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(12/28)エキサイト・レビューで仕事を始めたでござる

 思えば二〇〇九年は雑誌の休刊が相次いだり、誌面一新でコラムの数が減ったりと、レギュラーの仕事数が激減した一年だった。一月の間に二誌も連載が減ったときは、明日の不安で眠れぬ夜を過ごしたものよ(一日だけ)。ライターという稼業で食べている以上、これは避けられない事態である。極端なことをいえば、何かで信用を失えば、一気にすべての仕事がなくなってもおかしくはないのだ。そうなったときに生活の保障はないのだが、それが怖かったらライターなんてやっていられない。そういう後ろ向きなことを考えない人間だけがやればいいだけのお話だ。

 二〇一〇年は逆にいろいろな方に声をかけていただいて、なんとか連載数だけは上向きにすることができた。ありがたいことである。そのうちの一つが今回から始めたサイト「EXCITE REVIEW」のお仕事で、これは書評とか本に絡むことだけではなくて、関心のあることを中心にルポルタージュをしたり、インタビューをとったりする内容になりそうだ。ひさしぶりに社会科見学系の取材にもいってみるかなー。

 その第一弾は、ニコニコ動画発でデビューを果たした漫画家お二人の対談を取材した記事である。
 以下のリンクからご覧になれます。

 公務員と漫画家、今後の人生を考えたらどっちが楽しいかな(まことじvs.春原ロビンソン対談 前編)

 『よつばと!』が終わるまではいけるんじゃないか〈まことじvs.春原ロビンソン対談 後編〉

 twitterで公開設定にしている人は上記のお二人の著書が当たる懸賞もあるので、見てみてください。

 『のうぜい!』『anime95.2』著者サイン本プレゼント!

 そんなわけで二〇一一年も前向きに仕事をしていきます。会社のパソコンから(だけ)見てくださっている方はまた来年。よいお年を。

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(12/25)「おはスタ」じゃなくて「おはようスタジオ」の世代です。

 世間はクリスマスで楽しいかもしれませんが、私はさっき起きました!

 いや、というのも事情があって、二泊三日のキャンプに子供が行くものだから、早朝に家内と見送りをしてきたのだ。しかも前夜は完全徹夜。午前四時を回った時点で、「これは横になったら起きられないな」と覚悟した。ふらふらになりながら集合場所まで行って、子供が出発するのを見届けて帰宅。それから仮眠をとるつもりで寝たら、今の時間になってしまったわけである。完全に昼夜逆転。これじゃ、夜に目が冴えて、サンタさんが来るのにぶつかっちゃうよ。あ、それは昨日か。

 ……とりあえず仕事します。
 キャンプの集合場所で、子供たちが騒いでいるのを見ていて気づいたのだが、PTAなどでスタッフとして行事に参加するのに慣れているから、普段もそういう目で見てしまっているのね。主宰者が挨拶を始めたときに、子供たちの一部が話を聞かずに後ろを向いておしゃべりに夢中になっていたので、思わず「ほら、前を向く」と声をかけそうになってしまった。すんでのところで思いとどまったのだが、あとで妻から「今、動きそうになったでしょう。今日は一保護者として参加しているんだから」と言われてしまった。
「おはようございまーす」と正面から挨拶をされると「おはようございまーす」と大声で返す癖もついてしまっているんだよなあ。「おっはあ」ぐらいで思いとどまって小声に変えたけど、「おっはぁ」と大声を出しかけた髭の男を周囲の保護者は不審な目で見ていたかもしれない。いいじゃん。おっはあ。「おはスタか」。

 この土日は引きこもってインタビュー原稿を二つ片付ける予定である。あとは部屋の掃除。本棚と倉庫を整理していたら、ダブり本がどかどか出てきた。一箱古本市にでも出店するかな。

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(12/24)私はライターであってライターさんではないです

 おかげさまで作家インタビューをよくやらせていただいている。その縁でインタビューをした作品の文庫解説を依頼されることがあるのだが、助かるのはインタビュー原稿を読むと当時の記憶が甦ってくることである。
 年末ぎりぎりで先ほど文庫解説原稿を一本入れた。その作品も、当時のインタビューにだいぶ助けられて原稿を書いたのである。作家の言葉に、たぶん本人も当時は気づいていなかったろう予見性があり、読み返してみるとずいぶんとおもしろいインタビューだった(自画自賛)。これにて依頼をいただいている文庫解説のうち、年内〆切の分はおしまい……のはずだけど、記憶に漏れはないよね? ないよね?

