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(3/25)卒業式の翌日、PTA活動について振り返った

 朝、小学校に行ってPTA室の掃除をした。
 三年間通った部屋に来るのも、たぶんこれが最後だ。いや、新年度の総会に招かれるんだっけ。
 でもそのときはお客様扱いだろう。

 校長室と職員室に顔を出し、校長と副校長に挨拶をした。事務室と主事室にも。そうして職員玄関のげたばこから、自分のスリッパを取り出し、持ち帰った。スリッパも三年間ここに置きっぱなしだったのである。

 小学校におけるPTA活動が終わる。どれほどのことができたか、という自分への問いは、これから考えることにしよう。何もできていないような気がするし、何も起こらなかったのはいいことだったのだ、という思いもある。

 PTAという組織を批判する中には、「PTA活動で何かが変えられると思ったら大きな間違いだ。単なる自己満足だ」と言う人がいる。活動を終えた今改めて考え直しても思う。その批判は正しい。

 PTAは、変革を起こすためには不向きな組織活動だ。教育委員会の傘下であり、行政単位として機能しているので、どうしても内側からの「自浄」しかできない。大きな体制改革には不向きなのである。任期が1年と短いこともあり、変革の意志を継続させることも難しい。教育改革を本気でやろうと思ったら、外からの視点によって体制自体を変えることが絶対に必要になる。

 しかし、だからといって活動自体に意味がないとは思わない。「何もないようにするため」の日常の活動は、保護者が学校という場に関わっていくためには必要不可欠のものだと思う。1年で運営者が交代するというのも、活動の主旨からすれば当然のことだ。「今ここ」を対象とする活動だからである。願わくばそれが、PTAという団体の名前どおり、保護者と教師の関わりであればなおいいのに、と思う。教師の側からPTAを効果的に活用しよう(利用しよう、ではなくて)という態度が見られることは、まずないからである。PとTの団体であるということが、もっと認識されなければならないと私は考える。

 前向きな態度としては、PTA活動を生涯設計の一部としてとらえ、その中で自身を成長させる機会である、と考えるべきなのである。「なにかをなそう」ということの前に、そうした場に自分を置くこと自体が意味を持つ。そんなの自己満足じゃないか、という批判は甘んじて受けるが、忙しい中わざわざ一文の得にもならないことをしに行くのだから、そのくらいの見返りをもらわなければ、やっている意味がないではないか。PTA活動の最大の収穫は、自己を見つめなおし、成長するための機会を得られたことだった。子供のためのというのは口実で、半分は自分のためにやっていたのである。これは偽らざる本音だ。いや、半分じゃなくて七割かな。○○のため、が中心だったら、私はきっと続かなかったろうと思う。

 私自身は、これからの課題は成長の機会を与えていただいた恩返しだと思っている。具体的には、地域活動に自身の得たことを還元し、自分の住む町づくりに活かしていくことだ。そうしなければ、本当の自己満足として私の三年間は終わってしまうだろう。よい機会をもらったことを無にしないように、今からぼちぼちと動こうと思っています。

 杉江のPTA活動がどのようなものだったかは、北尾杉並堂刊行の雑誌「レポ」でこれから報告していく予定。刊行済みの第三号に、連載「ある日うっかりPTA」の第二回が掲載されました。関心がある方はこちらからお問い合わせください。

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