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君にも見えるガイブンの星・ドン・デリーロのこと(その1)

 先月から、新宿BIRIBIRI酒場のメルマガに寄稿を始めました。

 BIRIBIRI酒場では外国文学新刊の早読みレビューをトークでやる、という企画を毎月開催しています。その準備過程をお見せしながら、自分の外国文学観などを綴っていければ、という風に思っております。
 そのイベント、次回の開催は6月21日(金)、新刊レビューと併せて、新潮社から短篇傑作集が発売されるドン・デリーロの作家特集もやります。デリーロの邦訳を1月で全部読んでみる、という結構無茶な企画。

 そういう近況をメルマがでは文章化しました。
 これを読んでもし関心を持っていただけたら、 shop@go-livewire.com に「メルマガ受信希望」というご連絡をください。折り返し登録のご案内を差し上げます。あ、もちろん無料ですので。

では、以下がメルマが連載の第2回です。サンプルとしてお読みください。

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君にも見えるガイブンの星

by 杉江松恋


 杉江松恋のガイブン酒場、二回目の作家特集はドン・デリーロです。
 というわけで、作家情報をなるべく遮断して、作品に挑む日々を開始しました。

 本を集めなければいけないので、最初はあちこちで検索をかけなければならない。そのときにどうしても作家情報が目に入ってしまうのですが、それもなるべく見ないようにして作品リストだけ参照しました。
 ジャンキーだったり、理系だったり、ヘテロセクシャルじゃなかったり、特殊な宗教の信仰者だったり。

 読書という作業はさまざまな階層を伴います。作品を読んで賞味することがもちろん中心にはあるのですが、その作業が純粋な形でできることは珍しい。たいていの場合は最初から持っている情報が先行し、読書をする目にフィルターをかけます。もちろん読者はそれを承知した上で、自身がかけている色眼鏡の存在を忘れるように意識し、作品世界へと分け入っていくわけです。忘れないように意識する人も、もちろんいるかもしれないが、私はなるべくフィルターを外せるように努力します。そうしないと、いつまでも自分の知っているものの中でしか想像力を働かせられないことになりますからね。

 後付けの言い方になりますが、知らない海外作家の作品をたくさん読んでみたいと思った最大の動機はもしかするとこれかもしれません。頭を真っ白にして作品に当たることができるから。こう見えてもいろいろ知識だけはあるので、自分が読んだことがある作家に関しては、作品についてのものだけではなく、そのひとにまつわるゴシップや世間の評価なども耳に入れた上で本を読むことが多くなってきました。それはそれで楽しいのです。溢れるような情報の中で、これはあれかな、それとも別の何かが書かせたものなのかな、などと想像しながら読むのも居酒屋のメニューの品定めみたいでおもしろい。
 しかしそれだけで読書を極めた気になるのはおかしいのではないか、という気持ちが私の中で芽生えました。生一本、混じりけなしで挑む読書、やってみたかったんですよね。

 さて、そんな感じで始めたドン・デリーロ読書、現時点ではあまり進んでいなくて、読めているのは二冊だけです。1984年発表の『ホワイト・ノイズ』(集英社)と1986年の『白い部屋 デイルーム』(白水社)、後者は戯曲です。というのは、『ホワイト・ノイズ』を読んだら、あまりに好みの内容なので圧倒されてしまい、数日間『ホワイト・ノイズ』のことしか考えられなくなってしまったからでした。