 一昨日は都内某所にて知人と会食をしたのだが、そのときに「○○さん」づけの弊害という話題が出た。このブログでも以前に書いたことがあったと思うのだが、私は公的な発言をする場合はなるべく「氏」を尊称につけるようにしている。そこまで親しくない人に「さん」をつけて呼ぶのはなんだか気恥ずかしいからだ。自分とその人の間柄を誇張して吹聴しているような気分になるからだ。以前は日記を書くときでも一律で「さん」をつけていたので、自省して改めた。

 しかし、さんづけの呼び方でもっとも違和を感じるのは、「職業(属性)」+「さん」の場合である。「作家さん」「編集者さん」「翻訳者さん」、どれもみな気恥ずかしい。自分が仕事でお世話になる可能性のある職業に「さん」をつけて呼ぶのって、なんだかおもねっていると思われそうで、嫌なのである。少々度胸がいるけど「作家は」とか「編集者は」とか言うようにするぞ。これまでは自分でも言っていたけど、もう言わないようにするぞ。作家ー。編集者ー。翻訳者ー。職業名は、それそのものが肩書きであるのだから、「さん」づけはだいたいおかしいのだ。

 それと同じ理由で、最近よく聞く「書店員さん」という呼びかけもすごく恥ずかしい。twitterなどで同業者が「書店員さん」と書くのを見ると、そのたびにこそばゆい思いをする私です。五代目志ん生風にいうと「むく犬の尻に蚤がへえったような」気分がする。むずむず。

 たぶんそういうつもりはないと思うのだけど、公の場で、商品を生産する立場の人がそれを売る立場の人に向かって「さん」づけで呼びかけるのというのは、「あたいのことを可愛がってね、うふん」という意図だととられてしまっても仕方のないことだと思うのだ。「書店員」でいいじゃないですか。「書店員が」と言いにくければ「書店員の人が」までは私も認める。日本人だから、あまり直截的な物言いは苦手なのよね、きっと。あと誤解されないように急いで書いておくが、もちろんこれは、公の発言についての話である。第三者のいないところで「さん」づけで呼びかけようがどうしようが、それは当事者の勝手だ。

 なんか心が狭いと思われかねないことを書いてみた。まあ、実際狭いんだ、私は。ごめんね。

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(12/22)「ユーリカ! ユーリカ!(全裸で街に飛び出しながら)」

 家を新築したとき、浴槽がらみでトラブルがあった。
 お湯を張ったのに、きちんと溜まらないのである。何度やっても、半分ぐらいにしか溜まらない。
 買ったばかりでけしからんと、頭から湯気を出しながらメーカーに電話をした。電話の向こうの相手は平身低頭(見てないけど、そういう声音)。すぐに修理を差し向けるという。しばらくして家の電話に着信があった。巡回中の作業員の方で、今からお邪魔するという。すでに頭は冷えていたので、申し訳ないと恐縮して住所を言った。それを向こうで控えている気配がして、そのあとおずおずと作業員氏は切り出してきた。
「ところで、最近お風呂の掃除をなさいましたか?」
 私は、その可能性はあると答えた。
「……そうでしたか」
 ここでなぜか万感の思いをこめているような間が入った。
 作業員氏は言う。
「あの、もしよろしければお風呂の栓をチェックしていただけないでしょうか。これこれの方法で見ていただくだけで結構ですので」
 それはとても簡単な点検方法だった。風呂の栓は弁のようなものが上下して穴を塞ぐようになっている。その弁を引き抜く。弁は下から突き出しているシャフトに刺さっているのだが、その下にもう一つ入っている部品がある。髪の毛などのゴミが下水道に入らないようにする網だ。網は心棒に穴が空いた独楽のような形をしていて、その穴がシャフトに刺さっている。
「その部品の上下を確かめていただけないでしょうか。お掃除のとき、まれに上下を間違えて戻される方がいるのです。そうすると栓と穴の間に微妙な隙間ができて、水が流れてしまうものですから」
 そのとおりだった。部品は上下の区別が一見わかりにくい構造になっており(しかし慣れるとよくわかる)、さかさまにはまっていたのだった。おそらく私か妻かが、掃除の際に間違えて戻したものだと思われた。
 故障、不具合と思って電話をしたのに実は自分たちのせいだった。私はたいへんに恐縮して氏に礼を言ったが、見知らぬ作業員氏は、いいんです、故障じゃなくてよかったです、と言って電話を切った。たいへんに好感を持ち、私はそれ以降栓の上下をきちんと確かめるようになった。
 おそらく私のような電話をかけてくる顧客は無数にいるのだろうと思う。電話を受けた人は、まずその可能性を疑ったことだろう。しかしそこで最初から客の言葉を疑わず、一度現場に電話を回してから、きちんと状況把握の質疑をした。そのことによって客とメーカーの間に信頼関係が築けたのである。賞賛すべき態度だと思った。私もメーカー勤務をしていた経験があるので、応対にあたった人々の素晴らしさがよく判る。

