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(5/25)豊﨑由美×杉江松恋 書評講座「書評の愉悦出張版」応募原稿その2

 これは、表記のイベントに応募された原稿です。詳しくはその1を参照のこと。
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#6『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太

「どうで死ぬ身の一踊り」の「私」には月命日に必ず訪れる墓がある。「私」が人生をかけて傾倒する大正時代の小説家、藤澤清造の墓である。清造への入れ込みようは半端なものではなく、「私」の部屋は壁のいたるところに清造の書が掲げられ、墓標までもガラスケースで保管してあった。
 藤澤清造の祥月命日の前日、「私」は自身で復活させた『清造忌』のため、清造の菩提寺に向かうが、飛行機に乗り遅れ、次の便まで時間を潰すために十数年ぶりに母方の墓へ訪れる。墓は誰からも世話されず〈殆ど、無縁墓と化していた〉。家族と関係が断絶している「私」は、家族や親類がどうしているか想像も出来なかった。『清造忌』を終えて、「私」は女と同棲しているアパートへ戻る。
 女は「私」の父が性犯罪者であることも、「私」が清造に入れ込んでいることも気にしない。少々口煩いが、「私」が暴言を吐いたことを〈「許してくれなきゃ、もう生きてゆけねえんだ」〉と子供のように謝れば、顔をほころばせて許す、優しい女だ。ところが、「私」が清造の貴重な自筆書簡を譲りうける約束を取りつけて有頂天になったとき、女が「私」の大切する清造の墓標が入ったガラスケースの上に物を置く粗相をしてしまう。それに怒り狂った「私」は女に手を上げた。
 一週間もすると、「私」は実家に帰った女が恋しくなり、文学館で行われる『藤澤清造展』の記念講演の準備も手に着かなくなった。結局、「私」は女の実家まで出向き、泣きついて謝罪し、やっとのことで女を連れ帰る。
女は粗暴な「私」を愛し、「私」も女を愛しながら、生活の全てを清造に捧げている。
「私」は突発的にふるってしまう暴力で壊れていく女との生活を〈ママゴト〉と形容する。〈ママゴト〉さえも上手く演じられないことを理解してしまっている「私」の姿は、とてもむなしい。
それでは、「私」が何よりも優先する清造への執着は何と言えばいいのかと考えたとき、本書の題名を思い出した。
〈どうで死ぬ身の一踊り〉。
 この一踊りとは、清造への死ぬ身の奉納の踊りではないだろうか。〈ママゴト〉の関係を犠牲にした「私」の死ぬ身の清造への奉納の一踊りを、最後まで見逃さないでほしい。
 藤澤清造の詠句から取って名付けられた本書は私小説である。読了後、〈どうで死ぬ身の一踊り〉を作者西村賢太も踊っているのかも、と読むこともできる、別腹的な楽しみ方も本書は持っている。
 媒体(本の雑誌)

 
#7『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太

 2011年に第144回芥川賞を受賞した作者の、第134回芥川賞候補作である。作者の西村賢太は私小説の書き手として脚光を浴びた純文学作家。私小説? 純文学? 小難しいのでは? という方でも安心。高尚な理屈は一切無し。出会ったときには「数千万人に一人の女」と思って同棲したのに、すぐに飽きて「私は女が自我を主張しだしたことに不快を覚えるようになった」と言い出す男がひたすら自分を甘やかす、自己啓発の反対で自己過保護ともいえる短編だ。

 まず主人公は好きなことしかしない。藤澤清造という作家が好きで、自筆原稿や掲載雑誌や写真だけでなく木の墓標まで家に溜め込んで、「清造忌」という作家を弔うイベントや全集の出版を企画している。しかし定職にはつかず、費用は他人もち。生活費は同棲している彼女、全集の出版資金は彼女の親から借りている。ちなみにこれで三十代だ。

 さらに気が短くて口が悪い。イベントの招待状を送って返事をよこさない人達には「どん百姓ども」、彼女とケンカしたら「この、サゲマンめがっ!」、そのときに折悪く電話してきた彼女の父親には「あの猿公」。一昔前の言葉でなじるのも、ちょっとインテリっぽくてイヤらしい。ちなみに口だけでなく手も出ることがあり、前カノとは前歯を叩き折ったせいで別れた。さらにカネから家事から生活まるごと世話になってる同棲中の彼女にも、気に入らないことがあれば手を上げる。

 ただしガンガン強気に出るのは母、叔母、姉、彼女、つまり身内で女性だけだ。他人、それも男が相手なら面と向かって文句は言わない。さらに自己評価も低い。地の文から自分を紹介するところを取り出すと、「たださえ酒むくみの、好色そうな野卑な顔に、じっとりと情慾を滲ませている私」「いったいに我が強く、不快を感じるといい年してそれがすぐ顔にも声にも出る私」「根が甘ったれにできてる私」「自分の保身で頭が一杯の私」。下手に大きく出て傷つかないよう、防御も万全なのだ。それでも痛いところを突かれたら? 開き直る。「誰か新しい人見つけて」と別れ話を切り出されたら「ぼくがどれだけもてないか、おまえもよく知ってるだろう!」と逆ギレ。俺も俺の被害者なんだ!といわんばかりだ。

