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(10/21)ブックジャパン主宰者の考える「よい書評」

 本日BookJapanに寄稿いただいた方に採用可否の連絡を差し上げた。自分自身が書評家として不完全なのにひとさまの文章にけちをつけるのは大変気後れがするのだが、主宰という立場ゆえ、あえて妥協せずに評価を申し上げました。失礼な表現もあるかと思います。どうぞご寛恕ください。

 ちなみに以前(2007年)に自分で書いた、いい書評の規準というのを下に貼り付けておく。もちろんこれ以外のやり方もあるはずであり、自分の規準から外れた、しかし見事としか言いようのない書評を私は求めています。下のこれが鉄則というわけではなく、杉江松恋はかつてこういうことを考えていた(今では発展して考えが変わっている部分もある)、ということでお知りおきください。

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自分への戒めその5:私の考えるいい書評の基準は五つ。


1)その書評を読んで本に関心が持てるか。

(悪い例)

「自分語り書評」評者の恋愛観とか政治観がほとんどで、本の内容がよくわからない。政治評論家の書評に多いタイプ。
「だしにする書評」「自分語り書評」に似ているのだが、本よりも自分の言いたいことが優先されていて、結論が自分よりにねじ曲げられている書評。どんな本を取り上げても同じ結論であるとか。
「アイドル書評」「おまえは何か、文壇のアイドルになったつもりか」と言いたくなる書評、読んだことありませんか。「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか」と言ったのは前田日明さんですが、「●●なら何をやっても」と言いたくなるほどの書評。
「お腹一杯書評」書評を読むと本を読んだ気になってしまって逆に購買意欲を削ぐ。私もよくやってしまうので気をつけています。もっとも、書評を独自の文芸ジャンルとしてとらえると、本とは独立した書評もありうるので、一概にこれが悪いとも言えない。良い例が、実際の本よりも書評の方が百倍おもしろいこともある吉田豪さんだ。

2)読者を惹きつける、いい文章で書いてあるか。
 これには引用の巧拙も含まれる。本文中のいい文章を抜き出すのも、書評子の腕の一つだ。

(悪い例)

「滴々書評」「~的」を多用しすぎる書評。「経済的効果」とか「法的制裁」といった具合に書き換えが難しい「~的」成語も多いと思うのだが、すでに成立してしまっている用語を用いず、ほのめかし、言い換え、象徴化など、独自の表現によって柔らかく文章を書くことは重要だと思うのです。似たような例に「~性」を多用する「清々書評」がある。
「素材そのまま書評」引用はもちろん文意を変えないようにそのまま抜き出すことが必要なのだが、引用箇所によっては「かいつまんで」引くことが必要になることもある。それが苦手なのか、とにかくだらだらと引用する書評。字数の無駄だ。
「言ってないよ書評」引用が間違っている。主人公の言葉でない台詞を主人公のものとして抜いたり、一登場人物の台詞にすぎない事柄を作者のテーマのように誇大に扱ってみたり。

3)内容のまとめは正確であるか。
 あらすじ紹介や、作者・書誌データなど、必要な情報を盛り込むことも含む。

(悪い例)

「ネタばらし書評」言わずとしれた、ミステリーの場合は致命的な瑕となる問題書評。小林信彦さんが「ミステリーの紹介は本文六十ページ以降のあらすじを明かすべきではない」と書かれていたことがあった(出典は忘れました)。そのころのミステリーは二百ページ以下の分量だったので、私はこれを「あらすじ紹介は全体の三分の一弱に留める」という規則として受け止めている。普通は四~五分の一くらいしか書かない。
「団の面目丸つぶれ書評」主流文学の紹介などの際には、あえてネタの一部を明かしても踏み込んで書く場合がある。そうしないと、作者の狙いを紹介しきれないからだ。そういうときにはやむなくネタばらしを行うが、素材に敬意を払って書く必要がある。それをしていない無神経なネタばらし書評。「こんな結論しか書けないんだったら、図々しくネタばらしなんかするなよ!」と言いたくなる書評は、商業誌でもときどき見かける。
「嘘八百書評」クリントン大統領在任中に見た書評で、ヒラリー・ウォーを女性と勘違いしたものがあってびっくりしたことがある。嘘を書くと、読者に信頼されなくなる。商業誌にはそのために校閲というものがあるのだが、その校閲の網をかいくぐって間違いは入り込む。でもそれは校閲者のせいではなくて書評子自身の責任だ。私もよく間違いを犯すので、気がついたときにはぜひ教えてください。
「誤読書評」明らかに誤読だなあ、と感じる書評は案外多いものです。しかし、独立した文芸としての書評は「意図的な誤読」を行うことがあるので、悪いとばかりは言えない。

4)媒体の読者にマッチした書評になっているか。
 たとえばファッション雑誌に硬い本を取り上げたり、逆に文芸誌にサブカルチャーのエッセイ本を紹介したりする際には、故意犯としての覚悟がいる。

(悪い例)

「マイブーム書評」昔「新世紀エヴァンゲリオン」が社会現象になっていたころは、あらゆる作品を「エヴァ」経由で解釈する書評が見られた。なにしろ杉作J太郎さんまではまっていたみたいだからなあ。記名原稿なら別にこれをやってもいいのだけど、連載の寿命を縮める可能性があることも忘れずに。
「おもねり書評」逆に読者におもねりすぎて、なんだか気持ち悪いことになっている書評。80年代の雑誌によくあった「ナウなヤングのための」文化欄を思い出していただければいいかと。雑誌「egg」に、非常に小さいスペースの書評欄があるのだけど、私はあれが好きである。どんな人が書いているのか知らないが、なんだか独立独歩だ。

5)オリジナリティはあるか。
 同じ本を採り上げても評者が代わるとこんなに見方が違うんだ、というような読みのオリジナリティから、文体のオリジナリティまで、とにかく評者の「色」が出ているかどうか。丸谷才一さんのおっしゃる「ちょっと気取って書く」はここに該当すると思う。

(悪い例)

「コピーキャット書評」猿真似書評。本人は気づいていないが意見そのものが誰かの影響を受けたコピーになっていることもある。
「クリシェ書評」最終段落にオピニオンを書く書評は多いが、そこがありきたりなクリシェになっているもの。新聞・雑誌などの比較的講読年齢層が高い媒体の書評を読むと「いくらオヤジ媒体でも自分までオヤジになるなよ」というものを多々見かける。かしこまって書くと、クリシェを招くんだよね。
「によれば書評」学術書の書評に多い、「何々によれば」と他人の意見を引用して終わる書評。正確を期すという意味で誠実とは思うが、つまらないのである。書誌情報など、データを示すことに終始する書評は、このグループには入らない。データ紹介に徹することもオリジナリティの出し方の一つだろう。

 こんな感じかな。以上の五つの点が満足されていれば、評者と読みの好みが合わなくても、私は「いい書評」と考えることにしているのです。

(2007年2月10日の「反省しる!」より抜粋)

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