 ……ということで私はくだんの風呂メーカーに並々ならぬ好感を持っている(パチパチ)。しかし最近、またもや不具合が起きてしまったのである。
 この風呂は、毎回張るべき湯量を登録しておくことができる。少し多めとか少なめとか、家庭の事情によって調節が可能なのだ。ところが最近、それが狂いがちなのである。お湯を張ると、少し余る。入浴すると、余ってへりからお湯がこぼれてしまうのだ。
 数週間前にまたもや風呂の栓がきちんとしまっていないトラブルが生じ、それは長年の経験から栓のトラブルであることが判っていた(先にあげた部品ではなくて、もう少し下の方からユニットを引き抜いた際、きちんと戻していなかったのだ)。そのときにお湯がたまらず、あせって何度か張り直した。そのせいで登録を間違えたのではないかと疑い、幾度もお湯張りを試してみたのである。
 しかし何度やり直しても設定がおかしい。
 私は溜息をついた。あの感じのいい対応をする人々には申し訳ないが、これはやはり何かの電子機器の不具合だろう。購入してから何年も経つのだから、おかしくなる部分があっても仕方がない。おそらく修理は有償だろうから、問い合わせをしてみてどうするか決めよう。
 そう思って電話に手を伸ばしたとき、私は電撃の如く気づいたのである。

 設定が間違っているのは、私のほうなんじゃねえの?
 簡単なことだ。湯量は一定、しかしその中に沈める物体の体積が増えれば、その分だけ水位が上がる。
 これすなわち質量保存の法則なり(違う)。

 疑ってすまぬ、メーカーの諸君。私のせいだった。今書いている原稿群が片付いたら減量します。しますったらします。

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(12/20)ひさしぶりに漫画家さんを取材に行くのでござる

 週末をはさんで、また更新をサボってしまった。まあ、そういう日々です。

 本日は都内某社にて漫画家さんのインタビュー。漫画家さんにお話を伺うのはひさしぶりだ。いつ以来になるのか、ちょっと記憶にないぐらい。媒体は新しく仕事を始めるあそこです。

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(12/15)一日おきにトヨザキ社長にお会いする日々

 去る十二月十二日にAXNミステリーの「闘うベストテン」収録にお越しくださったみなさま、ありがとうございます。おかげさまで今年も無事に公開収録を終えることができました。来年もよろしくお願い致します。

 で、十二日の収録から一日置いて、昨日の十四日にも同じ顔ぶれで集まったわけである。特番枠の「闘うベストテン」ではなくて、こちらはレギュラーの「BOOK倶楽部」のほう。公開収録で大遅刻をしてしまったので(収録時間を勘違いして、地元でPTAのお仕事をしていた)、遅れないように早めに行ったのだが、珍しく大森望さんがいない。聞けば、本日発売の『KAGEROU』(ポプラ社)についてコメントが欲しいという取材要請が殺到していて、そのために遅くなったのだとか。ようやく現れた大森さんを、さらに携帯電話の着信が追いかけてきていました。収録中は当然電源を切っているのだが、その間にも次々と着信が入っていた由。すげえ、テレビで観る評論家の人みたいだ。だからたぶん、本日のワイドショーでは「大森望『KAGEROU』について語るの図」が何度も流されていることと思います。私はテレビ観ないけど。

 終了後は近くの通称「プロレス焼肉」で出演者のみの打ち上げ。というか大森さんはさらなるコメント取材のため不参加。どこまで売れっ子なのか。トヨザキ社長&香山二三郎さんと書評の未来についていろいろ語り明かしましたとさ。

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(12/10)『パニック・パーティ』と『殺す手紙』って何が本格なの?