 もちろん世の中みんながこんな人だと困るので、人前で「羨ましいっす!」「俺もやってみたいっす!」とは絶対言えない。だけど、内心はほんのちょっと憧れる部分が無いとはいえない。だってスキルアップ、キャリアプラン、ヒューマンスキル、めんどくさいんだもん。人間、気の向くままに怒鳴り散らしたり、自分を甘やかしたいときもある。だからといってほんとにやったら今まで我慢してきた分が台無しだ。だからちょっと代行してもらう。そんなつもりで読んでほしい小説だ。
(想定媒体:CIRCUS)


#8『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太

 このおっさん、俺の親父と同じだなあ。
 どういう育ち方をすればこんなクズ男ができあがるんだろうか、というのが主人公に対しての第一印象。
 大正時代に活躍した小説家藤澤清造に傾倒しすぎて、藤澤清造の死後、寺から墓標を譲り受けたり、ゆかりのある人たちを集めて「清造忌」を開いたりするところはコレクターとして共感するんだよ。俺もアニメ「プリキュア」シリーズの大ファンだからさー、キャラクター原案をもらったり、スタッフの人たちを集めて飲み会を開いたりするところを想像しちゃうんだよね。『どうで死ぬ身の一踊り』は同じ主人公による作品が3つ収録されている。1話にあたる「墓前生活」では藤澤清造のファンとして、必死になっている姿に好感も持てたし、羨ましいぞコンチクショーって思っていた。しかし次の「どうで死ぬ身の一踊り」に入ったとたんに評価がガクっとボッシュート。
 自分の女(名前もでてこない!)に殴るわ蹴るわの大暴行祭り。女に注意されてふてくされ(チキンライスにチキンが入ってないというアホすぎる捨て台詞付き)、〈豚みたいな食べっぷりね〉ということばに腹を立て、カレーを鍋ごと流しにぶちまける始末。最後には必ず平手打ちと蹴りが入る、まるでテンプレのような一連の流れ。「どうで死ぬ身の一踊り」は有名な作品だと聞いたので、感想を書いているサイトをいくつか閲覧したり、何人かに話を聴いた。なになに?「暴力に嫌悪感は覚えるけど、どこかデフォルメのようで、ある意味笑いのポイントでもある」!?
 ええー! 殴ってんだよ? 蹴ってるんだよ? 笑えねえよー!
 多分、俺の親父とまったく同じことをしているから、人ごととして読めないんだろうなあ。いまはそうでもないんだけど、俺の小さいころ、「親父は母親に暴力を振るう人」というイメージでしかなかった。小一のころ(1993年)、酔っ払って深夜に帰宅した親父は、寝ている俺と母親を叩き起こして、食え! とおみやげの寿司を目の前に出してきた。いきなり起こされて食えるわけもない、と告げたら、さっきまでの上機嫌から一変。当時3階だったアパートの窓から寿司を全部放り出し、じゃあ食うな! と激怒し、母親をひっぱたく。ささいな、食べ物のことで切れる姿がまるっきりいっしょだよー。小さかった俺は母親を殴る親父を止められずに震えることしかできなかった。「どうで死ぬ身の一踊り」を読んでいると、あのころの記憶が鮮明によみがえってしまう。主人公の賢太(と思わしき男)が女を殴っていた部屋の隅っこには、俺もいる。親父の暴力を止められないように、俺も賢太の暴力を止めることはできない。
 暴力描写が出てくるたびに「もういいだろ……」と本を閉じようとすら思った。でもなぜかな、読んでしまう。賢太はクズでダメ人間で、関わりたくもない男だ。ふとした瞬間、親父の持っていた暴力性が、俺にも受け継がれているのかもしれない恐怖といっしょに襲ってくる。もう思い出しくないんだ。やめてくれよ。
 (想定媒体「ひよこクラブ」)


