしかるべき措置をとる必要もあるだろう。愚かな女性に対して、さまざまな人が批難の言葉を浴びせている。義憤であろう。しかしいくら感情を爆発させたところで、失われた命は還ってこない。悲憤慷慨したところで救われる人はいない。それがやりきれないところなのだ。行政の手抜かりを批判する声の中には有用なものも含まれているはずだが、いたずらに当事者を萎縮させるだけ、というがなり声は少し慎んだほうがいいと私は思う。

 亡くなった子供たちにしてあげられることはもう何もない。それが辛いのである。しかし、辛いという感情から目を背けるべきではない。

 報道によって事件を知り、真っ先に私が思い浮かべたことは、暗闇で我が子の寝息を確かめた、あのときの感情の揺れである。わずかな瞬間に狼狽や後悔、安堵や感謝などさまざまな思いが胸に去来した。息をすることがこんなにも大変で、奇跡のような瞬間の積み重ねであると、私はあのとき知った。同じような経験をした人は多いと思う。峻烈な記憶だ。忘じがたい、心に打ち込まれた楔だ。しかし、こんな忘れがたい記憶でさえ、失くしてしまえるものなのである。大阪の事件について知って、私はそのことを確信した。人間は、命についての感動さえ、風化させてしまえる生物である。

 他人を批判するより大事なのは、自分たちの記憶を錆びつかせないことである。心を風化させないことだ。テレビを観るよりネットの流れを追うより、自分自身と向き合おう。心の中にある大事なものを失くしたときには、きっと私だって、自分でも思っていなかったような怪物に変貌することだろう。

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Comments

>生命が途絶える瞬間は本当に突然やってくるから

 物悲しい。
 私も寝ている子供や妻の寝息を確かめる事があります。それも割合頻繁に。我ながら自嘲しますが、己の死などよりずっと怖いのです。いつ居なくなっても不思議ではない。失くす筈はないと思っていた大切なモノを失う経験には、もうこりごりです。
 ただ、望んでも叶えられない事もある。この世の全てが叶わないと断じても、それほど間違ってはいないほど。
 なので、私は日々、関わりを大事にしています。ああ、もっと優しくしておけば。もっと話しておけば。もっと・・・。そんな後悔は、したくない。一瞬一瞬が大切だと思っております。

 ただ、日々流されるとそれすら叶わない事も多い。
 当然、忘れる事もありますし、仕方のない騒ぎの中に溶け込んでしまい、一緒に囃し立てる事で見るべきものを見ないように逃げている事もあります。怪物には、己の姿は見えませんから。

 とはいえ、同じような方がいると知り、ふと、この世の妙を感じる事もあるものですね。
 色々と感じ入りました。

Posted by: aze | August 17, 2010 at 12:03 PM

azeさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

>私は日々、関わりを大事にしています。

 忙しくなってくると、それを多忙に家族をないがしろにするようなことが私にもありました。今はそんなもったいないことをしないようにしています。家族が自分につきあってくれる時間が、あとどれだけあるか判らないことですし。

 旅先からのため、短文での返信失礼致します。お読み頂き、ありがとうございます。

Posted by: sugiemckoy | August 17, 2010 at 12:14 PM

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