「2011本格ミステリ・ベスト10」(原書房)到着。
 いや、実際はもっと前に着いていたと思うのだけど、郵便物の山に埋もれて見つけられなかったのである。いつもはアンケート回答だけなのだけど、今回は依頼を頂戴して翻訳ミステリー大賞シンジケートの活動について寄稿している。よかったらついでにご覧ください。ベスト10の順位などについては、いつも通りまったくなんの感慨もないが、今回は一つだけ、いや二つ気になっていることがあった。

 みんな、アントニイ・バークリー『パニック・パーティ』(原書房)とポール・アルテ『殺す手紙』(ハヤカワ・ミステリ)を「本格として」どう評価しているの?

 私の評価は両方とも「少しも本格ではないが好き(特にアルテは、過去のどの作品よりも好きかもしれない)」である。詳しくは、まもなく発売される「本の雑誌に」にも書いたので繰り返さないが、私の評価軸では本格ではないものを、他の方はどう「本格として」評価されたかを知りたかったのである。

 以下、投票コメントと川井賢二・羽住典子・横井司の三氏による座談会から抜き出してみる。いずれも敬称略で失礼。

『パニック・パーティ』について。
「好戦者の反本格。「純粋な本格」に対する回答を「純粋な非本格」で打ち返す天邪鬼」月田竜雄
「孤島での人々の行動をうまく書いた作品。本格か?」筑波大学
「バークリーの問題作。孤島に閉じ込められ次第に理性を失っていく登場人物たちの心理描写が巧み。真相との落差がよい」鳥飼否宇
「読んだ後に『第二の銃声』を読み返すと、いろいろ腑に落ちる。速記術に関する薀蓄が面白かった」法月綸太郎
「革新的という自負がありながら当時真価が評価されなかった作。孤島に取り残された集団に起きる殺人パニックはアルテ共々殺人パーティーをプロットに据えている」波多野健
「メタと皮肉で袋小路に邁進したバークリーの終着点として興味深い――壁に激突して倒れた印象は否めないけど」福井健太
「本格の形式を踏みながら、内容としては大きく逸脱したジャンル不明の怪作だが、作者の試みの一環として評価したい」三門優祐
「ぎりぎり本格ミステリの境界線上にあるもの」森英俊
「噂に違わぬ問題作であった」立命館大学
「崩壊の様を見届けた」山口雅也

 座談会の方は最初から「本格じゃないよね」(横井司)という発言があって、そういう流れの論調だったのであえて挙げることは控えた。コメントを見ると「作品としては壊れているけど、さまざまな模索を続けてきたバークリーの最終到達点なのだから挙げざるを得まい」という感想が伝わってくるような気がする。この作品自体は破壊され尽くした焼け野原みたいなものだけど、この上に誰かが新しい建物を創造したらいいんだよ、ってことなのかな(クリスティーとかが)。鳥飼氏のコメントが最も私の感想に近い。

 次に『殺す手紙』について。
「そして、最後にアルテとくれば申し分ないだろう」亜駆良人
「外連が後景に退いた分、ストイックに騙り手としてのアルテを垣間見られた印象」川井賢二
「不可解な冒険に絡めたミスリードが巧みで感心しました」同志社大学推理小説同好会
「伏線の張り方が実に巧妙。アルテもずいぶん垢抜けてきたなと思いきや殺人ゲームとか出てきて苦笑」松本楽志
「ほう、やるじゃん」村上貴史
「ポール・アルテという作家の別側面を垣間見れるようで評価」明治大学
「よくこんな不思議なストーリーを考えたもの」森村進
「アルテは不可能犯罪がなくてもプロット運びだけで十分面白いことを証明した」諸戸似非
「本格としての読みどころは、何が起きているんだかちっともわからない。わからないんだけどところどころに手がかりがあって、その手がかりがはっきりしてわかりやすい点ですね。これはこういうことだったのかと確認して読んでいくのがベストかも。わかっちゃっても面白く読めますよ」羽住典子(座談会発言から)

 うーん、まあつまり。本格じゃないということでいいわけね。垣間見ちゃったってことだ(なにを?)。同志社の回答者氏と松本楽志氏、羽住典子氏は同じ点についてコメントしているように見えるのだけど、そこが「本格として」の評価ポイントなのかしらん。あと松本楽志氏のコメントはアルテの「ちょっとかっこ悪いところ」を指摘していて笑った。そうそう。そういうところがアルテらしいと私も思う。

 というわけでコメントを抜き出してみましたが、わかったことは「よくわからん」ということでした。ベストランキングのコメントにそこまで評論性を求める方が無理なのかしらん。本格ってよくわからんわ。

(追伸)
 あ、『機械探偵クリク・ロボット』の訳業の素晴らしさについて触れた月田竜雄・山口雅也両氏のコメントには完全同意である。特に山口氏の「この役者でオルメスの新訳版を出したらどうでしょう?」というところ。私も同じことを考えていました。早川書房がやってくれ!

