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1月後半の私

17日
思い立って1月前半の日記なるものをつけてみる。しかし皮肉なことに、この日他に何をやっていたのかの記憶がすっぽり抜けているのであった。前日のガイブンイベントのプレッシャーから解放されて放心していたのかもしれない。

18日
同じく漠然とした記憶すらない日。おそらく「GINGERL」の対談やら他の原稿やらの支度のために読書と原稿書きに明け暮れていたのだと思われる。それにしてもなんでそんなに記憶が欠落してしまったのか。怖いことでもあった?

19日
「週刊現代」に書評、「ダ・ヴィンチ」にインタビュー構成原稿を送る。本来は幻冬舎で対談の仕事があったのだが、なんらかの事情で(おぼえてない)外出が難しくなり、日延べをしてもらう。応じてくれたIさん、藤田さん、ありがとう!

20日
前日できなかった「GINGERL」の対談仕事で幻冬舎へ。藤田香織さんと4冊の本についてぐたぐた話す。なんだかめったやたらとメールを出した形跡があるので、前日まで原稿書きでできなかった業務連絡を一気にやったらしい。

21日
twitterを見ると「ひさしぶりに債務(超過した〆切)がない」とか言っているので、そうだったらしい。そういう日もあったのか、と今遠い目をしている。BS11「すずらん本屋堂」のスタッフの方が近くまで来てくれて打ち合わせをした。

22日
ついに携帯を諦めて新調する。せっかくなのでスマホに。夜に今年初のコミカレ。「書くための体力をつけるには」という講義を行った。筋トレにあたることを説明する。来期からコミカレは実習部と筋トレ部に分かれるのだ。

23日
本の雑誌社にWEB原稿を送る。今年初。そのあとTBSラジオで「堀尾正晴プラス」のための収録を10分ばかり。これは本屋大賞特集のためのもの。一旦帰宅し食事をしてから末広亭で二つ目の深夜寄席。鯉八、笑ニが良い。

24日
妻につきあってもらい、杉戸宿~栗橋宿まで「日光街道でしょう!」の追加取材。20kmほど歩く。そのあと新宿道楽亭で立川左談次&快楽亭ブラックの二人会。終演後打ち上げがあり、そのあと有志で池林房で居続け。

25日
読書に没頭し、夕刻川崎の怪獣酒場へ。前回来たときに3時間近く並ぶことになったので開店1時間前に行ったが、それでも列の最初にならなかったのはびっくり。食事後、川崎宿から旧東海道を歩いてから帰った。

26日
夕刻から人形町らくだ亭。ホール落語でひさしぶりに談幸さんを聞く。志ん輔「お直し」が熱演であった。終演後にその近所の蕎麦屋で有志オフ会だったのだが、立川らく次さんがいらしていたので足止めして交じっていただく。

27日
「週刊新潮」に原稿送付。そのあと学校が入試期間ということで家にいた子供を誘って外出し、ウルトラマンスタンプラリーへ。20駅ばかりを制覇して終了。結構疲れた。その後人形町芳味亭で夕食。チキンライスが旨かった。

28日
インタビューの構成や書評の準備など仕事に没頭。見るとこの日もやたらとメールを出している。本を詠みながら合間に仕事メールの返信をしていたものと思われる。春風亭好幸さんの落語会の告知がようやくできて安心。

29日
「週刊文春」と「文芸カドカワ」の原稿を送付。後者は桃月庵白酒さんの落語談義なのだが、この回は本当に脱線ばかりしていたのでたいへんだった。夜にコミカレ。朝方フェイスブックで声をかけた堺三保さんがきてくれる。

30日
午前中に来京していた伊坂幸太郎さんの取材。雪が降ったので早めに家を出たが、まだ取材場所の店が開いておらず、伊坂さんと前でなんとなく待つことに。夜は新宿で立川流の若手道場。終演後、笑ニさんと少し飲む。

31日
目が覚めてぼうっとしていたら突然、前の晩に10年ぶりぐらいで新宿の深夜+1に行ったことを思い出した。藤田宜永さんがいらしていて、初めてさしでお話したのであった。しかしそれ以外の記憶は曖昧なまま2月に入る。

28日

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