 主人公はアメリカ北部の地方都市ブラックスミスにあるカレッジ・オン・ザ・ヒルに教授として雇われている人物です。本名はジャックなのですが、学長から世間に押し出しのきく名前にしろといわれて表記をJ・A・K・グラドニーに改めた。というのも彼が教えているのは自身で創設したヒトラー学というもので、権威者としてそれなりに振る舞わなければいけないからです。しかし彼にはドイツ語の読み書きがあまり得意ではないというコンプレックスがあり、世間には内緒で習い続けている。その講師が実はドイツ語だけではなく、さまざまな専門を持つ人物であり……。
といった具合に主人公の設定一つを拾ってもどんどん話が広がっていく。まるで進化の樹形図を見ているかのようです。細部の拡散が半端ではなく、読み始めて最初は流入してくる情報量に面食らいました。これに加えて主人公の家庭事情がこみいっている。彼と妻のバベットの双方が再婚経験者であり、前の配偶者との間にもたくさんの子供たちがいる。その子供たちが定期的にジャックやバベットの元を訪れるし、逆に彼らのところにいる子供たちも以前の親たちを訪ねます。ということで家族がいつも不定形で質量を変化させているような感じがあり、イメージをとらえるのに苦労する。これが第一章「波動と放射」を読んだときの率直な私の印象でした。なんというかぐにゃぐにゃして、読むのに大変そうな小説だな。

 しかし第二章「空媒毒物事故」を読んだあたりでその見込みは完全に裏切られ、私は物語の核がある(と自分で思う)方向へと深く、深く潜行していくことになったのです。第二章は題名である程度察しがついてしまうと思いますが、今の日本に起きているような事態を予見したような内容です。その動揺、不安が次の展開を生んでいく。ぶわぶわとしているように見えた物語に実はしっかりとした果肉が詰まっていることがわかるのがこの第二章です。枝分かれの間には組織があり、その中には細胞液がたたえられていました。陳腐な比喩ですが、もはや物語は一個の生命体のような複雑さを備えたものに見え始めておいます。全体性を損なわずに付き合うためには、生命を奪わずに、つまり部分へと切り分けずに物語と接するしかないでしょう。こうして私は『ホワイト・ノイズ』の中に佇んでいる自分を発見していたのです。
 生きている。小説が生きているんです!

 この驚きから私がどこに辿り着いたかはまた別の機会に。かなり紙幅を使ってしまいましたが、次の『白い部屋 デイルーム』についても触れておきたいと思います。
『ホワイト・ノイズ』に比べればはるかに分量の少ない作品で(これは戯曲です)、有機的な組織体の存在を匂わせるということでは同じです。第一幕の舞台は病院で、二人の入院患者が退屈そうにしている部屋に、次々に来客者があります。この来客者のありよう、昔押し出し式のエンピツがありましたが、あれに似ています。芯のユニットがいくつも入っていて、前からこぼれたものを最後部に入れると、それが押し出し器具の役割をするものに化ける。ユニットは芯という「書くもの」でありながら同時に「書かせるもの」でもあるわけです。その多義的なありようが第二幕まで持ち越されると、そこでは第一部の喧騒を忘れ去ってしまったかのような場面が展開していく。しかしそこで演じているのは第一部と同じ身体を持った俳優であり、観客は両場面の間に有機的な連関を見出さずにはおれないのです。この関係はきっともっと図式的に表したほうが巧く頭にはいってくるでしょう。それをやるにはどうしたらいいのかな、とぼんやり考えているのが今の私です。

 長くなりすぎてしまいました。頭を真っ白にして読書をした結果というのはこんな感じです。このメールマガジンでは、私という人間を一種の計測器に見立て、真っ白な読書が生み出していくもの、その可能性についてお話していければと思っています。おぼつかない足取りの、しかもどこにいくのかよくわからない連載で申し訳ありません。よかったらまた読んでいただければ幸いです。次もたぶんドン・デリーロの話です。(この回終わり)

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藤田香織さんとの共著を7月3日(水)に刊行します

藤田香織さんと一緒に東海道五十三次を歩いた記録を旅エッセイとして幻冬舎文庫から刊行していただけることになりました。

タイトルは、

『東海道でしょう!』

どこかで聞いたような書名だって? き、気のせいじゃないかな。

7月3日(水)全国書店にて一斉発売です。定価724円! おお、ほぼ無名に近いライターの本にしてはよくがんばった。幻冬舎、偉い!

本屋さんで見かけたら、ぜひ手に取ってやってください。

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