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(12/9)第二回翻訳ミステリー大賞の候補作を発表したでござる

 昨日は一日渋谷で過ごしたのであった。
 日中に一件用事があって渋谷まで出かけていき、一旦家に帰った。子供が自転車に乗る練習を毎日しているので、それにつきあうためだ。それを済ませて再び渋谷へ。大森望さんと「日経エンタテインメント」の対談企画で取材を受けたのである。編集さんもライターさんもよく勉強している人でおもしろかった。そして年に一回好例の「ミステリー忘年会」へ。これは翻訳者の方が中心になって開催しているもので、今年は二百人以上が集まった。たくさんの人に接すると疲れてしまうのでパーティーは苦手なのだが、これは出なくてはいけない。翻訳ミステリー大賞の予選結果を発表する場でもあるからだ。

 途中で時間を頂戴してマイクを握り、第二回翻訳ミステリー大賞の候補作を発表した(結果についてはこちらを見てください)。五作の翻訳者・編集者にお願いして壇上に立っていただき、一言ずつスピーチ。計三十分くらいの短いイベントであった。

 その後は失礼して近所のフレッシュネス・バーガーに籠り、読書。書評用の本を読み終わっていなかったのだ。ちょうど読み終わるころに携帯電話が鳴り、近所の居酒屋に流れてきたグループと合流して二次会。深更まで翻訳ミステリーの今後について議論し、帰宅した。おつかれさまでした。

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(12/9)藤田香織氏とまたペアを組んだのでござる

 幻冬舎から「GINGER L。」(ジンジャーエールと読む)という季刊文芸誌が創刊された。
「L」だから、基本的に女性向けということなのかな。執筆陣を見るとほぼ女性ばかりだ。私は、書評家の藤田香織氏と組んで対談形式の書評をやっています。題して「スギエ×フジタのマルマル読書」。藤田香織氏と対談で組むのは、昔宝島社の「このミス」で二回ぐらいやった、「この新人賞作家がすごい?」とかなんとかそういう題名のシリーズ以来だな。藤田さんはあれで道尾秀介『背の眼』を否定する発言をしてしまい、後日初めて会った道尾氏に「ぼくのデビュー作を批判した藤田さんですね……」と哀しい眼で言われてしまったのであった。わっはっは(藤田氏と道尾氏の名誉のために断っておくと、この件はそれでおしまいで、以降も良好な関係が続いています)。あの対談、私はおもしろかったんだけどな。「このミス」じゃなくてもいいから、どこかで復活できないものか。

 で、それはそうと「マルマル読書」だ。これは、互いに新刊一冊旧刊(文庫化)を一冊持ちより、論評しあうというもの。今回はのっけから藤田さんが「なんでこのミスの投票者は東野圭吾に投票したがるの? 権威主義? なんで?」(大意)という剣呑な発言を行ったため、不穏な雰囲気で対談は始まったのであった。
 おもしろいので読んでください。

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(12/6)文学フリマ御礼+ダウンロード販売も(たぶん)やるよ

 昨日の文学フリマでは、初の電子書籍販売に挑戦してみた。
 挑戦といっても米光一成さんの電書部が作られたシステムに乗っかっただけなんだけど。あと、実際の販売に携わったのは、電書部の技術部こじま氏と、ブックジャパンの編集Kなんだけど(つまり私はたいして何もしていない)。大勢の方にお越しいただき、心より感謝しております。ありがとうございます。

 で、成果のほうは、新刊『サバービアとミステリ 郊外/都市/犯罪の文学』が約80冊、旧刊『”この町の誰かが”翻訳ミステリファンだと信じて』が約60冊、『チミの犠牲はムダにしない【完全版】』が24冊ということで、まずまずの売れ行きでした。「文学フリマにいけないんだけどダウンロード販売はしないの」というお問い合わせをいただいたので、現在対応中です。といっても私は何もしていなくてこれもお願いしちゃっているんだけど。