#9 『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太

 読書好きの方なら西村賢太、と聞けばその姿を思い出してしまうだろう。それほど彼の登場は強烈だった。
 それと同じく、作品自体も「強烈な私小説」と。
 では何が強烈なのか?
 私小説ということは「彼自身」という意味に受け取ると、私たちは彼の文章を読むことによって同じ光景を見ていることになる。目にそして脳に焼き付けているわけだ。
 これはとても有害である。その物語が悲惨であるほど辛い想いをしなければならないし、素晴らしければ素晴らしい程、現実との自分の生活とのギャップに居たたまれなくなるからだ。
 ならなぜ彼はそんな文章を私たちに読ませるのか?
 私小説とは私自身という意味。
 ならばそれを読む私たち読者と彼との間に成立する関係が共有である。
 冒頭での、著者が我々読者の前に初めて登場した際の風貌は明らかに小説家をイメージする所ではない。
 しかもその舞台は日本でも有数の栄えある場である、芥川賞の受賞式だ。
 後日インタビューで芥川賞の受賞の連絡をいつ聞いたか?の問いに
「ソープに行こうとしていた時に聞いた。行く前でよかった」
 と言って退けるほど他者への思いが強いのだ。
 上記を読んで、なんたるふしだらな発言だ、と思う人もいるかもしれないが、実際に彼の作品を読めばわかるが、彼の性描写は非常にあっさりしている。
 細かい描写がない。
 しかし自慰行為は「汚れた」と表現するのだ。
 彼自身には性衝動を脅かすほどの衝動が他に用意されていたのだ。
 それは師と仰ぐ亡くなった作家、藤澤 清造への想い。
 というより、敬愛する藤澤 清造の為に何かしなければ、という自己への責務。
 物語の全編で彼は藤澤清造全集と伝記を刊行させ、追悼法要へ異様な執着をみせる。
 彼が歩む「私たち読者に見せたい部分」がこの道のりなのだろう。
 俺はこんなに苦労してるんだ!
 でもこんな人間的なところもあるんだ!
 と、書いておきながら、書いてある内容はわりとアウトだと思う。
 私ならこんな男と付き合わない、とか私ならこうするのに、とかやたら「私なら」と枕につけて考えてしまうほどこの主人公はダメ男だ。
 この「私なら」と考えてしまう時点でもうすでに共有できている気がする。
 しかし彼の意とする共有は「俺の過酷の生活を見せたのだから、同じようにツラい思いを感じてくれ!」なんでしょうけど「その環境で感じたこと、アンタって最低」だとしてもいいのだろうか。
 それでも私と、いや、私たち読者と共有したいというのなら、それはもはや小説ではなく、手紙レベルだ。
 それほど生々しい生活の描写。
 私自身この「私小説」に首を突っ込む事によって感じた事は「この男はなんだ!自分の事ばかり!女も女だ!」
 これこそ、彼と本当の意味での共有ができた気がした。
 著者に突きつけても否定する余地なかろう。
 余談だが著者の名前には「賢い」という字が入っている。
 その賢さ、そして太さを我々読者も忘れなければ、笑えて、切ないバカ男の何日かが共有できるであろう。


#10『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太

 題して『どうで死ぬ身の一踊り』である。「何の話?」とひく人も多いはず。しかし、見逃してはならない。ここには超弩級のモテ男が潜んでいるのだ。主人公の男子、以下モテる男の条件をすべて満たしているのである。すごくないか?
①ロマンティックである。
 藤澤清造という作家のファンである。マニアと言ってもいい。彼に関係するものであれば古本から原稿、手紙まで収集している。血縁でもないのに、彼の命日には法要まで開催している。もちろん経済的には無償。ボランティアである。いわゆる「何の得にもならないことを、情熱的に続けている30男」なのだ。これぞ、男のロマンである。
②エキセントリックである。
 ついさっきまで上機嫌だったのに、ちょっとしたことですぐに気分を害してしまう。「お腹がすいた。何か作ってくれよ」とおねだりしていたのに、ちょっと言葉遣いを注意されただけでいきなり、不機嫌になり部屋に引っ込んでしまうことも。移り気で次の行動がまったく読めない。気ままな猫のようなヒョウ系男子である。
③ピュアである。
 相手の言葉をストレートに受け止める純粋さを秘めている。その言葉にカッとなり、思わず手が出てしまいそうになることも多々あり。実際出てしまうこともあるのは、感情の赴くままに動くピュアさの表れである。
④独自の美学を持つ。
 藤澤清造のものであれば墓標でも部屋に飾る。自分の美学に合うからである。彼女の作るカレーの上に惣菜屋のカツが乗っているのは許せない。自分の美学に反するからである。
⑤繊細である。
 彼女に食事の仕方をからかわれ、傷ついてしまう繊細さを持っている。お腹がすいていただけなのに……。その残酷な言葉に傷ついて彼女を殴ってしまうのは、そう、ピュアだから。
⑥仕事に燃えている。
 藤澤清造の法要に人が集まらなくても、彼の作品をまとめる仕事が実現しなくても、くじけない。彼に関連する資料を収集しイベントを開催するために、彼の故郷である石川県と東京を往復して頑張っている。厳しい資金繰りという逆境など、ものともしない。
⑥愛する女は一人だけ、である。
 彼女が家を飛び出して実家に帰ってしまったら、迎えに行く。プライドなどかなぐり捨てて言葉を尽くして自分の愛と誠意を語り、戻ってくれるように口説き倒す。当たり前であるが、彼女の不在中に風俗店で性欲を満たすような、不誠実なことはしない。あくまでも彼女を想いながら、他の方法を試す。

 万人受けするかはともかく、これを読んで思わず「付き合いたい!」と思った女子もどこかにいるはず。人は付き合って幸せになれるかどうかは保証しないが、これだけそろえば立派なモテ男である。いい男だ。ちなみに著者の西村賢太氏は自分のことしか書かないという私小説家。ということは、氏もこの条件を満たす男だということ? それも絶対見逃せない。
(想定媒体 Sweetなど青文字系女性ファッション誌)

(その3に続く)

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