 次回の文学フリマは来年の六月二十日なんだって。松恋屋はまた何かやります。ご期待ください。

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(12/3)\松恋屋!/\松恋屋!/\松恋屋!/その3

 本日から、

 翻訳ミステリー大賞シンジケートにおいて、『サバービアとミステリ 郊外/都市/犯罪の文学』の「サバービアのミステリはいつ誕生したのか」?」の章を、

 ブックジャパンにおいて「マイノリティはなぜ自己主張をしなかったのか?」の章を、

 それぞれ無料で読むことができます(ブックジャパンでは文学フリマ事前特集も!)。ぜひお試しを。

『サバービアとミステリ 郊外/都市/犯罪の文学』は、「サボテンのような形状を目指して」作った本でもあります。つまり、あちこちから棘が飛び出している。その棘=仮説にひっかかった方と、有意義な議論ができればそれに越したことはないというわけです。すべすべしたもの、収まりかえってすました顔をしているものは、読んでいるうちは楽しいけど後に残らないな、というのが正直な感想。棘棘していたほうがいいんです。

 というわけで今回はその十六本の「棘」を一挙公開。少しでもひっかかるものがあったら、ぜひ実物を読んでみてください。

 いきますよ。

【仮説1:1950年代のアメリカのミステリに起きた変化を日本のミステリが無視したことが、日本ミステリの特殊進化に繋がった】

【仮説2:「キリストと銃」という価値観のセットから生まれたアメリカン・ヒーローは多数派か?】

【仮説3:サバービアなもの、郊外を舞台にしたミステリの嚆矢はヒラリー・ウォーである】

【仮説4:チャールズ・モンロー・シュルツの『ピーナッツ・コミック』はサバービアの話】

【仮説5:トレーラーハウスとサバービアの間の緊張関係で読み解くことができる小説もある】

【仮説6:舞台となるコミュニティーの性格によってコージー・ミステリを分類することができるのではないか。イギリスを舞台とするアメリカ作家マーサ・グライムズなどは補助線にならないか?】

【仮説7:共同体の集会は、アメリカ・ミステリの根幹をなすものとしてこの先も変わらない重要な要素である】

【仮説8:1940~50年代のアメリカでは、サバービアに出て行かなかった者によって、人種問題の尖鋭化や犯罪の悪質化などの問題が生じた都市が描かれた小説が多く書かれた】

【仮説9:サバービアではヒラリー・ウォーが抑圧された性を描き、都市ではエド・マクベインが暴走する性を描いた】

【仮説10:こうしたアーチャーものの構造と映画化もされたジョン・チーヴァーの小説『泳ぐひと』との相似は単なる偶然か。ロス・マクの問題意識とチーヴァーらのサバービア小説とに影響関係があるのでは?】

【仮説11:マイノリティ文学が少ない理由のひとつは、同調圧力が当時の文壇や論壇にあったからだ】

【仮説12:アメリカの白人にとっての、心の故郷のような象徴が1950年代である】

【仮説13:人種的マイノリティにしろ若い世代にしろ、サバービア神話に反論ができるようになったのは1960年代に入ってからのことである】

【仮説14:核の恐怖や共産主義者の脅威のような外圧のよく判る小説が一方にあり、そこに過剰適応していく男性作家がいる一方で、家の中に閉じ込められた女性は、閉じ込められたがゆえに自分の内的な問題を小説にしてブームを生んでいくというのが50年代の大きな二つの流れである】

【仮説15:本格とハードボイルド、どちらの側を出自とする作品でもエアポケット的にヒーロー不在の時代ができてしまったのが1950年代】

【仮説16:洗練された一つの原型として50年代のアメリカ・ミステリがある】
 ふう。

『サバービアとミステリ 郊外/都市/犯罪の文学』は第11回文学フリマで頒布開始します。前編『”この町の誰かが”翻訳ミステリファンだと信じて』と併せてお読みください。

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(12/2)\松恋屋!/\松恋屋!/\松恋屋!/その2

 またまた文学フリマのお話です。
 電子書籍の題名が決定しました。昨日のはなし! あれ、なし、ノーカン!

 正式題名は『サバービアとミステリ 郊外/都市/犯罪の文学』です。
 本文はいまだ校閲中なのですが、序文をここに抜粋して掲載します。
 関心がある方はぜひ当日文学フリマにお越しください!

===================
■はじめに

 2010年11月22日、都内某所で座談会が開かれました。この電子書籍は、その全容を収録したものです。出席者は、川出正樹と霜月蒼、杉江松恋というミステリ愛好家の三人。これだけでは視点がすべてマニアの内向きなものになりはしないか、という懸念から米光一成氏に冷静な審査者として加わっていただきました。

 このメンバー構成は、2010年7月に発表した電子書籍『“この町の誰かが”翻訳ミステリファンだと信じて』とまったく同じです。同書は、物心ついたときからずっと翻訳ミステリばかり読んできた人間が、自分はなぜそれが好きなのか、そもそも翻訳ミステリってなんなのか、考える対談でした。着地は意外な地点になりましたが、全体としては「1980年代から現代にいたる四半世紀において、翻訳ミステリがどのような位置づけの文化」であったかが展望できるものになったと自負しております。座談会において、米光氏から指摘を受けたことは、愛好家の三人が「共同体(コミュニティー)の中で進行している何かを描いた小説」に異常なほど執着し、関心を持っているということでした。新鮮な発見であり、そのことが第ニ回の座談会を持ちたいと願う直接のきっかけにもなりました。

 第二回の座談会は『サバービアとミステリ 郊外/都市/犯罪の文学』と題し、コミュニティーの動態を描いた小説という観点からミステリを眺めるということに挑戦しています。切り口として使用した作品は九割方がアメリカ産のミステリです。「所詮は他人の国の出来事」と感じられる方もいると思いますが、ひやかしでも結構ですので、ぜひお読みになっていただきたいと思います。サバービアという特殊な素材を扱うことにより、特殊から普遍へ、また過去から現在への導線が見えてくるはず。そうした期待をもってわれわれは座談会に臨みました。その成果は充分にあったと考えております。

 願わくばここからさらなる議論が芽吹きますように。参加者一同は、心からそれを望んでおります。どうぞ楽しみながらお読みください。

  杉江松恋(from幻想郷)
===================
 第十一回文学フリマの詳細はコチラ

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(12/1)\松恋屋!/\松恋屋!/\松恋屋!/その1

 ようやく昨日第一稿が上がったので、間に合う目処が立った。
 告知します。

 12月5日「第十一回文学フリマ」で発売する新刊は、

 電子書籍「ミステリーファンよ、”さらばその歩むところに心せよ”! でもそんなの(エド・レイシイはあんまり)関係ねえ(仮)

 です。

 ……いや、スマン。タイトルは未定なんで、今適当につけました。まあだいたいそんな感じ。

 これは前回の電書フリマに出展した電子書籍『”この町の誰かが”翻訳ミステリーファンだと信じて』に続く座談形式の評論本です。物心ついたときからずっと翻訳ミステリーファンの三人、川出正樹・霜月蒼・杉江松恋の三名と、そんな三人をいぶかしげに見つめるツッコミ役・米光一成による、総勢四名の座談会。前回は、さまざまな分散テーマを持ち寄り「余(ら)はいかにして翻訳ミステリーファンになりしか」を追究してみましたが、今回はその中でも三つに絞ってみました。

 「サバービア」
 「1950年代」
 「ガラパゴス」

 このキーワードに少しでも反応してしまった……人はあまりいないと思うのだけど、とりあえず明日か明後日までに序文を書いて掲載するので、それで気になったら読んでください。

 ちなみに文学フリマの詳細情報はコチラ。そして、サークル「松恋屋」の周辺状況はこんな感じです。トヨザキ社長の「書評王の島」も近所なのね。あと、「松恋屋」のお隣は「探偵小説研究会」。瀬戸てんやと獅子わんやのように仲良しなのでお隣にしてもらったのだ、ってそんな喩えは誰にももう判らない。

 あと、当日は新刊のほかに以下の三冊も売ります。すべて電子書籍!

『杉江松恋の「チミの犠牲はムダにしない」(完全版)』
・『”この町の誰かが”翻訳ミステリーファンだと信じて』
・円堂都司昭×遠藤利明『ENDING ENDLESS 音楽本雑録(仮)』※委託です。円堂さん、本の正式名称ってこれでいいんだっけ!?

 文学フリマまで、毎日情報提供します!

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